ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大変な時代 - 8 ( 大量の低賃金労働者が日本経済を救う )

2020-03-19 20:01:44 | 徒然の記

   今回は「金融の規制緩和と自由化」の話に移ります。文章でなく、箇条書きで紹介します。

  ・ 1980 ( 昭和55 ) 年代後半になると、世界的変化を敏感に受け止めた諸国が、自国でも赤字財政を取るようになった。

  ・ 1990 ( 平成2 ) 年代になると、ドイツもフランスも、健全財政を捨てた。スペインとスェーデン

   は、赤字がGDP ( 国内総生産 ) の5%以上、イタリアは88%以上の大赤字財政を続けている。

  ・ 世界中にドルが溢れ、赤字財政が蔓延しても、石油価格も金価格も、穀物価格も値上がりしない

   という、19世紀的経済学では信じられないような、現実の存在となる。

  ・ 赤字財政が蔓延したことは、世界的に流動する資本を、爆発的に膨張させた。

  ・  どこの国にでも投入できる、移動性を持つ資金の洪水は、各国の国内経済も変動させる。

  ・  このことが、東アジアの国々が、国内的資本蓄積を持たなくとも、工業生産を大発展させた、基礎条件にもなった。

  ・  政府の通貨に対する統制力が弱まり、まずアメリカとイギリスで「ビッグバン」と言われる、金融の規制廃止が行われた。

 氏は説明していませんが、国の管理や統制から解放された巨大資本が、世に言う「グローバルマネー」であり、「禿鷹ファンド」です。利益だけを求める彼らは、世界中の企業を買い叩き、買収し、不要となれば売り飛ばします。企業のオーナーも従業員人間と見ず、売買の対象とし、冷酷なマネーゲームを、世界で展開しました。

 バブル崩壊後の日本で、彼らがどのように振る舞ったか、こう言う残酷な事実を語れば良いはずなのに、氏はスルーします。

 「世界的な工業製品の貿易自由化は、低賃金などの社会条件を利用し、」「豊かな先進国向けの、製造業を生み出したと言って良い。」「それを可能にしたのが、大競争時代の第三の要素、エレクトロニクス化である。」

 「急激に進歩したエレクトロニクス技術は、製造業の現場での、」「熟練の必要度を低下させ、」「あまり教育水準の高くない人々でも、高品質の製品を、作れるようにした。」「こうした変化を、最も敏感に察知したのはやはりアメリカの企業だった。」「彼らはこの三つの変化を活用して、さっさと低賃金地域に、」「生産設備を移してしまったのだ。」

 説明の分かり易さに敬意を払い、感心もしましたが、「 金融の規制緩和と自由化」と、「エレクトロニクス化」の説明には、嫌悪を感じます。氏が述べているのは、私の憎む「グローバリズム」です。保守の顔をしながら、日本の国も歴史も文化も伝統も否定する、地球国家への道を勧めています。

 ここで儲けているのは、誰なのか。一握りの国際金融資本家と、国際複合企業家たちで、それぞれの国の国民は、「安い労働力」として見られているに過ぎません。国民の幸せを考える国は、どこにもなく、そもそも国が、ありません。「愛国心のない」人間の考えることは、こんなものかと怒りさえ覚えます。 

 「この三つの要素が、東アジアの低賃金諸国の工業を、」「国際競争の場に押し出した。」「極めて安い賃金の人々が、工業製品の分野での競争に、参加するようになった。」

 「何しろ東アジアは、世界の人口の3分の1を占める地域だから、」「これが工業分野の競争に参加すれば、」「世界の競争原理は、根本から変わってしまう。」「製造業が、高度に知的な産業だった時代は、終わったのだ。」「東ヨーロッパやインドなどで、急速な工業化が起こったとしても、驚くには、当たらないであろう。」

  こう言う思考の上に立ち、氏が安倍総理に大量移民の受け入れ策を推奨したと知ると、全ての評価がゼロになります。181ページのタイトルは、「第五章 ローコスト革命が日本を救う」です。

 大量の移民を入れ、ローコストの社会になった時、おそらく「日本人の国」は無くなっているでしょう。まだ36ページですが、このまま書評を続けるべきか、考えが止まっています。

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大変な時代 - 7 ( 裏づけのない紙幣社会 )

2020-03-19 16:59:11 | 徒然の記

 貶すばかりでなく、優れた部分も述べなくては、公平な書評になりません。さすがに経済官僚と感心させられたのが、「大競争時代」についての分析です。

これを氏の言葉で言い換えると、「ローコスト競争時代」です。コストで競争で倒産するのでなく、利益を出せる低コストで、いかに国際競争に打ち勝っていくか。これが、氏の主張する「大競争時代」の中身です。

 日本の歴史や文化への理解は乏しくても、経済という金勘定の面では優秀な人物ですから、どうすれば日本が「大競争時代」を生き抜けるかにつき、処方箋を考えます。氏はまず、「大競争時代」をもたらしたものとして、次の三要素をあげます。

  1.   ペーパーマネー・ソサイアティー ( 物的裏づけのない紙幣社会  )

  2.   金融の規制緩和と自由化 

  3.   エレクトロニクス化 

 現在の国際社会と日本の状況を理解する上で、不可欠の知識ですが、これが、唯一絶対の判断基準かとなりますと、別の意見があります。どうやら氏に欠けているのは日本の歴史や文化、あるいは伝統への敬意と感謝の気持ちです。もっと率直に言いますと、「愛国心」がありません。

 そこを忘れないようにしながら、氏の意見を紹介します。三つの中で一番大切な要素が、「 ペーパーマネー・ソサイアティー」だと言います。

 「今、世界各国の通貨は、如何なる物質にも裏付けられていない、」「完全なペーパーマネーだ。」

 説明が始まりますが、文章が煩雑なのでやはり箇条書きにします。

  ・ 古代の人間が貨幣として利用したのは、主として金属、特に金、銀、銅であった。

  ・ 19世紀以降の工業社会で、国際的金本位制が確立された。

  ・  第一次世界大戦により金本位制が揺らぎ、第二次世界大戦後は、金為替本位制に変質した。

  ・  アメリカのドルだけが、国際基軸通貨として金とリンクされ、他国の通貨は固定為替レートで、

   基軸通貨のドルとリンクする、という制度である。

  ・   各国通貨と金のつながりは、観念的なものとなるが、果たす機能は「金本位制」と同様である。

  ・  この制度がある限り、基軸通貨のドルがなくなると、通貨価値の安定を図るため、各国は緊縮政策

   を取らなければならなくなる。

  ・ アメリカ自身も、国際収支が赤字になれば、引き締め政策、いわゆる「ドル防衛政策」を

   取らねばならない。

  ・ 第二次大戦後、アイゼンハワー政権の末期に、「ドル防衛問題」が大きく浮上した。

  ・ ケネディ、ジョンソン時代に、ドル防衛問題は、ベトナム戦争と並ぶ重要政策課題となった。

  ・ 昭和46年のニクソンショックで、金とドルの交換が停止され、金為替本位体制が崩壊し、

   全世界が「ペーパーマネー・ソサィアティ」となった。

   ・  アメリカは善意と惰性から、金為替本位体制があるかのように振る舞い、国際収支が赤字になる

   と、大慌てで引き締め政策をとった。

   ・   カーター 政権までは、年2百億ドルの赤字で大騒ぎになり、不況覚悟の引き締め策をとった。

 ここまでは、テレビや新聞の報道で知っている出来事です。「眼から鱗」というのは、次の叙述でした。

 「ところが、昭和56年に登場したレーガン大統領は、」「現代が、ペーパーマネー・ソサイアティーであることに気づき、」「それにふさわしい政策を、やり出した。」

 「国内物価が急騰しない限り、国の財政赤字を苦にしない積極財政、」「破滅的な楽観主義とさえ言えるような、政策をとったのである。」「これによりアメリカの景気が振興し、強いアメリカが回復し、」「冷戦に勝利することとなる。」「レーガン氏の偉大さは、称賛されて然るべきだ。」

 「今やアメリカでは、国際収支の赤字1 ,500億ドル、財政赤字は2,000億ドルが当たり前、」「国際収支も財政も、1,000億ドル程度の赤字なら、」「誰も気にしないという、概念変化が起こっている。」

 「いつの時代でも、偉大な為政者は、巨大な問題を残すものだ。」

 境屋氏の嘆息です。つまりレーガン氏がやったことは、赤字でドルが足りないのなら、ドル紙幣を印刷すれば良い、という放漫政策です。ソ連との軍拡競争に、この政策でレーガンのアメリカが勝利し、ゴルバチョフのソ連が崩壊しました。やりて官僚の堺屋氏も考えつかないレーガン氏の政策でしたから、氏は嘆息するしかなかったのです。

 おかげで興味深く、わかりやすく国際金融の勉強ができ、レーガン大統領の偉大さも知ることができました。大競争時代の三要素の一つが終わりましたので、次回は残る二つです。

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大変な時代 - 6 ( グローバリストだった堺屋氏 )

2020-03-18 22:04:55 | 徒然の記

 「大競争時代」についての、氏が説明。これがまた、堺屋式「カメレオン」説です。幕末以降の歴史から説き起こし、昭和、平成の日本を語ります。産経新聞に寄稿する保守の顔をしながら、マルクスの経済論を展開します。

 ブレジンスキー氏が、20世紀最大の失敗はマルクシズムだったと言い、平成2年に『大いなる失敗』という本を出版しています。氏はキッシンジャー氏と並ぶ、現代アメリカを代表する戦略思想家だと言われています。キッシンジャー氏は、ニクソン政権ででしたが、ブレジンスキー氏は、カーター政権のブレーンで、アメリカの外交政策に力を及ぼしました。

 堺屋氏も日本政府で似たようなブレーンですが、ブレジンスキー氏の著作を、読んでいなかったのでしょうか。消えゆく思想と位置づけられ、時代遅れとなった社会主義思想を、堺屋氏は評価しています。本物のマルキストでなく、知的飾りとしか考えていないので、他人が何と言っても気にならないのでしょうか。

 息子たちのため、労を厭わず、氏の叙述を転記します。26ページです。

 「われわれが今経験しつつあるのは、日本が近代になってから、」「4回目の変革期だ。」「第一回目は、幕末から明治維新にかけて、徳川幕藩体制が崩壊し、」「明治官僚体制が、形成された時。」「第二回目は、第一次世界大戦の後、」「明治官僚体制から、昭和軍官体制に変わった時。」

 「第三回目は、第一次世界大戦の敗北の後、」「戦後体制が築かれた時。」「そして今、世界の冷戦構造と日本の成長構造が崩壊した後の、」「この時期が、第四回目の大変革期である。」

 第二回目の変革について、私には異論があります。東京裁判を思い出せば、氏の意図が見えて来るからです。「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが、悪かった。」と、この結論を導くには第2回目の変革が必要となります。日本の近代化を進めた明治の官僚政治から、好戦的な軍官体制に変わったから無謀な戦争へ走ったと、そう言いたいための布石です。

 206ページを紹介すれば、息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、私の意見にうなづかれる気がします。

 「昭和10年代に、日本の陸軍軍人にやる気がなければ、」「太平洋戦争の悲劇は起こらなかっただろう。」「不幸にして、日本の軍人たちには、やる気満々の人が多かった。」「それを維持するために、軍事費と軍人権限を強めるという誤りを犯した。」

 「このため、やる気のある軍人を出世させ、要職につけた。」「軍人たちは無闇とやる気を出し、戦線を広げ、」「軍備を拡張し、戦う相手を増やしてしまった。」

 長いので省略しますが、「うつむき加減の経済」になった時、企業は闇雲に社員の「士気」を高めず、程々にしないと失敗する例として語っています。講談調の氏の著作を読む人間は、戦前の日本を誤って理解します。大東亜戦争は、単純化した氏の独善の説明では、正しい理解を妨げます。

 例を示したので、また元の26ページに戻ります。事実と捏造を織り交ぜた、「カメレオン的説明」です。

 「今回の変革期は、平成元年のベルリンの壁の崩壊、」「そしてほぼ時を同じくして起こった、日本のバブル景気の崩壊から始まった。」「この二つの現象は、一見別々に見えるが、実は変革の両面なのだ。」

 「世の中を動かすのは、社会の基礎構造としての経済であり、」「政治はその上に浮かぶ、上部構造に過ぎないとする、」「〈 科学的社会主義の 〉 テーゼの正しさが、皮肉にも、社会主義陣営の破壊で、証明された形である。」

 安倍総理の政策が、最近では、国を大切にしているのか、崩壊させようとしているのか、国民を戸惑わせたり、失望させたりしていますが、堺屋氏をブレーンしていたからだと分かりました。

 「冷戦後の世界、それを一言で言えば、メガ・コンペティション・エイジ、」「つまり大競争時代の到来である。」「冷戦後の世界は、北米、欧州、日本の、先進三極に、」「急成長する東アジアなどが加わり、世界的な経済と文化の、大競争時代になってくるだろう。」

 どうしてこのことが、科学的社会主義の正しさの証明になるのか。最初は、理解に苦しみました。

 大競争時代の特徴は、「世界的な資本の移動」「世界的な物の移動」「世界的な人の移動」で、これを言い換えますと、「地球規模での利益追求」、「地球規模での、自由な物の移動」、「地球規模での安価な労働力の追求」となります。

 ここでは言及していませんが、「国家から解放された資本の自由な活動」、「国境の撤廃」「民族主義の撤廃」となり、内容が「グローバリズム」そのものとなります。

 「温故知新の読書」で、反日・左翼と、マルクシズムと、グローパリズムは、突き詰めていけば同じものになると、教えられたばかりです。

  1.  国の否定   2.  民族の否定   3.  宗教の否定

 このような地球国家は、かっての「ユートピア」と同じで、理屈では考えられても、現実にはあり得ない空想です。利益追求という経済優先の、唯物思想ですから、なるほど氏の意見が妥当性を帯びてきます。

 「 〈 科学的社会主義の〉テーゼの正しさが、」「皮肉にも、社会主義陣営の破壊で、証明された形である。」

 ならば氏は、これがまた、強いものだけが生き残れる、「弱肉強食」の野蛮社会につながっていることを、読者に語るべきです。それが「両論併記」であり、優れた官僚の良心ではないでしょうか。

 スペースの限界のため、ここで一区切りしますが、氏の著作の有害性を少しでも理解してもらいたいので、次回も続けます。

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大変な時代 - 5 ( 愛国心をなくした、優秀官僚 )

2020-03-18 14:33:08 | 徒然の記

 今回は、堺屋節をそのまま披露します。

 「何より決定的なのは、これからの日本は人口が増えないこと。」「特に若年人口が、急速に減り出すことだ。」「平成6年には、満20才を迎えた人が、206万人もいたが、」「平成7年には、202万人になり、平成8年には、184万人になる。」

 「さらに5年進んだ平成13年には、153万人になり、」「平成27年には、124万人にまで減る。」「こればかりは、大量の移民を受け入れない限り、」「避けられない。」

 この書が出版されたのは、平成7年の橋本内閣の時です。阪神大震災の発災時、自衛隊への出動要請をためらい、被害を大きくした無能な村山内閣の後です。バブルが崩壊し、金融業界が破綻して、いかに救済するかと上を下への大騒ぎでした。

 このような混乱時に、氏は人口減を予測し、大量の移民の必要性に目を向けていました。普通ならこれを「先見の明」というのでしょうが、私には「先見の悪知恵」としか言いようがありません。

 人口の大幅減は、国力を低下させ、国の衰退につながりますから、頭脳明晰な官僚である氏が、危機感を抱くのは当然です。私のような凡人は、即座に「大量の移民」を考えつきません。「人口減の原因は何なのだろう。」「人口を増やす方策は、無いのか。」、こんなことしか思いつきません。

 出版時にはまだ、「移民法」に結びつけるほどの優先度がなかったのか、話が別の方へ進みます。これも、私に思いつけない新鮮な悪知恵でした。

 「避けがたい若年人口の減少にしても、気楽さと、」「面白さを生み出す余地を作る、要因ともなりうる。」「子供が減れば、国民社会全体の、教育負担は減少する。」「人口が増えなければ、住宅を増やす必要もない。」「住宅が増えなければ、都市を広げる工夫も、」「道路や地下鉄を延ばす費用も、必要ではない。」

 「いくらか贅沢な暮らしをするとしても、」「住宅投資や、公共投資が大幅に減らせるし、」「資源やエネルギーの使用量も、抑えられる。」「生活の質の向上ぐらいは、利用の高度化、効率化で、十分賄えるはずである。」

 「つまり、経済が 〈うつむき加減 〉になり、国際社会での責務が増え、」「若年人口が減少するということは、」「より多くの選択の自由と、今を楽しむ余裕が、この国に生じるということである。」

 「うつむき加減の経済」という言葉も、氏の造語でしたが、残念ながら「団塊の世代」のように、世間に広まりませんでした。それより、「低成長時代」とか、「先の見えない安定成長経済」という、言葉の方が流行りました。

 「うつむき加減」という暗い言葉より、「成長」という前向きな言葉にマスコミがなびいたのだと思います。「低成長」も、「先の見えない安定成長」も、実質は「うつむき加減」と同じですが、テレビのコマーシャルと同じで、明るい言葉の方が、国民に喜ばれるからです。私も「うつむき加減の老人」と言われるより、「若さを保っている老人」と呼ばれる方が、嬉しく感じるのと同じ理屈です。

 高度成長経済の時代は、設備投資や公共事業に、多くの資源や生産力が向けられ、国民は勤倹貯蓄の生活を強いられていたと、氏が説明します。高くなる一方の住宅を買うのに、あくせくし、会社に縛られ、遠距離通勤をしていたのだと語ります。そういう気持ちはなかったはずなのに、氏の説明を読むと、そうだったかもしれない、そうだったのかと、納得してしまいます。

 著書の中で、住宅の取得ということを、人生の一大事のように氏が語ります。確かに住宅は大切ですが、私はそれを一生の大事と思ったことがありません。自分が定年後に戸建ての住宅を取得できたのは、真面目に働いた結果、そうなったと思っています。特に家を持とうと、計画しませんでしたし、そのために頑張った記憶もありません。感謝するといえば、安月給にもかかわらず、私に黙って貯金をし、家を買う準備をしていた家内です。

 このように氏の意見は、疑問を抱かせても、何となく納得させる、カメレオン的叙述です。私自身に限れば、糟糠の妻への感謝を発見したことが、収穫でした。

 「常識破壊」と「大競争」という言葉が、本書につけられた副題です。「常識破壊」については、概略紹介しましたので、次回は「大競争」へ進みます。氏の悪知恵に興味のある方だけ、「ねこ庭」へ足をお運びください。

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大変な時代 - 4 ( 読者をたぶらかす、堺屋節 )

2020-03-17 18:39:37 | 徒然の記

 何をもって、氏は「大変な時代」と称しているのか。12ページから始めます。キャッチフレーズの得意な氏らしく、「常識破壊と大競争」と副題をつけ、政治、経済、安全と言う切り口で意見を述べます。

 いつもなら、説明が煩雑なので箇条書きにしますが、今回は逆です。読みやすく、分かりやすい文章のため、そのまま転記すると、たぶらかされる人が増えそうなので、あえて文章にしません。

《  政  治  》

  1. 自民党単独政権の崩壊 ( 戦後38年間続いた単独政権 ) 

    (1) 短命内閣の誕生

     細川政権  羽田政権 ・・ 自・社・さ連立政権

    (2) 無党派のタレント知事の誕生 ( 平成7年 )

     東京  青島幸男 ・・タレント、俳優、作家 

     大阪  横山ノック・・漫才師

《  経  済  》

  1. 円・ドルレート

    (1) 平成5年春・・1ドル110円を割り込んだと、大騒ぎ

    (2) 平成7年春・・1ドル80円になるが、貿易収支は黒字

  2. 景気循環、物価動向も、常識破壊

   政府は「緩やかな回復」と言うが、諸物価が長期低落。特に一般消費者物価が、顕著な値下がり

《  安  全  》

  1. 建物、道路等への安全神話崩壊

   世界各地の事例に関し、専門家たちは「厳しい基準で建設されているから、日本は絶対大丈夫だ。」

  と言ってきたが、阪神淡路大震災では、道路もビルも倒壊

  2. 日本に広まる、組織盲従の危機

   オウムなど、過激な犯罪集団に盲従する若者の増加は、終末思想を受け入れる素地発生の象徴

 振り返りますと、目まぐるしいまでの変動でした。テレビも新聞も、連日大騒ぎし、落ち着きのない日々だった自分を思い出します。それでも当時はまだ、企業戦士の時代でしたから、満員電車に乗り、朝から晩まで会社で働いていました。もしかすると、自宅待機や休業ばかりで、気を紛らすもののない、「武漢コロナ」の今の方が大変なのかもしれません。

 「この国の高度経済成長と、国際競争力強化を実現してきたはずの官僚組織と、一部の経営者とが、」「バブル景気の崩壊と円高の過程で、国庫と企業に膨大な損失を与えた。」

 「偉いと思っていた、高級官僚や経営者の多くが、」「実は見通しが悪く、見切りが拙い、無能、無責任な人々だと、分かったわけだ。」

 自分も高級官僚の一員なのに、よくも他人事のように批判できると呆れますが、言っている内容が正しいため、反論もなかったのでしょう。ヴォーゲル氏の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』や、ハンチントン氏の『文明の衝突』を読めば分かりますが、氏が述べるように、高級官僚や企業人の一部を批判すれば済むような、単純な話ではありません。だが私が疑問を抱いたのは、次の説明でした。

 「このことは、有能で勇敢と信じていた、帝国陸海軍の将星たちが、」「必ずしもそうでなかったことを知らされた、終戦時と同じような衝撃を、日本人多数に与えている。」

 「つまり今の世の中には、一種の、」「終戦現象が起こっているのだ。」「困ったことに、当の本人たち、」「高級官僚や、企業経営者のほとんどが、その事実に、気づいていない点である。」

 私は働き盛りの社員で、妻や子供のためと、苦労も苦労と思わず仕事をしていました。終戦時と同じような衝撃など、周りの誰を見渡しても、そんな思いはありませんでした。氏が言う「衝撃を受けた日本人多数」とは、どこにいたのでしょう。私の会社は山奥の過疎地にあったのでなく、東京のど真ん中にありましたから、終戦時と同じ衝撃を受けた人間が多数なら、当然私も目にするはずです。と言うより、私自身がそう思うはずです。

 こう言うところが、飾り物の知識をちらつかせる、魂の抜けた元東大生の見本です。別次元の話を、同じものとして語るまやかしですが、私のような捻くれ者でなく、善良な読者は、なるほどなるほどと読み進むことでしょう。捏造の説明を鵜呑みにさせる巧みな文章なので、息子たちに読ませたくない悪書と言う由縁です。

 「いつの時代でも、世の中は変わる。」「そう言う意味では、時代は常に不連続だ。」「何時の時代、どんな世の中でも、人は本音と建前を使い分ける。」「だから世の中のことは、何時も分かりにくい。」「ましてや、不連続の彼方にある未来ともなれば、」「不透明なのも当然だ。」「それにもかかわらず、今が特に 〈 大変な時代 〉 と感じられるのは、」「この不連続と不透明の先に、」「夢と面白さが、期待できないからだろう。」

 由緒正しい左翼なら、こう言う文章は書きません。マルキストたちには、不透明な時代という認識がなく、科学的に歴史を見れば経済活動の変遷が、必ず階級社会を産む・・と、使う言葉が決まっています。

 「大変な時代」に関する説明が、明快だったため、分かったような分からないような叙述も、読者の心を捉えます。西部開拓時代のアメリカのように、「夢と面白さ」ばかりを期待する人間が、今の日本にどのくらいいるのか。乱世は出世と金儲けのチャンスだと、夢と面白さを感じるのは、氏や竹中氏みたいな野心家たちくらいでしょう。

 堅苦しいテーマを述べていても、くだけた叙述の面白さに読者は惹かされます。自分は騙されないと、オレオレ詐欺を警戒するように身構えますが、氏の分析の的確さもあり、つい納得させられます。

 次は「時代予測」ですが、スペースがなくなりましたので、本日はここで一区切りとします。堺屋節とでも言うのでしょうか、読者を惑わす、講談師の語り口に要注意です。

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大変な時代 - 3 ( 竹中平蔵氏を超える獅子身中の虫 )

2020-03-17 08:00:21 | 徒然の記

 私のような小人は、知らない内に自慢をします。「あれは、私がやったことだ。」、「あれは、自分が中心だった。」と、口に出したり匂わせたりします。

 その点堺屋氏は、著書の中で自分の自慢を一つもしません。だからもう少し、輝かしい氏の経歴を紹介します。

 ・昭和37年の通商白書では、世界に先駆けて「水平分業論」を展開。また、日本での万博開催を提案

 ・昭和45年の、「大阪万博」の企画・実施に携わり、成功を収めた。その後、沖縄開発庁に出向

 ・昭和50年の「沖縄海洋博」も担当。その後3年「サンシャイン計画」に携わった後、通産省を退官。

 氏が、いかにやり手の官僚だったかが、経歴から分かります。手掛けたイベントは、全て何らかの形で、日本の歴史に残っています。

 ・産経新聞の提言コラム「正論」欄に、定期的に寄稿

 ・平成3年「第7回正論大賞」を受賞。

 ・平成10年  小渕内閣で、経済企画庁長官に就任

 ・平成12年  第二次森内閣で、経済企画庁長官 総合交通担当大臣 I T担当大臣

 産経新聞といえば、NHKと朝日新聞の対局に位置する保守新聞社です。口の悪い左翼は、右翼新聞と陰口を言います。産経に定期的寄稿をするというのなら、世間的には保守とみなされます。

 ・平成22年  大阪維新の会の支援団体「経済人・大阪維新の会」最高顧問

 ・平成24年  大阪維新の会が設立した、「維新政治塾」名誉塾長 ( 堺屋は、橋下徹及び大阪維新の会のブレーンとされていた。)

 ・平成28年  安倍内閣の「成長戦略」担当の内閣官房参与として、首相のブレーン 

 ・同年 4月に、一般社団法人「外国人雇用協議会」を設立し、会長に就任。政府の諮問会議などで、外国人労働者の受け入れ拡大を提案。

 多彩な経歴を見ていますと、元官僚というより、抜け目のない政商みたいに見えてきます。しかし、経歴最後の一行を見て、心から驚きました。氏は安倍内閣のブレーンまでしていて、外国人労働者受け入れ拡大を、総理に提案しているのです。竹中氏に似ているどころでなく、氏の方が師匠でした。

 日本の歴史も伝統も語らず、金勘定だけする商人の子孫が、事もあろうに、総理へ「移民法」の立法化を勧めていたのです。こうなりますと話は別で、両論併記の千葉日報と、同列に扱えなくなります。氏は間違いなく「獅子身中の虫」で、しかも、とんでもない親玉でした。

 氏の悪書がこの世に残る限り、私は愛する息子や孫たちのため、氏の間違いを、指摘し続けなければなりません。好意的な解釈も止め、忖度も無しで、いつものように冷静な書評をします。カメレオンのような氏を相手にしていると、私の心もくるくる変わり、信念のない自分が衆目にさらされます。不思議で、不可解な人物に出会ったものです。

 次回は、何が「大変な時代」なのか。氏の意見を紹介しながら、書評に入っていきます。冗談を言う余裕がなくなり、むしろ怒りをこらえて次回へ進みます。

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大変な時代 - 2 ( 左翼史観は、便利なツール )

2020-03-16 22:10:17 | 徒然の記

  肝心の書評より、経歴の方に関心を引かれるというのは、珍しい経験です。右のようで左でなく、反日のようで、保守でもなくという、まるでカメレオンみたいに、角度を変えると色が変わる不思議な人物です。

 「経済企画庁長官、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任。」

 前回の民主党政権時の、左翼政府ならまだしも、自民党政権でこういう職務に就くというのですから、氏が保守と見られていた証拠でしょう。

 「また、株式会社堺屋太一事務所および、株式会社堺屋太一研究所の、」「代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても、活動していた。」

 しっかり金儲けに精を出しているところも、竹中氏に似ています。竹中氏は「パソナグループ取締役会長」、「オリックス社外取締役」、「SBIホールディングス社外取締役」、他にもありますが、一番儲けているのは、安倍内閣が作った移民法です。外国人労働者は、全て人材派遣会社を通じて入国してきますが、その窓口が、パソナグループや、オリックスという業界の大手です。

 堺屋氏の博覧会プロデューサー業は、通産官僚の時代に、有名な「大阪万博」をコーディネイトした時の、経験と人脈を活用したものですから、金儲けでは竹中氏の先輩とも言えます。堺屋氏は、竹中氏ほどに憎まれていませんので、野党の議員から「役職を利用して、金儲けしている。」と、批判されたことがありません。( 美しいバラは刺があっても、愛されますが、刺のある竹中氏のような男は、攻撃されます。)

 もう少し、堺屋氏の経歴を辿ってみます。

 ・「昭和29年、住吉高校卒業後、受験に失敗。滑り止めの慶應大学に入るが、すぐ退学。」

 ・「2年間の浪人の後、昭和31年東京大学に合格。当初は建築に興味を持ち、工学部建築家を目指す。」

 ・「教養課程で経済学に興味を抱き、経済学部へ転入。

 ・「経済学部で、大河内一男教授(後の総長)に師事。」「経済学部で3番目の成績で、卒業した。」

 氏の東京裁判史観が、どこで身についたのかが分かりました。後の総長・大河内一男教授への師事という事実の中にあります。話が飛びますが、終戦の翌年(昭和21年)に、大日本帝國憲法を改正しなければならないと、政府が改正事業に着手しました。東大総長南原繁氏が、政府とは別に、学内に「 憲法研究委員会」を設けました。

 「多数の優れた学者を持つ、東京帝国大学としても、」「これについて、貢献する責務があると考えられたからであろう。」「発案者は南原総長であったが、学内にそうした気運がみなぎっていたことも、確かであった。」

 「  」内の叙述は、3年前に「変節した学者たち」と題して、11回のシリーズで書いたブログからの引用です。南原氏は、日本の第一級の人材を集めましたが、同時に彼らは皆、GHQに協力する、反日・左翼学者でした。南原氏は、このほかにも学内に「東大社会科学研究所」という、左翼学者の養成所を作り、日本の学界と思想界を左翼思想で染め上げた人物です。

 前回も紹介しましたが、「 憲法研究委員会」の委員一覧表を、貴重な資料ですから、再度転記します。

 委 員 長    宮沢俊義(法学部)

 特別委員  高木八尺(法学部)  杉村章三郎    岡 義武  末弘厳太郎

       和辻哲郎(文学部)  舞出長五郎(経済学部)

 委  員  我妻 栄(法学部)  横田喜三郎    神川彦松   尾高朝雄

       田中二郎      刑部 荘     戸田貞三(文学部) 

       板沢武雄      大内兵衛(経済学部)  矢内原忠男

       大河内一男     丸山真男(法学部)   金子武蔵(文学部)  

 左翼政治家たちの理論武装を助け、反日マスコミ擁護の論陣を張り、彼らの果たした役割の大きさと、汚染度の高さは、戦後74年経っても元に戻せないのですから、今の「武漢コロナ」以上かもしれません。

 強力な「左翼ウィルス」に接触しても、堺屋氏が一途な左翼にならなかったのは、おそらく、氏が生まれながらに持っている、ご先祖からのDNAだろうと思います。世間での金勘定を忘れない、現実主義者の心が、左翼の空論にのめり込むのを引き留め、飾りの知識としてだけ身につけさせたのだと考えます。

 多くの東大生がそうであるように、堺屋氏も、「頭脳明晰」、「学術優秀」、「何にでも即答できる知識の塊」となり、その分だけ「魂の抜けた」日本人になったようです。私のような無知な人間を相手にする時、左翼史観は便利なツールです。整然とした論理で、あらゆる社会現象を説明しますから、知識のない人間はうなづくしかありません。

 今回も氏は、著書の中で、随所に左翼史観を述べますが、反日学者でないため、執拗な叙述をしません。知識人の飾り文句として、料理の味つけ程度の引用ですから、ぼんやり読んでいると気づきません。意図しているというより、無意識の内に、氏の性格がさせるのだと、私は好意的に推測しています。

 すでに故人でもありますし、少しくらい贔屓の引き倒しをしても、分かる人には分かってもらえると、今回はいい加減な弁解をしています。

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大変な時代 ( 堺屋太一氏は、棘を抜いた竹中平蔵氏 )

2020-03-16 16:52:18 | 徒然の記

 堺屋太一氏著『大変な時代』( 平成7年刊 講談社 )を、読了。3月2日に、近藤大介氏の著『日中再逆転』を読み終えてから、15日が経ちます。

 いつもなら1週間もあれば読む本が、「武漢コロナ」のため、すっかり遅れてしまいました。堺屋氏は、マスコミに盛んに登場し、何かと話題の多い人でしたから、顔と名前をよく知っています。「団塊の世代」と言う言葉を考案したのも、氏なので、時代を見通す嗅覚のある、優れた人間と言う印象があります。

 大宅壮一氏が、「一億総白痴化」と言う言葉を考え出し、テレビ時代を予言しましたが、簡潔な言葉で時代を捉える知恵は、誰もが真似られるものではありません。まして、時代を超え全国に通用する「言葉」となれば、考案者に「優れた人間」と言う称号を、贈りたくなります。

 それなのに私は、氏の著書を読みながら、「この人は、本当に優れた人物なのだろうか。」と、幾度かベージを閉じました。人なつこい笑顔と、穏やかな語り口の氏を、テレビで何度も見ていますが、著書を読み、意見を知るのは今回が初めてです。期待していたので、その分失望もあったかと思います。

  1. 国の主権回復のための、憲法改正

  2. 国の歴史と伝統を取り戻すための、皇室護持

 「この二つの課題を語らない政治家、あるいは学者を、私は日本を愛する人間と思いません。またそれを語らない人たちを、私は保守と呼べません。」・・この思いは、私の中にある一つの物差しです。堺屋氏も当然国を大切にする人であり、保守の論客だろうと思っていましたが、氏は最後まで、この二つに触れませんでした。

 「ならば氏は、反日・左翼か。」と問えば、そう言う気配はありません。氏のような考え方をしていても、日本の未来を予測し、読者に明日が語れるのかと、驚く気持ちもありました。最後まで読み終えた今、結論を先に言いますと、

 1. 氏の著書は、そのまま息子たちには勧められない、悪書の仲間である。

 2. 氏の思考の基本には、以下のものがある。

  (1)  東京裁判史観    (2)  国を軽視するグローバリズム (3)  経済優先の唯物史観

 反日・左翼学者のように紋切り型の言葉を使わず、国を敵視し、批判攻撃することをしませんが、結果として氏の主張は、日本の否定に繋がります。こういう書が世に出回り、氏のような人物がいるという発見が、今回の成果だったかと、予想外の読後感です。氏と似た人物を探すとすれば、竹中平蔵氏ではないかと思います。負けん気の強さと、あくの強さという刺を抜けば、そのまま堺屋氏になるのではないかと、そんな気がします。

 結論を先に述べてしまいましたが、息子たちのためには、どこがそうなのか、どうしてそんな偏見に囚われるのかと、疑問に答えなくては遺言の役目が果たせません。堺屋氏を詳しくご存知の方は、退屈されるでしょうから、スルーしてください。どうせ私は、時間を気にしない年金生活者で、現在は「武漢コロナ」で自宅待機中ですから、いくら書評に時間をかけようと、一向に構わない境遇です。

 氏の経歴を、ネットで検索しました。

 「昭和10年、大阪市生まれ」「平成31年 83才で死去」「東大経済学部卒」

 「元通産官僚、小説家、評論家、位階は従三位、勲等は旭日大綬賞」

 「本名は池口小太郎、ペンネームは、安土桃山時代の商人であった先祖の名前」

 竹中氏は小説を書きませんが、大臣になったり、会社役員になったり、政党のブレーンになったり、八面六臂の活躍をするところが境屋氏とそっくりです。「刺を抜かれた竹中氏」とは、自分の言葉ながら、気に入っています。その分反感や嫌悪感が少なくなりますので、もう少し氏の経歴を追い、書評の参考にしたくなりました。

 つい先日、83才で亡くなられたことも知りましたので、相応の敬意を払いつつ、次回へと進みます。

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野党は何か、国民のため役に立っているのか

2020-03-15 13:23:11 | 徒然の記

 「武漢コロナ」について、ブログでは取り上げまいと決めましたが、千葉日報の記事を読んでいますと、そう言っておれなくなります。

 3月10日6面の記事です。記事の左上に、参議院予算委員会で答弁する総理の写真、右下には質問する蓮舫氏の写真が掲載されています。真面目に転記する気持ちになれませんので、割愛しつつ、引用します。

 ・立憲民主党幹部

  「一斉休校や、中・韓国からの入国制限など、」「官邸が独善的な意思決定を連発した理由を、追求」

 ・安倍晋三首相

  「収束できるかの瀬戸際だと、繰り返し、」「守勢に回った。」

 ・蓮舫参院幹事長

  「中・韓の入国制限が始まった。」「科学的根拠はあるのか。」「と、首相を問い詰めた。」「1~2週間が瀬戸際との見解に関し、」「今日で2週間だ、これまでの判断はどう決まったのか。」「と、不透明な政策決定を、問題視。」

 この記事は、千葉日報に掲載されていますが、いつもの通り共同通信社の、配信記事です。内容の構成は、不透明な政策を、独善的に決定した総理を追及する、正義の野党という変わらない図式です。記事の見出しがそのまま、共同通信社の意図を示しています。

 「野党 官邸の意思決定追及」「 " 瀬戸際 " 連呼で守勢  首相」

 「野党が勢いづくのは、唐突な首相の政策決定が、」「社会の混乱を招いたとの、判断がある。」と、共同通信社の説明まで入っています。

 習近平氏の国賓招聘を決定したためか、経団連の圧力だったのか、今も分かりませんが、初動対応の遅れで、最も大きかった総理のミスは、中国からの全面入国禁止をしなかったことです。共同通信社は、立憲民主党が、最初からそれを訴えていたのに、総理が取り上げなかったと書いていますが、本当でしょうか。私が千葉日報を贔屓にしているように、これも贔屓の引き倒しの記事ではないのでしょうか。

 彼らが本気でそう訴えていたのなら、大見出しの記事で、連日書くのが本当でしょう。活字にもせず、主張も公にせず、打ち捨てていながら、問題が出始めたのを見計らい、政府のミスを突くのでは、誰が納得するでしょう。

 私などは、最初から総理のミスというより、意識的な判断伸ばしを厳しく見ていますし、今でも腹に据えかねる言動があります。しかし、野党の身勝手な、無責任な追及を目にしますと、怒りの矛先は、総理から彼らの方へ向かいます。「武漢コロナ」のウィルスは、未知の細菌ですから、いまだに誰も対処方法が手探りのままです。それでも、国民のためにと、制約された条件の中から、最善と思われるものを総理が決めている緊急事態なのに、あいも変わらず、他人事のように、責めるだけというのでは、国民が納得しません。

 「科学的根拠は何か」などと、自分でも分からないくせに、蓮舫氏はよくも質問できたものです。トランプ大統領が、イギリス以外のヨーロッパ諸国からの入国を禁止しました。イタリアの首相は、地域間移動禁止令を出し、日用品の買い物以外の外出禁止令を、罰則付きで決めました。ドイツのメルケル首相は、「国民の6割が、武漢コロナにかかるだろう」と、警告を発しました。

 国の指導者たちが、万一のことを考え、国民に発する対策や談話に対し、「科学的根拠は何か」と、そんな質問をする馬鹿な政治家がいるのは、世界広しといえども日本くらいのものでしょう。

 様子見の期間が2週間になろうと、一ヶ月に伸びようと、今は「武漢コロナ」との戦争だから、じっと辛抱している国民にすれば、野党の姿勢は、「武漢コロナ」蔓延に手を貸しているだけにしか見えません。結局は、安倍政権の延長に手を貸すだけの、国会芝居です。だから、私は、何度でも言います。

 「野党は何か、国民のため役に立っているのか。」

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いったい、いつまで「官民一体」

2020-03-14 16:26:25 | 徒然の記

 「官民一体」という言葉は、新聞だけでなく、テレビの報道でもよく使われています。国民がひとつになり、全国的に取り組もうとするときの、決まり文句として使用されます。

 反日・左翼の学者か、評論家の誰かが、いつか指摘すると期待していましたが、戦後74年間何の声も上がりませんでした。庶民を強制する公権力を、邪悪なものとして批判し、政府を敵としてきた彼らが、黙っている不思議さを、今日まで見てきました。

 確かに今回のコロナ戦争や、オリンピック・パラリンピックへの取り組みなどについて、国民の意識をひとつにするには、便利で、分かりやすい言葉です。しかし政府のすることには、重箱の隅をつつくように、何でも批判する彼ら、特にマスコミの人間たちが、いったい、いつまで「官民一体」なのか・・と、疑問でなりません。

 もともとこの言葉は、「挙国一致」、「君民一体」、「朝野を挙げて」という戦前用語の一つですから、日本の敗戦とともに、消えてしまって良いはずでした。しかも彼らが最も批判し、攻撃している戦争へと、国民を鼓舞するため、彼ら自身が、戦争中に濫用してきた言葉です。こういうところに、反日・左翼マスコミの矛盾と言いますか、いい加減さと言えば良いのか、困民を馬鹿にした姿勢が窺えます。

 「自分たちが伝えるものが、ニュースだ。」「伝えないものは、ニュースではない。」他国のジャーナリストが、こんな報道姿勢だと知ると、早速真似をし、「自分たちだけが、正しい事実を国民に伝えている。」と、自惚れてしまいました。ついには、「日本の世論を、正しい方向へ導くのは、ジャーナリストの責務だ。」「使命だ。」と、愚かな自画自賛に陥り、現在に至っています。

 彼らに軽視され、無視されてもいる国民の一人として、本日は私が、彼らの無知を明らかにいたします。息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々は、マスコミが「官民一体」の言葉を使う限り、彼らの報道に信を置かないように、提案いたします。

 まず、「官民一体」の意味は、何であるか。Web辞典では、二つの説明がありました。

 1.  官庁と民間企業がしっかりと連携・協力して事に当たるさまのこと。

 2.  官庁、民間企業、および学校がそれぞれ協力し合って事業や研究に取組むさまを指す語のこと

 ここで言われる「官庁」の意味は、何であるか。Web辞典の説明を転記します。

 「官庁とは、国家の事務について、国家の意思を決定し、表示する権限をもつ国家機関のこと。」

 では、「国家機関」の意味は、何であるか。再び、Web辞典の説明を転記します。

 「国家機関とは、国家の意思を決定・表示・執行するための、諸種の機関。」「立法・司法・行政の事務・作用に関する機関のこと。」

 ならば、日本の「国家機関」とは、具体的になんであるのか。これはネットの他の情報から、引用します。あまりに沢山ありますので、途中で面倒になり、息子たちが知っていると思われる、機関名だけに割愛しました。賢明な方なら推察されると思いますが、何しろ国家機関ですから、以下のものが、全てであるはずがありません。

《 日本の国家機関 》

 最高裁判所 高等裁判所 下級裁判所 家庭裁判所 検察庁 中小企業庁 海難審判所 観光庁 宮内庁  公正取引委員会 会計監査院 原子力安全・保安院 警察庁 消防庁 林野庁 気象庁 在外公館 公安調査庁 内閣法制局 人事院 金融庁 国税庁 消費者庁 文化庁 特許庁 日本銀行 地方議会 国土地理院 内閣総理大臣 内閣官房 副大臣 衆議院 参議院 航空自衛隊 陸上自衛隊 海上自衛隊 海上保安庁 環境省・・・・
 
 官の意味が、こういうものなら、そのまま使って何がおかしいと、彼らは反論するでしょう。しかしもう一度、確認して下さい。「官民一体」という言葉は、戦前に使われていた「君民一体」、「挙国一致」、「一億一心」という言葉の仲間ですから、この「官」は、現在の「官」と同じ意味ではありません。「お上と民 ( たみ )」という言葉で使われていた、「お上」の意味です。「官尊民卑」という言葉がありますが、この場合の「官」です。分かりやすく言えば、「官民一体」という言葉は、彼らが嫌悪する、封建主義の残滓の一つです。ここまで指摘されて、なお彼らがこの言葉を使用するのなら、あとはもう、「軽蔑」しかありません。

 恥ずかしい間違い記事の例を、一つ紹介します。3月9日の千葉日報の論説です。「いすみ、茂原のロケ誘致順調」「地域活性化にどう生かす」という見出しで、千葉県が、映画やテレビドラマ、CMのロケ地の誘致に力を入れているから、もっと活性化につなげようという意見です。

 「万引き家族」の海水浴シーンに、いすみ市の海岸が使われ、以来観光客が増えたという話から、始まっています。ここで使われている「官民一体」が、現在の意味での「官」だとしても、正しい使われ方なのか。息子たちと訪問される方々も、どうかお考えください。

 「両市とも、ロケに協力する官民一体の、支援団体が活動している。」
 
 論説委員が言っている「官」は、主としていすみ、茂原市役所の担当者たちのことです。これが果たして「国家機関」なのでしょうか。「民」にしても、本来の意味は、「民間企業」と「学校」であり、「市民団体」や「ボランティアの個人」は含まれていません。
 
 私の愛読する千葉日報なので、代わりに弁明しますが、全国のマスコミが、恥じらいもなく使っているから、つい無意識のうちに活字にしたのだと思います。私が批判し、軽蔑しているのは、千葉日報でなく、NHKや朝日新聞、共同通信社に代表される日本のマスコミです。( 贔屓の引き倒しの感があるでないかと・・もし指摘されれば、素直に認めます。 )
 
 「官民一体」の話など、コロナに比べれば小さな話と、言われる方がいるかもしれませんが、そうではありません。小さなことに見えても、日常的に、国中で、繰り返される間違いは、大きな話になります。「蟻の一穴」という言葉がありますが、この手の「小さな話は」、国を蝕む病原菌に似ています。いつの間にか、善良な国民の心に忍び込み、世論を歪めていきます。決して、馬鹿にできません。
 
 愛する郷土紙が、汚染されるのを見て、我慢の糸が切れました。本日のブログは、ひとえに千葉日報の記事のおかげです。( 贔屓の引き倒しの感があるでないかと・・もし指摘されれば、素直に認めます。 )
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