ひさしぶりに、赤瀬川原平著「新解さんの謎」(平成8年第一刷発行 文芸春秋社)を読んでみた。
個性的な例文で人気の「新明解 国語辞典(三省堂)」のなかで、特に興味ある項をピックアップし、辞書編者(文中では<新解さん>)の意図に思いをいたしたものだ。
<すなわち>
①・・・
②ほかならぬ、その年月日その場所その人である、ということを表す。
「米国商業飛躍の最初の結節点になったのが1929年、――大恐慌の年だった・
玄関わきで草をむしっていたのが――西郷隆盛であった」
「大恐慌」の例文だけでもよさそうなものに、「草むしりする(すなわち)西郷隆盛」を加えたあたり、新解さんの意図を感じる。
<どっぷり>
①液体を十分に含ませたり、湯水などに十分浸ったりすることを表す。
「おそばのタレは、たっぷりとつけたい。たっぷり、というより――といった方がいい」
どうやら江戸っ子ではなさそう・・・
<どくしょ>[読書]
[研究調査のためや興味本位ではなく]教養のために書物を読むこと。
[寝ころがって読んだり、雑誌・週刊誌を読むことは、本来の読書には含まれない]
~~これが1・2・3版で、4版では次のように。
[研究調査や受験勉強の時などと違って]想(ソウ)を思い切り浮世(フセイ)の外に馳せ精神を未知の世界に遊ばせたり 人生観を確固不動のものたらしめたりするために、時間の束縛を受けることなく本を読むこと。
[寝ころがって漫画本を見たり、電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義(注:その言葉の持つ、本質的な意味・用法)の読書には含まれない]
いやはやものすごい力の入れようだ。
つまり、あくまでも読書というのは、何か目的を伴なうわけではない自由な精神の下、教養や人生観を高からしめるためのものだが、
絶対に
寝ころんだり、電車の中でなされてはならないし、
雑誌や週刊誌や漫画は認められないのだ。
これはもはや、この「読書」の項を引く人々に「読書とはなんぞや」と一考を促す明確な意図があると思われる。
このほかにも、まだまだご紹介したいものはある。
特にケッサクなのは「恋愛」「合体」という項なのだが、ここにUPできない字句が含まれるため、まことに残念ながら遠慮させていただくことにする。