~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

お得なひととき

2006年12月14日 23時09分13秒 | ピアノ
街中の楽器店で催された、新製品発売の記念コンサート(ちなみに無料)を聴いてきた。

ピアニストは、今人気のドラマ「のだめカンタービレ」や来年公開の映画「神童」(←については私のHPの<BOOK>欄で紹介している)の吹き替えを担当している清塚信也氏。

氏についてはこれまでもいろいろなコンクールで名前や写真を拝見していたし、現在の人気ぶりからして、おそらく「聴きやすい演奏」をされる方だろうと推測していた。
そして、今日は楽器店内で、しかもツリーの前で、しかも外部の音の入ってくる環境なのだから、たぶんこれまた「耳にやさしい小品」を弾かれるであろうと、ほぼ一方的に決めてかかっていた。

登場した清塚氏、よく見るプロフィール写真より精悍な感じ。
そして一曲目。
モーツァルトのソナタK457 ハ短調
おお、いきなり。本格的プログラム!
そしてまた演奏がかなり濃い・・
激しいとかねっとりしてるというのではなく、メッセージ性が強いというか思索的というか。
演奏そのものは音の処理もペダルも丁寧で考え抜かれていて、さすが数々のコンクールで活躍されている方だと思ったのだが、それ以上にこの演奏者の人柄に非常に興味を覚えた。

1曲終えて、立ち上がってにっこり。
「では次は、ベートーベンの『熱情』を弾きます」
な、なんと・・・いきなりソナタ2曲。しかも相当ヘビーな。
好きです、そういうの、たまりません。
この曲(の3楽章)は、映画『神童』でワオが入試で弾く場面があるのだそうだが、
プロデューサーから「ここは、奇跡的な演奏が出来る場面なので、そういう感じで!」と指導があったそうだ。
ご本人「そういう演奏ができたかどうかわかりませんが、ぜひ公開されたら、見てください」と、ちょっとだけコマーシャル♪
で、熱情全楽章の演奏があった。
私はかなり後ろの席でみていたのでよくわからないのだけど、結構低めにすわって、それほどアクションも大きくなく、でも非常にテンションの高い演奏をされた。
音量もモーツァルトとは全然違うので(会場に合わせてかなりコントロールされていたとは思うのだが)、さすがに多くのピアノがところ狭しと並んだ店内で弾かれると、共鳴やら反響やらがあって、音の響きを楽しむことは難しかった。ぜひホールで聴いてみたいものだ。

2曲のソナタを弾かれたあとで、さぞお疲れと思いきや、にこにことして、
「もう時間もないようですので、ショパンの・・・」
・・・・きたきた、子犬か?ノクターンか?マズルカか?
バラード1番を弾きます」
いや~ほんとに清塚氏、やってくれるのであった。

そして、これも店内をビリビリいわせながらの熱演。
清塚氏は、ショパン関係のコンクールで何回かお名前を拝見したのだが、
これもなかなか濃い系のバラードだった。
ますます、いかなる青年なのか(ちなみに24歳だそう)。

その後のインタビューなどでは、映画で知り合った俳優さんとバイクで落ち合っては、酒も飲まずに戦争について語りあったりされる日常のこと、
昨日は一人で平和公園など散策されたらしいのだが「この地で日常を送っておられる方々はどういうお気持ちで日々こうした場所に接しておられるのか・・・」と思われたこと、などを語っておられた。

ほかには、テレビドラマ撮影現場の過酷な状況の話。
たとえば、ラフマ二ノフの2番の本番風景を撮った時のこと。
いったんは某ホールを貸し切って、プロのオーケストラにも来てもらって、1楽章を撮り、やれやれと思っていたところ、
その後連絡があり「どうしてもあと2分だけ足りない」ということで、
2~3日後に、別のホールを朝から貸し切り、(取り直しということで)機嫌の悪いオーケストラに再度来てもらい、たった残り2分のためだけに演奏して収録。
もちろん音楽を担当する人間も大変なのだが、役者さんはさらに大変なのだ、というお話。

そして、みなさんも気になっているであろう、のだめの飛んだりはねたりのメチャクチャな(?)演奏についての秘話。
これについては、今日直接きいた者の特権ということと、
いちおう「秘密事項」らしいので、ここでは残念ながら・・・

げんそう怖い

2006年12月13日 19時00分35秒 | 家族・友人等
娘はどうやら「ガイコツ」は怖くなくなったらしい。
よって白い鍵盤も弾くようになり(爆)、今日はなんとかレッスンでドレミか何かを弾いてくれたようだった。

ところで、「子供の時には結構怖いものがあるもので、私にもそういうものがあった」という話をいずれ書く予定にしていたので、今日はそれを。

たぶん子供のころにはいくつか怖いものがあったはずなのだが、その中で覚えているものに2枚のレコードがある。

1.G線上のアリア 
2.幻想交響曲


この2枚とも、自分たちは特にクラシックファンというわけでもない両親が、おそらくは子供の情操教育を目的にシリーズで買ってくれたレコードの中に入っていた。
「G線上のアリア」についての記憶はこうだ。

たぶん幼稚園か小学校低学年の時に、留守番をしながら自分でレコードをかけて聴いていた。
すると、バイオリンソロの冒頭「ミーーーーー」という長い音が
「ミ~(うぃ~ん・うぃ~ん・うぃ~ん)」と一定しない気味の悪い音・・・・・。
夕闇迫るなか、それは相当な不気味さだった。
それは当時の私の心理状態に問題があったわけではなく(なかったと断言はできないが・・笑)、たしかその後、そのレコードプレイヤーのターンテーブルのベルト部分だかなんだかがイカレテいたことが判明したように記憶している。
その後、プレイヤーは直ったはずなのだが、このときの気味悪さは尾をひき、長いことこの曲を聴く気にはなれなかった。

ベルリオーズの「幻想交響曲」についても似たような感じなのだが・・・・
これはさすがに幼稚園というわけはなかったと思うが、小学校高学年でもなかったと思う。
当時「幻想」のつくものといえばショパンの「幻想即興曲」しか知らなかったから、この「幻想」には結構期待していた(・・・と思う)。
でも、聴いてみたら音が変だ。
どうしてもヘンだ。
レコードを横からみてみたら波打ってるように見える。
今考えると、もしほんとにそうなのだったら親に言って返品交換してもらえばいいわけなので、なにも怖れることはないのだが、
「レコードがゆがんでいる」こと自体が気持ち悪く、
「この曲はのろいだ」とかなんとか思って(笑)、すみっこの方にしまいこんだ。
そのレコードがほんとにゆがんでいたかどうかは、実家に帰って調べればすぐわかることなのだが、
もしかすると、全然ゆがんでなどおらず、ただ曲が気持ち悪かっただけかもしれない。
曲の内容からすると、「のろい」の直感もあながちハズレでもないのだが(爆)。

というわけで、この「幻想交響曲」にいたっては、大人になるまで絶対に聴かなかった。
そして「ベルリオーズ」という名前そのものが「封印」されていた。

・・・・こういう幼児期の記憶というものはあまりアテにならないので、事実は今となってはどうでもいいのだが、
もしそれが「製品不良」が原因であるものだとしたら、幼児期にはあまりヘンな音源は聴かさないほうがいいかもしれない・・・と親になった今思う。


今日一日

2006年12月12日 23時26分02秒 | 雑感
今日は、天気が良かったのと午後から来客があったのと、昨日のレッスンを取り込むために少し時間を置こうと思ったのとで、午前いっぱい片付けや洗濯その他に専念した。

特に聴きたいCDもなかったので、FMをつけたところ、モーツァルトK310の第1楽章の最後の方が流れてきて、音の感じから一瞬ポゴレリチかとも思ったのだが、テンポ感が違うので、う~ん誰だろ?と思っていると2楽章に進み、唯一ゆったり流れてもいいような楽章でも、なにかこうせきたてられるような焦燥が感じられ、凍りついた。
この時点でおぼろげに奏者は予想できたように思ったが、やはりというべきか・・・グールドだった。
さっそく、午後に来訪予定の友人にメールを入れ、もし持っているなら、グールドのK310を含むCDを貸してくれと頼んだ。

FMでは、このあとギドン・クレーメルとそのお仲間のアンサンブルが流れたが、レオポルド・モーツァルトの「おもちゃ交響曲」には電話の音や、目覚ましの音などが入っていてケッサクだった。こちらも、ぜひもう一度聴いてみたい。

その後CDを適当に、しかも家事をしながら聴いていたので真面目な聴き方ではないのだが、ルプー&ペライヤの連弾(モーツァルトの2台のためのソナタ、シューベルトの幻想曲)を聴き、その後そういえば最近聴いてないな・・・とブラームスの交響曲1番をカラヤン&ベルリン・フィルで聴いたのだが、いやこんなしつこい曲だったっけ(爆)と、やはりこれは家事のBGMなんかに聴いてはいけませんね・・・と反省した。

午後からは久しぶりに調律をお願いしていた。
その間に、片付けたついでといってはなんなのだが、友人3人に来てもらってピアノ談義に興じた。
ピアノ室が開いて「そろそろ終わったかしら?」と思ったころ、調律師さん、鍵盤とアクション部分を別々に廊下に出して、なにかの作業を始められた。
おおっ・・・鍵盤バラバラ
今日は音律というよりは、鍵盤が左右にゆるんできたのが気になって頼んだもので、そういう関係の治療(?)をしてくださったらしい。

友人たちがみな帰ったころ調律は終了し、少し弾いてみた。
自分ではあまり気にしていなかったのだが、治療終わって思うことは、半年以上かけて私はかなりピアノを酷使していたらしいということ。

さあ、明日からはさらにさらに酷使するぞ!(殴)

レッスン「月光ソナタ」

2006年12月11日 15時37分08秒 | レッスン&セミナー
行ってまいりました。

「では、全部通して弾いてください」

3楽章全部、リピートまでつけて、たっぷり弾かせていただきました・・
・・と言いたいところなのですが、まずスタインウェイの鍵盤が今日はことさら軽く感じられ、1楽章はコントロールに苦心。2楽章はリピート後につっかえて弾き直し(リピート後ってなぜか暗譜があやしくなる・・なぜなんでしょう?)、2&3楽章は思ったよりテンポが上がってしまい、特に3楽章は「おい、このまま最後まで弾けるのか・・・」と自分でも不安な高速プレスト。

弾き終わったら、暑い汗と冷や汗でビッショリ

「全体のテンポのバランスはよくできています」

わぁ~~~、あれでいいの?あんなに速くていいの?というより速く弾いたほうがいいのね・・・

「では、1楽章の始めから」
・・・・・・・もちろん、すぐに止められました。
「最初は序奏ですね。そこにメロディーが入る。いきなりショパンみたいに弾き始めない
・・・なんかうれしいような気もしますが(笑)、それじゃいけないですね。

「特に小指のメロディーは指先で弾かないほうがいいです。指の付け根の関節から弾かないと、軽い鍵盤のピアノなんかだと危ない。どんなピアノにも対応するためには、安定した弾き方を練習しておく必要があります」

・・・・スタインウェイのコントロールで難儀してたの、見抜かれていたようです。

1楽章32小節以降の通奏低音の出てくる箇所。
「ここは、左手Gisの上に減7の和音がのってて、不安に覆われたようなところです。Gisの保続音はしつこく。腕で弾くように」

そのほか、各小節の最初の和音をもっと「聴いて」その小節を続ける必要がある、と何回も注意を受けました。

続いて2楽章

「冒頭アウフタクトの入りがまずいです。慌ててもいけないけど粘りすぎてて若さがない。もっと可憐に少女のように
・・・・・もう、これ、何度やっても自分でもへんなんですよ。
2楽章は以前から暗譜に苦労し、曲想に苦労し、自分でもなにやってんだろ・・と思うくらい、難儀してるんですが、やっぱり言われました。

しかも、
「この楽章はちょっとスケルツォ風ですよね。戯れる感じというか・・。
・・・・・今の演奏の感じだと日本の祭りっぽい・・・なんかこうワッショイワッショイみたいな



では、気を取り直して3楽章
技術的に細かいことは山ほど指導されたのですが、特に冒頭の左手の弾き方、第2主題が出てくるところの左分散和音は、音の出し方(指の構え)について指摘されました。
166小節のフェルマータ
「もっとたっぷり。過去を思ってためいきをつくように。いきなり、次の現実につっこまない

せんだって私、この3楽章が「パラパラしてて中身がなくて自分でもイヤな演奏だ」と書いておりましたけど、
そのパラパラの原因はやはり和声をきちっととらえていなかったことにあったようで、
「アルペジオになっているところは、パラパラ音を弾いてはいけません。アルペジオがなんの和音なのかをまずとらえて、自分の中に感じているその和音の中で弾く。
シュウマイの中身を出してはいけない

おみごとな比喩でございます


娘、「黒鍵」を弾く??

2006年12月10日 13時01分57秒 | 家族・友人等
いつも「お母さんはこないで」といって防音室へ向かう娘なのですが、
さすがに「いったいなにをしているのか?」と心配になり、
「鶴のハタ織り」をこっそりのぞきに行ってしまいました。

やはり・・・・妙でした・・・

なぜか黒鍵しか弾いていない。「ちょき、ちょき、ド」なのかと思いきや、
「レ♯、ド♯」と弾いて、あとは他の黒鍵を順番に弾いている。

つい、きいてしまいました。

「なぜ、黒い鍵盤ばかり弾くの?」
「だって、白いのイヤなんだもん」

・・・そうか、そういう日なのか・・とほっておいたのですが・・

その後、ブロック遊びを始めた娘、次々と私になにかを手渡す。
パソコンに向かいながら「はいはい」と受け取っていた私ですが、なにやらヘンだということに気付きました。
白ばかり・・・・
これ、ブロックといっても、キュービックのタイプではなく、チューブ状のものや鎖状のもので構成される、ちょっと変わったものです。

「どうして、白ばっかり?」
「骨みたいでイヤなの。どっかへやって!」

おお、そうであったか。
そういえば、ハロウィンパーティでも骸骨模様の全身タイツ着ていた子が怖くて、逃げ回ってました。
この年齢で「骸骨が怖い」のは別に不思議ではないけれど、う~んそこまで。。。

ちょうど同じ年齢の頃、上の子は、私の実家にあるイヌの人形が怖くて、2階に上がれず困ったことがあります。
大人からみると、小さなかわいい人形で、てのひらにのるような赤いイヌなんです。
当時上の子は赤い色は大好きでしたから、おそらく色が嫌だったのではなく、「イヌが赤い」というありえない人形が怖かったのかな、と勝手に推測してます。

子供時代には誰しも、こわいものがあったと思うのですが、それって理由があるよなないようなもので、少なくとも大人には理解しがたいものが多いです。
私自身にも、子供のころ「怖いもの」があって、これがまた妙なものなのですが、
それはまたあらためて

真っ最中

2006年12月10日 00時08分12秒 | 雑感
昨日、今日と年賀状作りに取り組んでいる。

昨日は既製の年賀状素材に写真を組み込んでみたのだが、どうもデザインや発色が気に入らず、結局今日は、ほぼ右も左もわからないWordと格闘。

スキャナで写真を取り込み編集、あとWebのフリー素材を3点ほど使わせていただいて、なんとか形に。
このたび初めて「テキストボックス」がなんなのかを知った(爆)私としては大健闘。

現在300枚あまりを印刷中。(もちろん私の分だけではないです)

ここ3年ほど外注(?)していたので、ゼイゼイ言っている。



こんな娘に誰がした

2006年12月06日 20時43分48秒 | 家族・友人等
ひさしぶりの娘のレッスンの話。

「9月からいってるのだもの、もうドレミは読めて、片手くらいはすらすら動くようになっているかも」とご期待の向きもあるかもしれないが、
これが笑っちゃうくらい全然なありさまだ。

練習はなんだか一人でさっさと防音室に入り「お母さんは来ないで!」という子なので、はっきりいってなにをやっているかわからない。
本人にきくと
「チョキ、チョキ、ド」(←この意味がお分かりになられる方は入門に相当ツウな方だ。つまりドの探し方)と
「バラバラのこういうやつ」(これは右手左手のドレミファソファミレドの練習らしい)
をやったというのみだ。本来はなんとしてでも付き添ってやらないといけないのかもしれないが、コソ練に燃えてるらしいので、当面そっとしている。

ならば、楽譜の読み方くらいは・・
と、一枚一枚のカードに「ド」「レ」「ミ」「ファ」「ソ」を全音符で書いてみせると、なんだか適当に当たる。でも、2回目言わせてみるとそれがすべて「当てずっぽう」だったことが分かる。
私もしつこいとこがあるので、何回か繰り返して言わせてみると、当てずっぽうのくせに面倒臭そうに「ドでしょ」「これもドでしょ」とかいう。
その顔には
「だって、白い丸と5本の線とト音記号の三つが組み合わさってるだけで、たいした違いないじゃん。細かいこというなあ、もう」と書いてある。
どうやら、私がハングルを判別できないのと同じ状態らしい。
ならばと、
「ドは、土星みたいっていったじゃない。レは頭くっつけてぶら下がってて、ミは・・・」
といってるうちに逆さに楽譜をみてるせいもあって、こっちまでおかしくなってきて、
「ほんとに数ミリの場所の移動だけだもん。どうでもいいじゃん」(殴)とかとんでもないことを思い始める。

本日レッスンだったのだけど、3回前くらいから、「お母さんがいないほうが甘えずにいいかも」ということで、一人おいて私は他で用を済ましている。
今日は少し迎えが遅れた。
いってみると、先生が「おもしろいですよ~~、かこちゃんて」とくすくす笑っておられる。
すでに次の生徒さんがこられていて、「子供のためのハノン」を弾いておられたのだが、
なんでもうちの子がいろんなことを言うらしい。
ハノンの16分音符がハタで(ななめに)つながってる楽譜を見ては
「この音楽ゆがんでるよ」と言い、
生徒さんがレガートで速度を上げる練習をすると
「その曲速すぎ!」と言い、
先生が何回もやり直しをさせると
「早くマルにしてあげて」と言ったらしい。

すんません・・・次回、早めに迎えに参ります

帰ってからさらにこの娘のいうことが・・・
先生って、あたしがおうちで練習していくの好きみたい

そりゃ、お母さんもそういうの好きだけどね

「聴く」ということ

2006年12月05日 12時10分47秒 | ピアノ
ここのところ、ピアノ仲間にアドバイスを求められる機会が何回かあって、
私なりに勉強したり、弾いてみたりしたうえで、(もちろんいきなり譜面を見たこともあったのだけど)、
私にできる範囲で「こうかも・・こうだったらいいかも・・」といったことについて個人的にお話したりした。

思うこと・・・

聴くことは弾くことよりも難しい

もちろん、技術的なことや楽曲の分析については、私、素人なので、たいしたことはわからないし、「私はこうやってここは苦労して弾けるようになりました」「考えぬいたらこういう表現に行き着きました」「○○先生からはこう教わりました」「ピアニストのだれそれはこう弾いてました」といった切り口からしかお話できない。
もちろんそういったお話をすることも難しいと思うのだが、もっと思うのは、
「聴く状態」を自分の中に作ることだ。

無駄な時間を使わないためには、まず一回目に弾いていただいた時に、曲全体の構造やバランス、楽譜どおりに表現していないところ、技術的にひっかかっているところ、をざっとスキャンしておこうと思うのだが、
もちろん今まで誰かを教えた経験もなにもない自己流なので、相当な集中を要する。
音楽と関係のない雑念も邪魔だし、他の曲が頭の中でなっていても邪魔、できれば体調も良くありたいし、精神的にもなにもひきずっていたくない。
本当は、コンサートを聴き行く場合も、同じことだが、こちらはまあぼんやり聴いていてもそれなりに楽しめる。別に評論家じゃないんだし・・。

演奏をする時は、自分が「行動する側」なので、うまくいけばすぐ集中できるように思う。それにこちらのほうは、みな苦労して心身面のコントロールをするので、慣れやトレーニング次第という感じもする。

他人の演奏を聴くのは「心の声を聴き取ること」だと思う。技術的に弾けてなかったり、楽譜を読みとれていない向こう側にあるものをできれば察知して、それに近づけてあげられるように、こちらも一緒に考えてみたいと思う。もちろん譜面に表れた「作曲者の心の声」のこともあるのだから、こちらのことも考えなければならないのだが・・・。

・・・・・・というわけで、やはり「聴く」ことは難しいと思うのだ。それは自分の演奏についても同じことで、自分で「弾く」ことはできても、自分の演奏を「聴く」のはできるようでできない。



質の良い練習、質の良いレッスンというのは、結局、無心に雑念なく「譜面からの声をきき」「演奏者の声をきく」ことに行き着くのかしら・・とぼーっと考える師走のこのごろ。


宴終わって

2006年12月04日 17時44分12秒 | ピアノ
クリスマス会が終わったので、落ち着いて(笑)本来取り組むべき曲に戻っている。

まずベートーベンの『月光』。
テンポだけが上がってきて、中身のない音がただただ並んでいる第3楽章をいちから見直し。
この楽章に関して、私の目指している音は「暗くて這うような、でも時々閃光を放つような音」。
残念ながら今は、右手が「フライパンの上ではねる煎り豆」、
左手が「千鳥足のよっぱらい」(爆)・・・・状態。
これはもう、手の構えからやり直し。
今日の練習はこの3楽章と、『子供の情景』の中のうまく弾けてない3曲のみで終わりだった。
『子供の情景』も現在の私の技術ではフォローできてない箇所があり、本番までに間に合うのか少し心配。

↑の2曲はとりあえず暗譜はなんとかなりそうとして、
問題は『展覧会の絵』からの6曲。
うち5曲はなんとなく頭に入ってきたように思うのだが、
なぜか1曲目<プロムナード>ができないっ!なぜ・・・
できたと思っても、どこか和音間違ってるし(笑)。

いや、当面は来週月曜のレッスンでみていただく、
『月光』と『子供の情景(のうち3曲)』をちゃんとやらねば。

夏のシューマン『プレスト』のように「入り組んでて」「速くて」「跳び芸があって」という曲とは違うのだが、ほんとに難しい。
実のことをいうと、プログラムに入れている「ソナチネアルバム」の中の曲だって「難しいなあ・・・」と思う。

今はどんな曲を弾いても「楽しい、いい曲だ」と思う一方で、
どんな曲を弾いても「難しい、大変な曲だ」と思ってしまう。
自分の子に片手で「ド・レ・ミ・ファ・ソ」を弾いてみせるのだって恐恐なことがある。

楽器を弾くのって楽しいけど大変なことだ。

クリスマス会

2006年12月03日 21時38分37秒 | ピアノ
サークルのクリスマスコンサートがあった。
たぶん仲間はまだ2次会だか3次会だかの最中だと思うのだが、
私は子供が持たなくなったので(昼からなので当たり前といえば当たり前なのだが・・)打ち上げの途中で中座し、帰って飲みなおしている(殴)。

ひとことでいうと
楽しかった

プログラムは前半が「ちょっとまじめにクリスマス」ということで、クラシックのソロ&デュオ、後半が「おしゃれに楽しくクリスマス」ということで、ポピュラーのソロ&デュオだった。
途中コーヒーやちょっとしたお菓子も出て、しかも別室ではDVDも鑑賞も可ということで、子連れで参加したメンバーも3人ほど。
最後には子供たちもまじえての鳴り物入りのジングルベル、そしてなぜかブラームスの間奏曲を伴奏としてのプレゼント交換というわけで、一足早いクリスマスを堪能した。

サークルでは毎月練習会があるので、だいたいみなの演奏は聴きなれているはずなのだが、
やっぱり本番というのは少し違っていて、いきなり相当なレベルに仕上がっていて驚く。ブログの更新もせずに練習した姿がしのばれる(爆)。
どれもどれも聞き捨てならない演奏(笑)で、ひとりひとりについて何か書きたくてしようがないのだが、なにぶん内輪のことなので、とりあえず、連弾とポピュラー部門について。

今日のピアノに関しては、古いせいもあるのか、打鍵のレスポンスがいまいちで、特に弱音やペダルについてはコントロールの難しいところがあった。
なので、曲によっては思うような表現ができなかったかたもおられると思う。
そういうことはさておき、こと連弾についてはこういうサークルならではの良さが出ていたと思う。

連弾は
バッハ「主よ人の望みの喜びよ」
ラフマ二ノフ「パガニーニの主題による狂詩曲 第18変奏曲」
ブラームス「ハンガリー舞曲 第4番」
(6手で)「エンターティナー」
倉本裕基「ホール・ニューワールド」
の5曲だった。
サークルのなかでも家が近かったり、仲が良かったり、たまたま飲みの席のいきおいで話がまとまったり、といったいきさつのデュオやトリオだったが、
こつこつ誰かの自宅や、練習会や、街中のスタジオで練習を重ね、それなりに弾き手も聴き手も楽しめるくらいにはなっていて、発表会で「やりなさい」と言われた連弾でもなし、純粋に大人の道楽で贅沢な経験だったと思う。
練習時間や場所のやりくりが難しいところだが、ぜひぜひこれからも連弾・2台いろいろなアンサンブルが増えるといいと思う。

後半はポピュラーばかりを集めたのだが、オカリナとの合奏の「白い恋人たち」をはじめ、「戦場のメリークリスマス」などのクリスマスがらみ、はてはディズニー対決(ディズニーメドレー VS ミッキーマウスマーチ)ありで、あまりポピュラーの縁のない私でも、心底楽しめた。
やはり弾き手が心から楽しんでないと、こういう曲はつまらない。しみじみ、みんな「好きで弾いているのだなあ」と思った。

プログラムの最後は、オカリナ&バイオリン&ピアノの「ジングルベル」で、鈴・トライアングル・笛・ベル・果物型のパーカッション・手拍子・歌付きで、何回リピートしたかわからないくらいジングルベルをやりまくった。

お客さまも5人ほどみえて、3時間以上もの演奏に耳を傾けてくださった。
というわけで、完全に「内輪」で終わらなかったことも、私たちにとってはうれしいことであり、
一生懸命だけれども、もちろんつたないところもある私たちの演奏にお付き合いいただいたことを深く感謝いたします。