ゴミに埋もれかけている…これが過言ではないほどのゴミの首都カイロ。そしてピラミットがあるギザ。だからといって、エジプトが嫌いになったわけではありません。むしろ好感を持ちました。嫌いな国はないのかって?ないです。
エジプトの子供達はどこの馬の骨だか分からない私に、手を振ってくれるのです。小学生から、高校生ぐらいまで。私に手を振っても、何の得にもならないのに。損得ではなく、「あなたは外国人でしょう。大歓迎ですよ」という気持ち…。
カメラを持っていると、「撮って、撮って!」と駆け寄ってくる。一瞬、物売りの子供達かと思ったが、普通の子供達でした。折から「いけにえの祭」で、学校が休みでした。
働く子供達もよく見かけました。ロバに乗って農作物を運んだりなど。ちょうど、ブロッコリーの収穫期でした。子供には違いないのだが、体重が80kgもあろうかと思える肥満児のガキ…ではなくお子様が、やせこけたロバに乗っていました。ロバは苦しそうでした。ガキではなくお子様を、ぶっ叩いてやりたくなりましたよ。ロバは、必死で頑張っておりました…。
土産物売りの手先になっている子供達もおりました…学校へも行かず、人を騙してものを売りつける経験を積む。これではこの国の将来は…。おっと、お先真っ暗のスパイラルへ入り込むところでした。
エジプトの学校では、小学校1年生から「英語」を教える。そのためか、私へも、「How are you?」と、挨拶してくれる。習った英語を実践の場で使ってみようということ。
カイロの博物館で、ミイラを見た。ミイラ館への入場は、博物館の入館料のほかに料金を払わなければならない。1,600円(100エジプトポンド)を払って、およそ30体のミイラを見ました。我が人生で、これほど多くのミイラを見ることは二度とないでしょう。
この博物館では、見学旅行の小学生と一緒になりました。当然、「How are you?」と、私へ声がかかる。大いに気をよくした私は、話しかけてみた。コミュニケーションをとって、得意の手品を見せて人気者になろうという魂胆があった。この機会を逃すと、エジプトで英雄になることはできない。子供達の歓心を買うことができれば英雄ですから。
手始めに、「歳はいくつ?」と、問いかけた。…何と子供達は、1秒前までアグレッシブに、「How are you?」を連呼していたのに、お互いの背中に隠れてジリジリと後ずさり。その中の一人が勇気を出して、「私達エジプト人なの!」と英語で言ってくれた。「純粋無垢」という四文字熟語を思い出しました。子供って希望ですよ。シャイな子供達と私の間で成り行きを見ていた引率の先生が、「ソーリー」と…。この反応も素朴でいい感じでした。私としては、手品を見せることができず残念。英雄になることができませんでした。
ミイラ館入り口の警察が、「日本人か?」と話しかけてきた。「そうだよー。寿司食ってるヨー」と、答えた。すると、「ボールペンをくれないか!」と。・・・来た来た来た!旅行ガイドブックに、「エジプト人は、日本のボールペンをほしがるので持っていくと良い」と書かれていた。だから、バクシーシ用に5~6本持っていっていた。未使用のボールペンをあげた。警察官はあまり喜ばず、「日本人ってボールペンをくれたがるんだよなー」という程度の態度…つまり、日本人の、「ポールペンをエジプト人にあげたい」という希望を叶えるお手伝いをしてあげているんだよーということらしかった。彼の家には、数百本の日本製ボールペンがあると思います。いや、きっとある!※バクシーシは、イスラムの「喜捨」で、富める者はは貧しい者へ施しを与えなければならないという教え。私はボールペンを持っているので、惜しむ心なく喜んでほしい人に与えようという…できた人間なのです(←これは、ウソ)。
単純に日本のボールペンがほしいという人もいた。みやげものを見ていたら、店員がくっついてきた。押し売りする気かなと思っていたら、「日本人か?(私の胸のポケットからのぞいていたボールペンを指さして)そのボールペンと、私のこのペンを交換しないか?私のは凄く書きやすいんだぞー」。そのペンは、「どこのピラミットから掘り出してきたんだ?」というほど古風な代物。私は日本から持っていったボールペンをあげた。店員は、ピラミットから盗掘してきたと思われる古風なボールペンを私にくれるといって追いかけてきた。そんな小汚いボールペンなどほしくない。振り払うのに苦労しました。
人々との交流の中で、エジプトが好きになってきましたよ。
エジプトの子供達はどこの馬の骨だか分からない私に、手を振ってくれるのです。小学生から、高校生ぐらいまで。私に手を振っても、何の得にもならないのに。損得ではなく、「あなたは外国人でしょう。大歓迎ですよ」という気持ち…。
カメラを持っていると、「撮って、撮って!」と駆け寄ってくる。一瞬、物売りの子供達かと思ったが、普通の子供達でした。折から「いけにえの祭」で、学校が休みでした。
働く子供達もよく見かけました。ロバに乗って農作物を運んだりなど。ちょうど、ブロッコリーの収穫期でした。子供には違いないのだが、体重が80kgもあろうかと思える肥満児のガキ…ではなくお子様が、やせこけたロバに乗っていました。ロバは苦しそうでした。ガキではなくお子様を、ぶっ叩いてやりたくなりましたよ。ロバは、必死で頑張っておりました…。
土産物売りの手先になっている子供達もおりました…学校へも行かず、人を騙してものを売りつける経験を積む。これではこの国の将来は…。おっと、お先真っ暗のスパイラルへ入り込むところでした。
エジプトの学校では、小学校1年生から「英語」を教える。そのためか、私へも、「How are you?」と、挨拶してくれる。習った英語を実践の場で使ってみようということ。
カイロの博物館で、ミイラを見た。ミイラ館への入場は、博物館の入館料のほかに料金を払わなければならない。1,600円(100エジプトポンド)を払って、およそ30体のミイラを見ました。我が人生で、これほど多くのミイラを見ることは二度とないでしょう。
この博物館では、見学旅行の小学生と一緒になりました。当然、「How are you?」と、私へ声がかかる。大いに気をよくした私は、話しかけてみた。コミュニケーションをとって、得意の手品を見せて人気者になろうという魂胆があった。この機会を逃すと、エジプトで英雄になることはできない。子供達の歓心を買うことができれば英雄ですから。
手始めに、「歳はいくつ?」と、問いかけた。…何と子供達は、1秒前までアグレッシブに、「How are you?」を連呼していたのに、お互いの背中に隠れてジリジリと後ずさり。その中の一人が勇気を出して、「私達エジプト人なの!」と英語で言ってくれた。「純粋無垢」という四文字熟語を思い出しました。子供って希望ですよ。シャイな子供達と私の間で成り行きを見ていた引率の先生が、「ソーリー」と…。この反応も素朴でいい感じでした。私としては、手品を見せることができず残念。英雄になることができませんでした。
ミイラ館入り口の警察が、「日本人か?」と話しかけてきた。「そうだよー。寿司食ってるヨー」と、答えた。すると、「ボールペンをくれないか!」と。・・・来た来た来た!旅行ガイドブックに、「エジプト人は、日本のボールペンをほしがるので持っていくと良い」と書かれていた。だから、バクシーシ用に5~6本持っていっていた。未使用のボールペンをあげた。警察官はあまり喜ばず、「日本人ってボールペンをくれたがるんだよなー」という程度の態度…つまり、日本人の、「ポールペンをエジプト人にあげたい」という希望を叶えるお手伝いをしてあげているんだよーということらしかった。彼の家には、数百本の日本製ボールペンがあると思います。いや、きっとある!※バクシーシは、イスラムの「喜捨」で、富める者はは貧しい者へ施しを与えなければならないという教え。私はボールペンを持っているので、惜しむ心なく喜んでほしい人に与えようという…できた人間なのです(←これは、ウソ)。
単純に日本のボールペンがほしいという人もいた。みやげものを見ていたら、店員がくっついてきた。押し売りする気かなと思っていたら、「日本人か?(私の胸のポケットからのぞいていたボールペンを指さして)そのボールペンと、私のこのペンを交換しないか?私のは凄く書きやすいんだぞー」。そのペンは、「どこのピラミットから掘り出してきたんだ?」というほど古風な代物。私は日本から持っていったボールペンをあげた。店員は、ピラミットから盗掘してきたと思われる古風なボールペンを私にくれるといって追いかけてきた。そんな小汚いボールペンなどほしくない。振り払うのに苦労しました。
人々との交流の中で、エジプトが好きになってきましたよ。