今日は母と月島へいった。
月島は私の両親が結婚してはじめて住んでいたところだ。私が母のお腹にいたころだったから、私は月島の事はまるで知らない。それでも両親が昔住んでいた町というだけでも感慨深いものである。
先日、母が書道家であった父の昔の作品がでてきたので取りに来てほしいという連絡を受けた。連絡してくれた方は月島の父の書道の先生だった。6年前に父は他界しているので、私と母が取りに行くことになったのである。
有楽町線・月島駅で降りて、出口7番をでると「もんじゃストリート」でおなじみの西仲通りがある。本当にたくさんのもんじゃ焼きのお店が軒を連ねていてほのかにもんじゃの香りがしてきた。
約束の時間より大分早めについたので、もんじゃ焼きでも食べていこうといい、母が地元の人をつかまえて、どこの店がおいしいのか聞いてみた。地元の人は少し困ったような顔になり、「地元の人間はあまり行かないのよねぇ」という。
いつだったか、札幌に住むいとこに「雪祭り、見に行った?」と聞いた時、「地元の人間は行かないのよね。」と同じようなことを言っていたのを思い出した。そんなものなんだな、どこでも。
昼の1時ころだったが、あいているもんじゃの店は少なかった。ほとんどの店は夕方5時頃から開店だそうだ。「たんぽぽ」というかわいらしい名のお店で感じのいいお店のお姉さんにもんじゃ焼きのご指導を賜り、食べた。ソースの焦げる匂いが食欲をそそる。「たんぽぽスペシャル」はおいしかった。
その後、父の師匠のところに作品を取りに伺う。師匠は83歳になるらしい。父の作品を箱から出して見せてくださった。父は雅号(書道家の名前)を何回か変えておりその雅号から20年前の作品であることがわかった。
書は面白いものでその人の性格が出ていたりする。作品は隷書体ですっきりとした強い線で書かれていた。生真面目で頑固な父の性格が現れていた。
さすがは父だ、うまいな。作品を見ながら父が元気でいたころもっと教えてもらえばよかったと思った。
「ここら辺もずいぶんと変わったねぇ」
「お前がおなかにいたころ、聖路加病院で腹帯をしてもらったんだよ。」と母が懐かしそうに言う。
父と母が昔住んでいた晴月橋のちかくは今では晴海アイランドトリトンスクエアになっている。
母が通った聖路加病院は昔からのチャペルがあり誰でも入ることができる、新しくできた聖路加タワーの最上階は展望室になっていて月島、佃島がよくみえる。
佃島の佃煮の老舗「天安」から住吉神社・佃公園あたりは昔の面影があるのだが、その先は高層マンションがたっている。新・旧が同居しているといった感じだ。昔の月島・佃島はどんな感じだったろうか。
ちょっと路地をのぞいたら、結構昔の家があるんだな。狭い路地の向こう側に昭和の時代の若かりしころの両親の姿を垣間見た感じがした。
月島は私の両親が結婚してはじめて住んでいたところだ。私が母のお腹にいたころだったから、私は月島の事はまるで知らない。それでも両親が昔住んでいた町というだけでも感慨深いものである。
先日、母が書道家であった父の昔の作品がでてきたので取りに来てほしいという連絡を受けた。連絡してくれた方は月島の父の書道の先生だった。6年前に父は他界しているので、私と母が取りに行くことになったのである。
有楽町線・月島駅で降りて、出口7番をでると「もんじゃストリート」でおなじみの西仲通りがある。本当にたくさんのもんじゃ焼きのお店が軒を連ねていてほのかにもんじゃの香りがしてきた。
約束の時間より大分早めについたので、もんじゃ焼きでも食べていこうといい、母が地元の人をつかまえて、どこの店がおいしいのか聞いてみた。地元の人は少し困ったような顔になり、「地元の人間はあまり行かないのよねぇ」という。
いつだったか、札幌に住むいとこに「雪祭り、見に行った?」と聞いた時、「地元の人間は行かないのよね。」と同じようなことを言っていたのを思い出した。そんなものなんだな、どこでも。
昼の1時ころだったが、あいているもんじゃの店は少なかった。ほとんどの店は夕方5時頃から開店だそうだ。「たんぽぽ」というかわいらしい名のお店で感じのいいお店のお姉さんにもんじゃ焼きのご指導を賜り、食べた。ソースの焦げる匂いが食欲をそそる。「たんぽぽスペシャル」はおいしかった。
その後、父の師匠のところに作品を取りに伺う。師匠は83歳になるらしい。父の作品を箱から出して見せてくださった。父は雅号(書道家の名前)を何回か変えておりその雅号から20年前の作品であることがわかった。
書は面白いものでその人の性格が出ていたりする。作品は隷書体ですっきりとした強い線で書かれていた。生真面目で頑固な父の性格が現れていた。
さすがは父だ、うまいな。作品を見ながら父が元気でいたころもっと教えてもらえばよかったと思った。
「ここら辺もずいぶんと変わったねぇ」
「お前がおなかにいたころ、聖路加病院で腹帯をしてもらったんだよ。」と母が懐かしそうに言う。
父と母が昔住んでいた晴月橋のちかくは今では晴海アイランドトリトンスクエアになっている。
母が通った聖路加病院は昔からのチャペルがあり誰でも入ることができる、新しくできた聖路加タワーの最上階は展望室になっていて月島、佃島がよくみえる。
佃島の佃煮の老舗「天安」から住吉神社・佃公園あたりは昔の面影があるのだが、その先は高層マンションがたっている。新・旧が同居しているといった感じだ。昔の月島・佃島はどんな感じだったろうか。
ちょっと路地をのぞいたら、結構昔の家があるんだな。狭い路地の向こう側に昭和の時代の若かりしころの両親の姿を垣間見た感じがした。