今回は「金融の規制緩和と自由化」の話に移ります。文章でなく、箇条書きで紹介します。
・ 1980 ( 昭和55 ) 年代後半になると、世界的変化を敏感に受け止めた諸国が、自国でも赤字財政を取るようになった。
・ 1990 ( 平成2 ) 年代になると、ドイツもフランスも、健全財政を捨てた。スペインとスェーデン
は、赤字がGDP ( 国内総生産 ) の5%以上、イタリアは88%以上の大赤字財政を続けている。
・ 世界中にドルが溢れ、赤字財政が蔓延しても、石油価格も金価格も、穀物価格も値上がりしない
という、19世紀的経済学では信じられないような、現実の存在となる。
・ 赤字財政が蔓延したことは、世界的に流動する資本を、爆発的に膨張させた。
・ どこの国にでも投入できる、移動性を持つ資金の洪水は、各国の国内経済も変動させる。
・ このことが、東アジアの国々が、国内的資本蓄積を持たなくとも、工業生産を大発展させた、基礎条件にもなった。
・ 政府の通貨に対する統制力が弱まり、まずアメリカとイギリスで「ビッグバン」と言われる、金融の規制廃止が行われた。
氏は説明していませんが、国の管理や統制から解放された巨大資本が、世に言う「グローバルマネー」であり、「禿鷹ファンド」です。利益だけを求める彼らは、世界中の企業を買い叩き、買収し、不要となれば売り飛ばします。企業のオーナーも従業員人間と見ず、売買の対象とし、冷酷なマネーゲームを、世界で展開しました。
バブル崩壊後の日本で、彼らがどのように振る舞ったか、こう言う残酷な事実を語れば良いはずなのに、氏はスルーします。
「世界的な工業製品の貿易自由化は、低賃金などの社会条件を利用し、」「豊かな先進国向けの、製造業を生み出したと言って良い。」「それを可能にしたのが、大競争時代の第三の要素、エレクトロニクス化である。」
「急激に進歩したエレクトロニクス技術は、製造業の現場での、」「熟練の必要度を低下させ、」「あまり教育水準の高くない人々でも、高品質の製品を、作れるようにした。」「こうした変化を、最も敏感に察知したのはやはりアメリカの企業だった。」「彼らはこの三つの変化を活用して、さっさと低賃金地域に、」「生産設備を移してしまったのだ。」
説明の分かり易さに敬意を払い、感心もしましたが、「 金融の規制緩和と自由化」と、「エレクトロニクス化」の説明には、嫌悪を感じます。氏が述べているのは、私の憎む「グローバリズム」です。保守の顔をしながら、日本の国も歴史も文化も伝統も否定する、地球国家への道を勧めています。
ここで儲けているのは、誰なのか。一握りの国際金融資本家と、国際複合企業家たちで、それぞれの国の国民は、「安い労働力」として見られているに過ぎません。国民の幸せを考える国は、どこにもなく、そもそも国が、ありません。「愛国心のない」人間の考えることは、こんなものかと怒りさえ覚えます。
「この三つの要素が、東アジアの低賃金諸国の工業を、」「国際競争の場に押し出した。」「極めて安い賃金の人々が、工業製品の分野での競争に、参加するようになった。」
「何しろ東アジアは、世界の人口の3分の1を占める地域だから、」「これが工業分野の競争に参加すれば、」「世界の競争原理は、根本から変わってしまう。」「製造業が、高度に知的な産業だった時代は、終わったのだ。」「東ヨーロッパやインドなどで、急速な工業化が起こったとしても、驚くには、当たらないであろう。」
こう言う思考の上に立ち、氏が安倍総理に大量移民の受け入れ策を推奨したと知ると、全ての評価がゼロになります。181ページのタイトルは、「第五章 ローコスト革命が日本を救う」です。
大量の移民を入れ、ローコストの社会になった時、おそらく「日本人の国」は無くなっているでしょう。まだ36ページですが、このまま書評を続けるべきか、考えが止まっています。