昨夜、「そうだ」とふと思ってカメにレタスをやろうと
水槽代わりのベビーバスに行ってみたら、2匹のうち1匹がまったく動かなくなっていた。
どうみても、もうこの世のものではなかった。
2日ほど前までは、もう1匹と「二重の塔ごっこ」で甲羅干しをしていたのに・・。
原因は思い当たりすぎて書く気にもなれないのだが、
とにかく6年間も飼っていたので、息子は茫然だ。
娘にとっては、カメ2匹は「3歳上の兄」にあたるわけで、
人間の兄のが学校に行っている間はよくカメとなにか語らっていたのだが、
「あたしは、泣くのと雨は嫌いなのよ!」と頑張っていた。
この2匹は性格が全然違い、生き残ってるほうは活発ではあったが、幼体時にはなにかと病気をしたものだった。
逝ってしまったほうは、甲羅の模様は派手だが性格は地味で、無駄な体力は使わないヤツだった。
命あるもの、生育歴と外見だけでは寿命は判断できないものだと思った。
それにしても今はマンション住まいなので庭がない。どこへ眠らせてやったものか・・・。
これを書きながらニュースをつけていたら、ピアノの音がしてきた。
リチャード・クレイダーマンかなんかの曲だと思うのだが、
最初の「ソとミ」に始まる6度の連打の音がどうも硬い。
なんだか変だな・・・と思って画面を見てみたら、ピアニストの右手に指が2本しかなかった。
左手にも2本しかなかった。
ペダルは・・・金属の棒で踏んでいる???・・脚が太腿くらいまでしかないのだった。
あっけにとられていると、今度は聴き慣れた曲。
ショパンの「幻想即興曲」のラストのところで、指が5本あっても大変に弾きにくい箇所だった。
あらためて幻想即興曲の最初のから映像が流れたが、ほんとに見事だった。
両手4本の指でまったくミスタッチなし。テンポは速い。
音楽的にもすばらしかった。
彼女は韓国の方で、今日本のあちこちでコンサートを開いておられるらしい。
障害を持って生まれ、お母さんが指の力をつけさせようとピアノを習わせた。
以来、一日10時間の練習を重ね、不可能を可能に変えたのだという。
命あれば、人生はいかようにも開けていくものなのだなあ。
彼女にしても、ある時はお母さんや先生の期待や激励に押しつぶされそうになったことだってあるだろう。
すべてをリセットしたくなったことだってあるだろう。
そうしたくなっても、そうしなかった・・という境目のところが難しいが、
それは個人の資質と周囲の愛情表現の歯車がかみ合っていたかそうでないかが
ひとつのポイントとなるだろう。
こういうことを「才能」という言葉で片付けてしまっては、
議論にもなにもならないのだが、
モーツァルトにしろベートーベンにしろ、スパルタかつかなり利己的なオヤジさんの下で育ち、
教育の成果と才能のおかげでそれは後世に名を残すことになったけれど、
人間的にはあまりほめられたものではない社会性の持ち主だった。
しかも音楽には秀でていたかもしれないが、ベートーベンなんか計算に関しては、足し算にも苦労するほどだった。
人間、「バランスよく」などということを目標にしていたら、それこそバランスを崩しはしないか?
人間性に関しても、人として許されないことだけをはっきりと「しない」と自覚できていればそれでよくないか?
なんだか、力が入り過ぎてしまったけれど、
大雨警報も出ていることであり、昨今の事件のこともあり、カメのこともあり、
珍しく真面目に考えてしまった朝だった。