カラー340ページ超の大著。
デイヴィッド・ホックニーと美術評論家の議論を、古今東西の名画とともに。
まず驚くのが、あらゆる名画でさえ「画像」扱いだということ。
まえがき、からして、こう立ち上がる(改行は当ブログ)
いたるところに画像あり、
ノートパソコン、携帯電話、雑誌、新聞、本(これもそう)
ばかりか、今でもまだ壁にかかっているものまである。
私たちは、考えたり、夢を見たり、人や周囲の状況を理解しようとするとき、言葉と同じくらい画像に頼る。
ところがこれまで、画像自体が独立したものとして考察されたことはほとんどない。
さまざまな種類の画像、例えば絵画、写真、映画の歴史ならいくらでもある。
ところが画像全体の歴史となると、そうはいかない。
ちなみにここでいう画像とは、立体を平面、例えばカンヴァス、紙、映画のスクリーン、スマートフォンのディスプレイ上に表現したものを意味する。
そうした多様な種類の表現の間で行われるやりとり、受け継がれるものが、本書のテーマとなる。
ここで、サブタイトル「洞窟壁画からiPadまで」が一気にリアル化する。
美術・絵画側にいる2人が繰り広げる、過去聞いたことのない角度からの解釈。
カラヴァッジョ、広重、ウォルト・ディズニー、写真、地図 etc… この視点から切り倒す。
驚きは、名画の多くが実はまだ発明されたとされる前の時代にもかかわらず、何らかの光学的装置を使い、デッサンをしていたのではないか?という議論。
美術を冒涜するのか!という声が聞こえそうな、凄い議論…
という驚きの視点を提供しつつ、締めの章のメッセージは以下。
今こそ画像の歴史のワクワクする瞬間だ。
340ページまで到達した今、そのコトバがとてもリアルに響く。
結論:2017年のテクノロジーから俯瞰した、美術への価値観を揺さぶる「総合芸術論」