ほんとうのところは本人にきいてみないとわからないのだが、
今うちの息子の頭は宇宙のことでいっぱいだ。
部屋には、天体の細かい情報の入ったカレンダーをかけ、
デスクマットは太陽系のもの、
机上には、地球儀・月球儀、家庭用ミニプラネタリウム、
本棚には、ニュートン系の雑誌、物理の本、などなどだ(もちろん普通の読み物もある)。
物理や地学を高校ですら選択しなかった私は、こういう姿が不思議でならない。
もちろん私もこどものころは星は好きだったのだが、それはあくまで「星座」なのであって、すべてを平面として考えられる範囲でのことだ。
その星座を形成している星のひとつひとつが、実は何億光年も離れているのだ・・・などと考えるところで頭はフリーズした。
ましてやブラックホールだの相対性理論だの、そんなことを考える人間が存在することの方が、宇宙の不思議だった。
こういう「無限」(と一般にいわれるようなもの)に思いをはせることのできる人間を、私はほんとうに尊敬する。
なぜならば、私は「底」や「境界」のわからないものをもっとも苦手とするからだ。
特に円周率は、私にとっては怪奇現象に等しい。おそろしすぎる・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
音楽においても、高音にいくにしたがって天に昇るように「すーっ」と力を抜くモーツアルト、
空気と音の境があいまいになるような、ドビュッシーのある種の弱音、
などは相当な違和感がある。
まだ、ピアノという楽器自体は音の輪郭が明確なので、その点は救われているのだが・・・・・。
この年までこれできたのだから、もはやこういった性向が変わるとも思えないのだが、
一度も考えたことのないことが死ぬまで残されるのかと思うと、それもなんだか悔しい。
つまり、自分はきちんと足がついていて、具体的で可視的世界にのみ生きているということになるのだから。
そうはいってもなあ、「スーパーカミオカンデ」の模型に入ってみて、
「カラオケボックスみたいだな」くらいの感想(殴)しか浮かばなかった私には、
あまりにも遠い世界なのだった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_oro.gif)
今うちの息子の頭は宇宙のことでいっぱいだ。
部屋には、天体の細かい情報の入ったカレンダーをかけ、
デスクマットは太陽系のもの、
机上には、地球儀・月球儀、家庭用ミニプラネタリウム、
本棚には、ニュートン系の雑誌、物理の本、などなどだ(もちろん普通の読み物もある)。
物理や地学を高校ですら選択しなかった私は、こういう姿が不思議でならない。
もちろん私もこどものころは星は好きだったのだが、それはあくまで「星座」なのであって、すべてを平面として考えられる範囲でのことだ。
その星座を形成している星のひとつひとつが、実は何億光年も離れているのだ・・・などと考えるところで頭はフリーズした。
ましてやブラックホールだの相対性理論だの、そんなことを考える人間が存在することの方が、宇宙の不思議だった。
こういう「無限」(と一般にいわれるようなもの)に思いをはせることのできる人間を、私はほんとうに尊敬する。
なぜならば、私は「底」や「境界」のわからないものをもっとも苦手とするからだ。
特に円周率は、私にとっては怪奇現象に等しい。おそろしすぎる・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
音楽においても、高音にいくにしたがって天に昇るように「すーっ」と力を抜くモーツアルト、
空気と音の境があいまいになるような、ドビュッシーのある種の弱音、
などは相当な違和感がある。
まだ、ピアノという楽器自体は音の輪郭が明確なので、その点は救われているのだが・・・・・。
この年までこれできたのだから、もはやこういった性向が変わるとも思えないのだが、
一度も考えたことのないことが死ぬまで残されるのかと思うと、それもなんだか悔しい。
つまり、自分はきちんと足がついていて、具体的で可視的世界にのみ生きているということになるのだから。
そうはいってもなあ、「スーパーカミオカンデ」の模型に入ってみて、
「カラオケボックスみたいだな」くらいの感想(殴)しか浮かばなかった私には、
あまりにも遠い世界なのだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_oro.gif)