「香り米」
歴史
香り米が初めて栽培されたのは、紀元前4世紀に成立したマウリヤ朝統治下のインドであったとされ、高級品種として富裕階級の間で流通した。当時の香り米はハゼキビのような匂いがイネ全体からしたといわれている。前述のようにインド・パキスタン産の香り米バスマティは現在でも高級米として流通している。
中国では1世紀頃の文献に香り米を指すとみられる「香秔」という言葉が登場する。中国でも香り米は上流階級の間で珍重されていた。
日本において香り米が記載されている最古の文献は、日本最古の農書とされる『清良記』で、「薫早稲」「香餅」と記載されている。『清良記』と同じく17世紀に刊行された『会津農書』にも「香早稲」「鼠早稲」との記述がみられる。19世紀初頭に刊行された鹿児島の農書『成形図説』によると、日本では古代から神饌米[† 3]、祭礼用、饗応用に用いられてきた。19世紀末に北海道庁が編纂した『北海道農事試験報告』によると、香り米は古くから不良地帯向けのイネとして知られており、北海道開拓の黎明期にも活用された。
日本では明治中期以降、香り米は収量が低いことや香りが鼠の尿のように感じられることがあることが問題視され、全国的に普通米奨励品種によって淘汰されていき、日本各地で細々と栽培が続けられた。20世紀後半になると高知県、宮城県、山形県、宮崎県、和歌山県などの地方自治体が「古代米」と銘打って付加価値商品としての販路を開拓し、生産量は増加傾向にある。また、1989年から6年間にわたって進められた農林水産省によるプロジェクト研究「スーパーライス計画」に基づいて品種改良が促進された。
利用法
飯として調理されるのが最も一般的な用途である。香りの強い品種(ヒエリ、ハギノカオリなど)は香りのない米などに3〜7%程の割合でブレンドして調理される[3]。香りの弱い品種(バスマティ、サリークイーンなど)についてはブレンドされず調理される。
古米に香り米をブレンドすると、古米がもつ匂いを隠す効果が得られる。バスマティやサリークイーンなどのアミロース含量の高い品種は、カレーやピラフに適しているとされる。インドにおけるバスマティの調理法としては、塩と油のみを入れて炊く他、油で炒めてから香辛料や具を入れてプラーオ(ピラフ)やビリヤニにするのが一般的である。キールというライスプディングにも用いられる。日本の奈良県では茶粥にして食する習慣もある。日本ではその他にレトルト食品への利用や、米菓への加工も行われている。
サフランで黄色く染めたバスマティで作るピラフは、インドにおいて最高級の食事とされ、パキスタンやイランにも見られる。
*Wikipedia より
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