アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

死を覚悟の再渡仏

2021年06月03日 | Weblog
 「なんでも鑑定団」に、佐伯祐三の絵が出てきまして、結果は「本物」。14号ほどの絵でしたが、「600万円」という高値でした。
 大阪が生み、パリに逝った画家、佐伯祐三。もう昔のことですが、記念行事が行われたとき、「佐伯祐三展」へ行ってきました。なぜ、わざわざ飛行機に乗って佐伯祐三展だったのかって?純粋に、「鑑賞したかったから」ですね。

 半世紀前、画
学生は、知れる限り全員が、「パリ」を目指していました。
 藤田嗣治、佐伯祐三、川島理一郎、前田寛治、里見勝蔵、小島善太郎、木下孝則、荻須高徳、山口長男、大橋了介、横手貞美…みなパリで学びました。画家以外でも、 金子光晴(詩人)、薩摩治郎八(作家であり、大富豪。フランスで10年間に約600億円を浪費したという華麗な暮らしから「バロン薩摩」と呼ばれた伝説の人物)、島崎藤村もパリへ行きました。もちろん、モディリアーニ、スーティン、パスキン、ピカソ、ザッキン(雑菌ではない)…。ルソー、キスリングも。

 「パリヘ行けば何とかなる」私の学生時代も、友人・知人の画学生達は、とにかく会うたび、「パリへの夢」を語っていました。(たまたま、アルバイト先が画学生御用達みたいなところでして…彼らはパリヘの夢は語るのですがぁ、肝心の創作活動をいつしていたんだか…?)。彼らの話に、毎度必ず登場するのが、「佐伯祐三」。名前はあまりにも有名ですが、作品を知っているとか、生涯を知っている人は少なくなってしまいました。折から、「なんでも鑑定団」に作品が出てきたものですから、当時のことやら、佐伯祐三らがバケツをひっくり返したように思い出されまして…。

 祐三のアウトラインは…
 大阪生まれで、高校まで大阪に。東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業後、パリヘ。一度帰国し、再びパリヘ。パリで死去、享年30歳。

 6年間の画家生活で、およそ550点の作品を描きました。油絵を描いたことがある人は、6年間で550作品は、「アンビリーバブル」でしょう。しかし、本当なのです。
 そのことを物語っている事実があります。それは、あまりにも描くのが速いため、カンバスが間に合わない。祐三はどうしたか?
 完成した作品の裏(カンバスの裏)に、また別の作品を描いたのです!こんな画家、縄文まで遡っても祐三以外におりませんからっ!
 で、自慢ですが、祐三展では、「裏面の絵の写真を横に掲載したり」「壁に飾らずにフロアについたて(衝立)のように立て、裏表の絵が見えるように」展示していました。そんな絵画展…もう見られないんじゃないかなあ。