以前なにかで読んだのだが
「要はピアノは指で弾く楽器です」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
このごろほんとにそうなんだ、と思うことが多い。
よく小さい子どもの演奏を見ると、
一生懸命腕を使い、体を移動させて「いい音を出そう」としている。
いっぽうで、巨匠とよばれるピアニストには微動だにしないような方もおられる。
この違いはたぶんに指の力とコントロールだと思う。
私は、子供のころは大変に弾く姿勢が悪く、よく注意されたが、
実のところはなぜこんなにも注意されるのかがよくわかっていなかった。
コンクールなどで大変に姿勢のいい一門(ある門下に集中していた)をみても、それが素敵だともなんとも思わなかった。
自分に関していうならば、いまでは姿勢の悪い時はその曲について余裕のないときだ。
難しいところを必死で前傾して弾いていて、次に左右の音域がぱっと飛んだとき、視野がはずれて大きなミスタッチをすることが非常に多い。
このミスはは毎年繰り返している。なんとか姿勢を起こして弾けるくらいに余裕を持ち、視野を常に広くキープしておきたいと思っている。
少しこれとは違うが、ここのところ師匠に「体で拍子をとらない」と指摘を受けることが多い。
細かい指の動きがぶれることが多いからだ。それは体のキレがもっとよければそんなこともないのだろうが(笑)。
体重をかけるとかそういうことはもちろん必要なのだろうけど、
それは熟達すると、外からは分からないくらいの筋肉や体の動きでこなせることなのかもしれない。
だいたいが、非常にコントロールの良い指をお持ちのピアニストの演奏を間近でみると、手の中や指のあちこちで自由に集中やら脱力やらをなさっている。
そして動きにムダがなく美しい。
すばらしい指揮者やピアニストの指の動きは、バレリーナのようだといつも思う。
いままで、「腰で弾く」「腕で弾く」「腹筋で弾く」「脚で弾く」いろいろなことを考えたり試みたりしてきたけど、
やっぱり鍵盤上の動きに限らず、手先指先が思いのままに操れることが当たり前だけど必要なことだ。
それには、これまた当たり前のことなのだけれど練習しかない。
「要はピアノは指で弾く楽器です」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
このごろほんとにそうなんだ、と思うことが多い。
よく小さい子どもの演奏を見ると、
一生懸命腕を使い、体を移動させて「いい音を出そう」としている。
いっぽうで、巨匠とよばれるピアニストには微動だにしないような方もおられる。
この違いはたぶんに指の力とコントロールだと思う。
私は、子供のころは大変に弾く姿勢が悪く、よく注意されたが、
実のところはなぜこんなにも注意されるのかがよくわかっていなかった。
コンクールなどで大変に姿勢のいい一門(ある門下に集中していた)をみても、それが素敵だともなんとも思わなかった。
自分に関していうならば、いまでは姿勢の悪い時はその曲について余裕のないときだ。
難しいところを必死で前傾して弾いていて、次に左右の音域がぱっと飛んだとき、視野がはずれて大きなミスタッチをすることが非常に多い。
このミスはは毎年繰り返している。なんとか姿勢を起こして弾けるくらいに余裕を持ち、視野を常に広くキープしておきたいと思っている。
少しこれとは違うが、ここのところ師匠に「体で拍子をとらない」と指摘を受けることが多い。
細かい指の動きがぶれることが多いからだ。それは体のキレがもっとよければそんなこともないのだろうが(笑)。
体重をかけるとかそういうことはもちろん必要なのだろうけど、
それは熟達すると、外からは分からないくらいの筋肉や体の動きでこなせることなのかもしれない。
だいたいが、非常にコントロールの良い指をお持ちのピアニストの演奏を間近でみると、手の中や指のあちこちで自由に集中やら脱力やらをなさっている。
そして動きにムダがなく美しい。
すばらしい指揮者やピアニストの指の動きは、バレリーナのようだといつも思う。
いままで、「腰で弾く」「腕で弾く」「腹筋で弾く」「脚で弾く」いろいろなことを考えたり試みたりしてきたけど、
やっぱり鍵盤上の動きに限らず、手先指先が思いのままに操れることが当たり前だけど必要なことだ。
それには、これまた当たり前のことなのだけれど練習しかない。