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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

じんじんと・・・・

2006-09-07 00:49:12 | キリスト教(行事、他)
人差し指がいたいのさっ・・・。

なんでかって?


久しぶりに切り絵をやってました。はじめたらやめられなくなって・・・ず~とカッターナイフを持って・・・こつこつときってましたよ、夜中まで・・・・。切り絵をするようになったのは前にも記事にしてるから、知りたい人はこのページにある検索機能で「切り絵」で検索してみてね。

2年くらい前から教会の掲示板を飾らせていただいている。
そこに切り絵の聖画を時々飾らせていただいているのだ。でもここの所いろいろと考えるところがあって、また、からだの調子の悪い事もありまったく切り絵ができなくなっていた。まったく場面がうかんでこなかった。っというより場面が浮かんだとしてもつかめてこないといったところだろうか。

今回の場面はルカの福音書から、5章4節から11節。イエスが船に乗り、民衆から少し間をおいたところでたとえ話をし終たところ。

4.話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」といわれた。

5.するとシモンが答えて言った。「先生。私達は夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉通りに、網を下ろしてみましょう。」

6.そしてそのとおりにすると、たくさんの魚が入り網は破れそうになった。
7.そこで別の、さらに魚を船に揚げると2艘とも沈みそうになった。

8.これを見たシモン・ぺテロはイエスのあしもとにひれふして、「主よ。私のよ  うなものから離れてください。私は、罪深いものですから」と言った。

9.それは、大漁のため、彼も一緒にいたみなのものも、ひどく驚いたからである。

10. シモンの仲間であった ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。
   イエスはシモンにこういわれた。「怖がらなくてよい。これから後、
   あなたは人間をとるようになるのです。」

11.彼らは、船を陸に着けると、何もかも捨ててイエスに従った。

と、以上のような場面を切っていたのである。いい大人の男が漁師の命である網も何もかも捨ててイエスに従っていくのだ。きっとなにもかもゆだねて生きてゆくってこういうことなんだろう。

今の私の問題をイエスにゆだねよう。そんな気持ちになった時この場面が一つの絵としてうかんできた。今なら切り絵ができる。そう思ってカッターを手にしたらどんどん絵になっていった。今すごくにすがすがしい気持ち。主イエスが「怖がらなくてよい」といっておられるのだから。切り絵を作ることも私にとっては賛美だ。そして神様の導きなくしてできないと思っている私なのだ。