アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

夜の家

2009年12月26日 | Weblog
 アンカラの町を出て南東へ。カッパドキアへ向かっていると…。なんじゃこりゃ?という風景が飛び込んでくる。
 どんな風景かといいますと…傾斜地や崖にへばりついたような小さな家の集落。断続的に数十キロメートル…もっとか。かなりの歳月が経過しているので廃虚然としている。明らかに人為的に破壊されたものもある。
 これらの家々は、「夜の家」と呼ばれている。予習してトルコへ行ったが、「夜の家」について書いてある本にはお目にかからなかった。唐突に出現してくれただけに、びっくりしたり嬉しかったり。今、私が書いている「夜の家」が日本における数少ない「トルコの夜の家情報」だったりして。

 なぜ、このような家が・・・。
 夜の家が出来た理由は、「日没から夜明けまでに建てられた家については、その土地と家の所有権を認める」という法があったのだそう。そのために、移動してきた民族が、自分の土地と家を手に入れるべく、夜を徹し10時間ほどで家を建てた。平地に割り込むスキはなかったらしく、傾斜地やら、崖っぷちに建てた。夜のうちに建てたので、「夜の家」と呼ばれているわけ。現在もその家に住んでいる人がいた。
 金持ちの人々が、夜の家の買収し解体して、大きなアパート(日本流に言うとマンション)の建設を進めています。夜の家は、あと10年もしたら姿を消してしまうかも知れません。見たい方は、今のうちです。

 「10時間で家が建つのか?」という、低レベルな質問をしてみた。
 「そりゃあ、仲間で協力して土台の石を並べ、外側だけを何とかしたのさ。土地の所有が認められればこっちのもの。あとは時間をかけて内部を作っていったのさ」ということであった。日本でいうところの、「結(ゆい)」ですね。
 流浪の民が、協力して自分達の土地を得ていった。

 夜の家地区を走っていると、雨が降ってきた。例年なら雪になってもおかしくない時季だという。本降りの雨の中で、子供達がサッカーをして遊んでいた。「雨だから、家へ入ろう」というそぶりは全くなかった。この風景が新鮮でした。学校が休みの日の子供達の遊びは、「外遊び」。家の中で、ピコピコと電子ゲームをして遊ぶなどということは考えもつかない(見たこともないでしょう)。びしょ濡れで、クタクタになるまで外で遊んで遊んで遊びまくる。本人達には普通のことでしょうが、日本人のアンティークなオヤジから見ると、「とても幸せなことで、人生の基盤を作るすばらしいこと」です。