これは私が見聞きした9.11だ。
その日は青空のきれいな良く晴れた朝だった。
私達家族はアメリカ・コネチカット州グリニッチにすんでいた。だんなはすでにマンハッタンに出勤。長男はスクールバスで現地中学へ、私は次男を日本人学校のバス停まで送って家に戻ったところだった。さあ、これから洗濯でもしようかと思ったところへ、突然、電話がなったのだった。
電話は日本にいる母からで、切羽詰った声だった。「OOちゃん(だんなの名前)ところは大丈夫なの?!」
「え?なんのこと?」
「テレビつけてごらん!すごい事になってるよ!」
テレビを見て言葉を失ってしまった・・・ワールドトレードセンターが火を噴いていた。
だんなと連絡を取るからととりあえず電話を切った。私の英語力では何がどうなっているのか把握できないので衛星放送のNHKに切り替え今何が起こっているのかを理解しようとしていた。
そのうち階下にすむ日本人の友達もやってきて、事の成り行きを見守っていた。
彼女のだんなさんは銀行員で無事な事が確認された。うちのだんなには何回か電話をかけたが、電話はつながらなかった。会社はグランドセントラル駅のすぐ近くだったのでワールドトレードセンターとはなれたところにあり、多分大丈夫だろうと思ってはいてもやはり異常事態なだけに心配だった。
「うそぉ!」
ワールドトレードセンタービルが崩れていく。私の頭の中ではもうすぐ炎は沈下されるだろうと思い、まさかくずれるなどということは・・・・。
ワールドトレードセンターには展望台があり、長男が行きたがっていたので連れて行ったことがある。あの場所が今、炎の中で崩れている。
なんだか、夢を見ているような映画をみているような変な感覚だった。
何回か電話をかけてやっとだんなとつながった。だんなのオフィスからもワールドトレードセンターから煙が上がっているのを見ることができたという事だ。またグランドセントラル駅に爆弾が仕掛けられているかもしれないというがデマが流れていて避難していたという事だった。
お昼になって長男の通うミドルスクールに行かなくてはならなかった。
長男はその障碍のために日本人学校編入を断られてからミドルスクールに入学したので他の子ども達よりも入学が1週間遅れてしまったため「スクールナースが薬を与えてもよい」という許可書類も遅れていたので今日は私が薬を飲ませなければならないので学校まで行ったのだった。
学校に着くと先生と思われる人に抱きかかえられて泣き崩れている女の子が2人いた。きっと親がテロの犠牲になったのだろうとおもわれた。人々の顔にはみなこのことへの動揺が見られた。ただ空がいつものように青く、鳥は美しいさえずりを聞かせ、静かでとても矛盾した世界に思えた。
後の新聞で知ったのだが、このグリニッチの街では11人の犠牲者がいたということだ。ワールドトレードセンターの中で働いていた人が多かったが、搭乗者もいた。その中には長男の行っていた小学校でボランティアコーディネーターをしていたとても親切なGさんのご主人もいらっしゃった。Gさんのご主人は航空関係者であのペンシルベニアに落ちたユナイテッド93便にいたのだった。Gさんとはたった1回しか話した事はなかったが、こんなに身近なところに犠牲者がいることが信じられなかった。
つづく・・・・。
その日は青空のきれいな良く晴れた朝だった。
私達家族はアメリカ・コネチカット州グリニッチにすんでいた。だんなはすでにマンハッタンに出勤。長男はスクールバスで現地中学へ、私は次男を日本人学校のバス停まで送って家に戻ったところだった。さあ、これから洗濯でもしようかと思ったところへ、突然、電話がなったのだった。
電話は日本にいる母からで、切羽詰った声だった。「OOちゃん(だんなの名前)ところは大丈夫なの?!」
「え?なんのこと?」
「テレビつけてごらん!すごい事になってるよ!」
テレビを見て言葉を失ってしまった・・・ワールドトレードセンターが火を噴いていた。
だんなと連絡を取るからととりあえず電話を切った。私の英語力では何がどうなっているのか把握できないので衛星放送のNHKに切り替え今何が起こっているのかを理解しようとしていた。
そのうち階下にすむ日本人の友達もやってきて、事の成り行きを見守っていた。
彼女のだんなさんは銀行員で無事な事が確認された。うちのだんなには何回か電話をかけたが、電話はつながらなかった。会社はグランドセントラル駅のすぐ近くだったのでワールドトレードセンターとはなれたところにあり、多分大丈夫だろうと思ってはいてもやはり異常事態なだけに心配だった。
「うそぉ!」
ワールドトレードセンタービルが崩れていく。私の頭の中ではもうすぐ炎は沈下されるだろうと思い、まさかくずれるなどということは・・・・。
ワールドトレードセンターには展望台があり、長男が行きたがっていたので連れて行ったことがある。あの場所が今、炎の中で崩れている。
なんだか、夢を見ているような映画をみているような変な感覚だった。
何回か電話をかけてやっとだんなとつながった。だんなのオフィスからもワールドトレードセンターから煙が上がっているのを見ることができたという事だ。またグランドセントラル駅に爆弾が仕掛けられているかもしれないというがデマが流れていて避難していたという事だった。
お昼になって長男の通うミドルスクールに行かなくてはならなかった。
長男はその障碍のために日本人学校編入を断られてからミドルスクールに入学したので他の子ども達よりも入学が1週間遅れてしまったため「スクールナースが薬を与えてもよい」という許可書類も遅れていたので今日は私が薬を飲ませなければならないので学校まで行ったのだった。
学校に着くと先生と思われる人に抱きかかえられて泣き崩れている女の子が2人いた。きっと親がテロの犠牲になったのだろうとおもわれた。人々の顔にはみなこのことへの動揺が見られた。ただ空がいつものように青く、鳥は美しいさえずりを聞かせ、静かでとても矛盾した世界に思えた。
後の新聞で知ったのだが、このグリニッチの街では11人の犠牲者がいたということだ。ワールドトレードセンターの中で働いていた人が多かったが、搭乗者もいた。その中には長男の行っていた小学校でボランティアコーディネーターをしていたとても親切なGさんのご主人もいらっしゃった。Gさんのご主人は航空関係者であのペンシルベニアに落ちたユナイテッド93便にいたのだった。Gさんとはたった1回しか話した事はなかったが、こんなに身近なところに犠牲者がいることが信じられなかった。
つづく・・・・。