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<経産大臣指定伝統的工芸品> 群馬 桐生織

2021-02-16 06:42:06 | 東京五輪延期

 「桐生織」

 日本で江戸時代までに使われていた技術または技法で、今でも産地にその技術または技法が伝えられ、つくられている製品をいいます。 桐生織の「織り方」には7つの技法があって、いろいろな種類の織物がつくられます。
桐生織は、昭和52年10月に通商産業大臣から伝統的工芸品桐生織の指定を受けました。現在、経済産業省、群馬県、桐生市の指導をもとに、桐生織物協同組合が中心になって桐生織が一層さかんになるよう事業を行なっています。伝統的工芸品桐生織には伝産マークを表示しております。また、優れた技術者には伝統工芸士の称号をおくり、さらに技術をみがき、これを後継者に伝えることをお願いしております。桐生の伝統工芸士は桐生織伝統工芸士会を結成して、技術の向上、後継者の研修指導や会員の交流研修などを行なっております。

*http://www.kiryuorimono.or.jp/kiryuori/industrial-arts/ より

*https://kougeihin.jp/craft/0106/ より

 時代を彩る進取の気勢 桐生織
 江戸のはるか以前より織物産地として発展してきた桐生。守るべき伝統と革新を融合させてきた桐生織の歴史からは日本が工業化を成し遂げていく様子を見ることができる。

 
 桐生織の歴史
 桐生織の歴史は古く、現存している文書からは8世紀初頭から朝廷への朝貢品として上野(こうずけ)の国、今の群馬県からあしぎぬが献上されていたことがわかっている。関が原の戦いの際に、徳川家康が小山にいた軍を急遽、関が原に帰すために求めた旗絹に応じ2410疋(ぴき)を差し出したこともある。その縁から桐生は幕府から厚遇され、織物の一大産地としての発展を遂げた。
 新井實さんは桐生の地で、20代目となる機屋の当主である伝統工芸士。伝統工芸の未来を見据えたお話を伺った。


 表現力豊かさが桐生織の特長

 製造にコンピュータを導入?
 「伝統工芸には2種類ある。ひとつは伝統をしっかり守っていくべきもの。もうひとつは時代の先端の技術を融合させていくべきもの。桐生の織物は新しい技術を自らの物となしえたからこそ世界に認められる繊維産業になることができたのです。」
 桐生織では柄のデザインにコンピュータを用いた最先端の画像処理技術が使われている。“伝統”のイメージからは一見似つかわしくない光景だ。「機械を導入すると言っても、合理化のための自動織機と、付加価値を増し技術を洗練するために入れる機械とでは全く意味が違いますよ。」と、先端の技術に飲み込まれることなく自分の物として活かすことを説く。欧米の技術を取り入れ、欧米以上の製品を作ってきた、いかにも日本の技術らしい考え方だ。


 コンピュータを使ったデザインの企画

 日本の織物産地に大きく貢献した桐生織
 時代の先端を自分の物にしてしまう、そのルーツは江戸時代にまでさかのぼる。1738年、京都で飢饉と大火事が起こった。その際にあぶれた西陣の織工を桐生に招き入れ、同時に各地の優秀な人たちが織物技術を身につけようと桐生に移り住んだ。そしてこの織工たちが現在の織物産地に招かれ各地に技術を伝えていったのだという。「桐生には生粋の桐生人は少ないですよ。各地の出身者がのれん分けしてもらって織物職人になったのです。だから彼らには元々保守的な考え方がなくて各地に技術を伝えていった、というわけです。」桐生を通じて織物の技術が伝播したことが各地の紋織りの際の開口運動を記憶する紋紙を見るとわかるらしい。全国のほとんどの織物産地で使われている紋紙が桐生と同じものだからだ。「桐生では技術こそ西陣から学びましたが、それを鵜呑みにしたわけではないのです。桐生の技術として組み変えてから伝えたことが各地の紋紙からわかるのです。」
 全国に織物の技術が伝えられていたからこそ、後の産業革命で日本がいち早く繊維工業を興すことができたのだ、と桐生の歴史に誇りを持って新井さんは語る。


 昔ながらの織機上部のジャカードが紋型である。

 豊かな表現力も近代技術との融合があったからこそ
 桐生織には7つの技法がある。中でもジャカードを用いた技法で織られた織物の表現力には目をみはる。「この柄も、世界に輸出することを考えていたからできた技術なのです。」桐生では明治期に輸出用の広幅織物に力を入れた。広幅織物には伝統的な織物よりも緯糸が織りなす柄が豊かだ。広幅織物の技法を小幅な織物にも応用したことでより緻密な紋様を表現できるようになった。
 「戦争では大切な織機を失いました。しかし桐生では自分たちの手で織機を作り自ら復興を成し遂げていったのです。」現在ではコンピュータを使ったジャカードを地域に広く導入している。桐生の方式は全国のジャカードの標準になっている。これも桐生の織工が一丸となって協力したからだという。協力、自立、積極性、これらが桐生の織物のみならず、手工業しかなかった日本に工業がスムーズに定着した理由なのかも知れない。


 7つの技法のうちのひとつ、“綟り織(もじりおり)”の紗

 これからのヒントを垣間見る
 20世紀初頭から日本を引っ張ってきた繊維産業は、時代の荒波にもまれながら技術を発展させてきた。そして欧米の技術を取り込みながらも独自の伝統もしっかり守っている。21世紀、桐生織は次の波にどのように乗っていくのだろう?時代を読むヒントを感じさせてくれる、伝統と先端の融合である。

 職人プロフィール

 新井實

 「新しい技術に溺れることなく新しい技術を自分のものにする、これが難しい。」と語る桐生織協同組合常務理事。日本伝統工芸士会副会長も務める、伝統工芸士会きっての弁士だ。

*https://kougeihin.jp/craft/0106/ より


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