~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ボーッとはしてない

2006年06月23日 00時00分40秒 | 家族・友人等
この地へ越してきてから、東京等へ新幹線で往復することを何回か経験したのだが、
そのとき一番の問題は子供の「ヒマつぶし」だ。
下の子は、デッキに連れ出したり、本を読んでやったり、できる限り相手をしてやるしかない。
上の子は、ずーっと一人で本を読んでいる。
「たまには、外の景色の見なさい!」とこちらが声かけるまで読んでいる。
そしてせっかく持ってきたハードカバーをさっさと読み終わって、
「読むものがなくなったあ」と絶望(爆)している。
私はもちろん自分ではなにをする暇もないし、あったらあったで寝るのみなので
本などはいっさい持っていかない。たまに週刊誌を買うくらいだ。

私だって少なくとも学生の頃までは、暇があれば活字を追っていた人間のはずなのだが、いくら子供が小さいとはいえ、どうしてこう活字なしで長時間過ごせるのか?

たぶんそれは「何も持たずに時間をつぶす」訓練を積んだからだ(笑)。
デパートにいたころ、私は売り場に出ていたので、
とにかく何時間でもきちんと立っていなければならなかった。
値段の高い食器を扱っていたので、お客様のないときは日に数人ということもあるし、
暇だからといってバタバタ掃除しているのもイメージがあまりよくない。
先輩方は暇になると、裏へ入って計算や仕入れや配送の仕事をされるので、
どうしても店番は若いものが当たることになり、しかも広い売り場にポツンと一人残されることがよくあった。
どんなに暇でも本を読むことも、しゃべることも、寝ること(爆)もできない。
どうするか・・・・・
まずは、目の届く範囲の商品名とその値段を覚えた。
たまには、外国のお客さまが見えた場合を想定して、接客英語を考えた。
それが終わると、通路を歩いていかれるお客さまを観察した。
それにもあきると、くだらんことを次々考えた。

たいがいこれでかなりの時間が過ごせた。
そうなると、もともとさほど活字中毒の人間ではなかったのか、
通勤電車でも、手ぶらで過ごすようになった。
さらに喫茶店や食堂に一人で入ってもボーっと(別に頭の中はボーッとしているわけではないが)過ごせるようになった。
最高何時間この状態でいられるかわからないが、たぶん4~5時間はいけるのではないか?
たぶん散歩だとか乗り物に乗ってるだとか、周囲の方に変化が生じる状況下であれば、何時間でも苦痛ではないだろうと思う。

でも、おそらく家族はそんなことは絶対に信じないと思う。
彼らの目に触れる限り、私はしゃべってるか動いているかだから