~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

「聴く」ということ

2006年12月05日 12時10分47秒 | ピアノ
ここのところ、ピアノ仲間にアドバイスを求められる機会が何回かあって、
私なりに勉強したり、弾いてみたりしたうえで、(もちろんいきなり譜面を見たこともあったのだけど)、
私にできる範囲で「こうかも・・こうだったらいいかも・・」といったことについて個人的にお話したりした。

思うこと・・・

聴くことは弾くことよりも難しい

もちろん、技術的なことや楽曲の分析については、私、素人なので、たいしたことはわからないし、「私はこうやってここは苦労して弾けるようになりました」「考えぬいたらこういう表現に行き着きました」「○○先生からはこう教わりました」「ピアニストのだれそれはこう弾いてました」といった切り口からしかお話できない。
もちろんそういったお話をすることも難しいと思うのだが、もっと思うのは、
「聴く状態」を自分の中に作ることだ。

無駄な時間を使わないためには、まず一回目に弾いていただいた時に、曲全体の構造やバランス、楽譜どおりに表現していないところ、技術的にひっかかっているところ、をざっとスキャンしておこうと思うのだが、
もちろん今まで誰かを教えた経験もなにもない自己流なので、相当な集中を要する。
音楽と関係のない雑念も邪魔だし、他の曲が頭の中でなっていても邪魔、できれば体調も良くありたいし、精神的にもなにもひきずっていたくない。
本当は、コンサートを聴き行く場合も、同じことだが、こちらはまあぼんやり聴いていてもそれなりに楽しめる。別に評論家じゃないんだし・・。

演奏をする時は、自分が「行動する側」なので、うまくいけばすぐ集中できるように思う。それにこちらのほうは、みな苦労して心身面のコントロールをするので、慣れやトレーニング次第という感じもする。

他人の演奏を聴くのは「心の声を聴き取ること」だと思う。技術的に弾けてなかったり、楽譜を読みとれていない向こう側にあるものをできれば察知して、それに近づけてあげられるように、こちらも一緒に考えてみたいと思う。もちろん譜面に表れた「作曲者の心の声」のこともあるのだから、こちらのことも考えなければならないのだが・・・。

・・・・・・というわけで、やはり「聴く」ことは難しいと思うのだ。それは自分の演奏についても同じことで、自分で「弾く」ことはできても、自分の演奏を「聴く」のはできるようでできない。



質の良い練習、質の良いレッスンというのは、結局、無心に雑念なく「譜面からの声をきき」「演奏者の声をきく」ことに行き着くのかしら・・とぼーっと考える師走のこのごろ。