アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ほら出た!平等が悪平等、ジェンダーフリーの逆差別、九大入試の「女性枠」

2011年07月27日 | Weblog
 結局は取りやめになりましたが、九州大学が理学部数学科の12年度後期入試で、「女性枠」を導入しようとしました。「定員9人のうち5人を女性に割り当てる」というもの。
 これって、近年台頭してきた「男女共同参画」。早い話が、先日私が書いた、「クオータ制」です。「クオータ」は「 quota 」で、「4分の1」の「クォーター(quarter)」ではない。9人中5人ですから、これは凄いです。なお、quotaの意味は、「割り当て(分配)」。

 「クオータ」は、人が関わる全分野ですが、「男女共同参画」は、いわゆる、「gender equality」。男女に限定されます。これがいいか悪いかという問題ではありません。すでに、法律になっているわけですから(男女共同参画社会基本法)。
 「…男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ…」
 「均等に」の部分から、九州大学では数学科9人の定員を「男4,女5」としようとした。どうして数学科だけ?という疑問も残るが、些末なので先へ行きます。

 九大は、女性枠を取りやめたわけですが、その理由は…「法の下の平等」に抵触する恐れがある。つまり、憲法違反。と、いうことはもうやめちゃったけど女性枠を設けていた金澤工業大学などは、憲法違反をしていたわけだ!
 
 日本は、女性研究者が少ない。大学民間を含めた女性研究者の比率は、13.0%で、世界的にも最低レベル。アメリカの約3分の1(アメリカは、34.3%)です。これは問題です。なぜなら、発想には性差があるから、男性ばかりでは、「硬直」してしまう。多様性、意外性がなければ新たな発想につながらない。つまり、均等にならないまでも、女性研究者を増やすことが日本にとって必要なことであるわけです。特に、技術立国日本ですから、理科系女性研究者を何としても増やさなければなりません。
 だったら、九大が行なおうとしたことを、日本中に広めるといいんじゃないかということになります。

 女性研究者が増えないのにはそれなりの理由があります。
 第一に、研究と家庭を両立しなければなりません。公務員や、パートなら家庭との両立は十分可能ですが、「研究職」は…。
 第二に、家庭との両立という中の研究となれば、男性研究員の「目」を意識することになる。「気にするな」と、言われると余計に気になる。
 そして、第三に、出世。女性であることが有利に働くとは考えづらい。

 ではどうしたらいいか?「クオータ制」しかないでしょう。研究者の女性の比率を30%以上と、決めてしまう。女性研究者の家庭への支援を手厚くし、出世のレールも機械的に敷いてしまう。「50歳になれば教授になっている」というふうに。

 「だから、それでは憲法違反で逆差別だ」だって?いつも主張させていただいておりますが、「平等」など存在しないのです。
 「9人中、5人は女性を合格させる」…この5人の入試成績が、9番以内に入っていないことだってある。つまり、成績が悪くても合格してしまう。だから不平等。
 しかし、どうしても女性を入れたいんでしょう!だったら、不平等でもいいという考えに立たなければならないでしょう!特に「研究」は、成績がいい人だけがやってもダメなんです。男女が入っていなければ。
 「研究職のクオータ制」今後、進められるでしょう。なぜ「男女共同参画」と言わないんだって?その言葉、言葉の裏で「男女は不平等に決まっているだろうがぁ!」と語っている。それなのに、いかにも「男女平等」という顔をしているのが気に入らんとでごわす。