今日、サークルの友人が遊びに来てくださり、午後はピアノ談義に終始した。
大人になってからのピアノは楽しくもあるが、習う方にとっても教えるほうにとっても難しい面がある・・というのはよくきくことである。
今日もそのような話で盛り上がった。
「習うほうにとっての難しさ」というのはよくわかる。
子供の時はそうたくさんの演奏を聴いているわけではないので、ある意味ハードルが低い。
音を並べることができてそれなりに指が動けば、自分としては結構満足だ。
ただ、コンクール等に出るとそれなりに高いレベルの演奏を求められるので、
その「高いレベル」が理解できて自分のものにできる子はいいが、そうでないと、
先生が厳しくいわれることがよくわからないまま「言われるままに弾き」「外から加工された」演奏のまま終わってしまうこともある。
私もそういう時期を経てきたけれど、それはそれで、わからないままにもレベルアップを図るというのは悪くないことだと思う。
大人の場合は、とにかくよく聴いているし、CDなどは超一流のものであったりするわけで、「こう弾きたい」「こういう音色を出したい」という思いのほうが先行する。
音が並んだ時点で「なんとか曲になった、満足」で終わればいいが、そういかないのが大人の学習者であって、
最初は「指がもっと動けば」とそればかり念じるのだが、そこになんとか到達した時に、自分の目指すゴールは途方もなく遠く、生きているうちには行き着かないのでは・・と思う。
これ超一流のピアニストでもそういう思いとは無縁でないときくので、ましてアマチュアなら当たり前のことなのだけど、
趣味としてこの思いと対峙しつつ、日々練習を積むのはかなりきついことでもある。
教える方のご意見の中で、読んだり聞いたりしたことがあるのは、
「どの程度まで指導して差し上げたらいいのかわからない」
「耳が肥えている一方で、技術が伴なわない部分があるので、そこを厳しくしたものかどうか」
「自分より年齢の高い方になると、プライドとかそういう部分もあるので言い方に気を遣う」
まだ大人の学習者については歴史が浅いこともあるし、個々の学習歴もほんとにさまざまなので、それはそれで大変なご苦労がおありのことと思う。
ただ、そういう「需要」と「供給」が行き違ってしまったらどうなるか・・
学習者は「基礎を含めて高度なレッスンをお願いしたい」と思っていても、
指導者は学習者の持参した曲のあまりの難易度の高さに驚き、
「こういう曲を一度弾いてみたいという憧れを尊重してあげなければ」と思い、
「頑張ってよくやっておられますね」と声をかけるのが精一杯(爆)という状況がなきにしもあらずだろう。
逆に学習者が「どんどん楽しんで大曲に挑戦したい」と思っていても、
指導者のほうがその曲に見合ったレベルの高さを要求されることもあるだろう。
私の場合は、学生時代以来、前者でやってきた感じなのだが、
ここのところ、コンペに出続けたり、あまりにも無謀な挑戦が続きすぎたせいか、
そろそろ後者の状況もたびたび生じるようになり、
これはこれで、自分なりに方向を考えて、師事する方に伝えておかなければいけないな、と思っている。
子供の場合は、「どういう進路をとるにしても、音楽に進みたくなった時に対応できる力をつけておく」というのが指導者の理想と伺っているが、
大人の場合はレッスンは双方向のものだと思うので、習うほうも「こういうことができるようになりたい」と伝えることが重要だと思う。
私、昔昔の師匠と最近電話でお話したのだが、3歳から音楽の英才教育を受け、
お母様もピアニストでいらしたこの方、
目下の悩みは「趣味で勝手な弾き方をしている中学生をどう指導したものか」
ということだとおっしゃっていた。
孫ほども年の離れた新弟子にさぞ気を遣われていることと思われ・・・・。
ピアノの先生も、最近は、お弟子は0歳から∞歳まで。
人間的にもいっそう器量の問われる時代になってきたようですね。
大人になってからのピアノは楽しくもあるが、習う方にとっても教えるほうにとっても難しい面がある・・というのはよくきくことである。
今日もそのような話で盛り上がった。
「習うほうにとっての難しさ」というのはよくわかる。
子供の時はそうたくさんの演奏を聴いているわけではないので、ある意味ハードルが低い。
音を並べることができてそれなりに指が動けば、自分としては結構満足だ。
ただ、コンクール等に出るとそれなりに高いレベルの演奏を求められるので、
その「高いレベル」が理解できて自分のものにできる子はいいが、そうでないと、
先生が厳しくいわれることがよくわからないまま「言われるままに弾き」「外から加工された」演奏のまま終わってしまうこともある。
私もそういう時期を経てきたけれど、それはそれで、わからないままにもレベルアップを図るというのは悪くないことだと思う。
大人の場合は、とにかくよく聴いているし、CDなどは超一流のものであったりするわけで、「こう弾きたい」「こういう音色を出したい」という思いのほうが先行する。
音が並んだ時点で「なんとか曲になった、満足」で終わればいいが、そういかないのが大人の学習者であって、
最初は「指がもっと動けば」とそればかり念じるのだが、そこになんとか到達した時に、自分の目指すゴールは途方もなく遠く、生きているうちには行き着かないのでは・・と思う。
これ超一流のピアニストでもそういう思いとは無縁でないときくので、ましてアマチュアなら当たり前のことなのだけど、
趣味としてこの思いと対峙しつつ、日々練習を積むのはかなりきついことでもある。
教える方のご意見の中で、読んだり聞いたりしたことがあるのは、
「どの程度まで指導して差し上げたらいいのかわからない」
「耳が肥えている一方で、技術が伴なわない部分があるので、そこを厳しくしたものかどうか」
「自分より年齢の高い方になると、プライドとかそういう部分もあるので言い方に気を遣う」
まだ大人の学習者については歴史が浅いこともあるし、個々の学習歴もほんとにさまざまなので、それはそれで大変なご苦労がおありのことと思う。
ただ、そういう「需要」と「供給」が行き違ってしまったらどうなるか・・
学習者は「基礎を含めて高度なレッスンをお願いしたい」と思っていても、
指導者は学習者の持参した曲のあまりの難易度の高さに驚き、
「こういう曲を一度弾いてみたいという憧れを尊重してあげなければ」と思い、
「頑張ってよくやっておられますね」と声をかけるのが精一杯(爆)という状況がなきにしもあらずだろう。
逆に学習者が「どんどん楽しんで大曲に挑戦したい」と思っていても、
指導者のほうがその曲に見合ったレベルの高さを要求されることもあるだろう。
私の場合は、学生時代以来、前者でやってきた感じなのだが、
ここのところ、コンペに出続けたり、あまりにも無謀な挑戦が続きすぎたせいか、
そろそろ後者の状況もたびたび生じるようになり、
これはこれで、自分なりに方向を考えて、師事する方に伝えておかなければいけないな、と思っている。
子供の場合は、「どういう進路をとるにしても、音楽に進みたくなった時に対応できる力をつけておく」というのが指導者の理想と伺っているが、
大人の場合はレッスンは双方向のものだと思うので、習うほうも「こういうことができるようになりたい」と伝えることが重要だと思う。
私、昔昔の師匠と最近電話でお話したのだが、3歳から音楽の英才教育を受け、
お母様もピアニストでいらしたこの方、
目下の悩みは「趣味で勝手な弾き方をしている中学生をどう指導したものか」
ということだとおっしゃっていた。
孫ほども年の離れた新弟子にさぞ気を遣われていることと思われ・・・・。
ピアノの先生も、最近は、お弟子は0歳から∞歳まで。
人間的にもいっそう器量の問われる時代になってきたようですね。