風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

9.11 それから

2006-09-12 21:59:37 | Weblog
つづきだよ。

教会では緊急の祈り会が開かれた。皆、犠牲者のために、傷ついた人のために、悲しんでいる人のために、家族のために主の慰めと癒しと平安があるように祈った。そしてこのテロに対して戦争という行為に及ばないように。

その時、牧師先生がやりきれないような顔で言ったことがある。会堂として部屋を借りているルーテル教会でも緊急の礼拝があり、牧師夫妻が出席していたのだ。その礼拝でルーテル教会の牧師はこういったのだという。

「パールハーバーの悲劇が再び起こりました。」

なんと教会のメッセージでパールハーバーが引き合いに話をしたのだった。日本人として出席していた牧師夫妻にとってはさぞかし居心地の悪い思いをしたに違いない。もともとグリニッチの街自体にパールハーバーで犠牲になった軍人の記念碑がたっていたりするところで、そのルーテル教会の中にもそのことで日本人を忌み嫌っている教会員がいたということだ。

パールハーバー現象は何もこの教会だけに限らなかった。テレビをつければやはり自爆テロ=パールハーバーなのだ。悪の象徴としてのパールハーバーなのである。だからこのテロの後どこに行ってもパールハーバーを引き起こした日本を非難されているようで嫌な感じだった。

元々愛国心が強い国である。街は日を追うごとに星条旗が増えていった。思わず戦時中の日本を思い起こした。そして街のいたるところでお葬式。いたるところでバグパイプがアメイジング・グレイスを奏でていた。

しかし、こういうときのアメリカ人の行動力はすごいと思う。
長男のミドルスクールでは必死に捜索活動をするファイアファイターのためのランチを1人2つ作ってくることになった。この非常事態に「自分達にできる何かをしよう」というのである。私もサンドイッチと飲み物、りんご、スナックなどをブラウンバッグに入れてPTAの回収ボックスまでもっていった。また、テロ当日の交通の諸事情から帰れなくなった人がいて、全く知らない人なのに親切にも自宅に止めてくれた人もいたという。

私達の教会ではワールドトレードセンターのオフィスにいて、九死に一生を得た方が心の平安を求めて集うようになった。また、このことがきっかけになり洗礼に導かれた方もいた。また友人はその頃生まれた新しい命にミドルネームとして正義という意味の「JUSTICE」という名前をつけた。

同時テロから3ヵ月後。極寒のグランド・ゼロに家族で祈りを捧げに行った。崩れたビルの粉塵と思われる粉がまだ街のいたるところにあり、グランド・ゼロ周辺は尋ね人の写真張り紙、キャンドルや花が無数にあった。グランド・ゼロは幕で周りを覆われていて所々破れたところから崩れたワールドトレードセンタービルの瓦礫の山が見え隠れしていた。

「泣くなよ。」長男がぽつりと言う。彼は私が泣き虫なのを知っている。そして私が泣くのが長男は大嫌いなのだ。でも涙があふれてしまった。何でこんな事がゆるされるんだろう。その瓦礫の中にまだ数え切れないほどの犠牲者の遺体があるのだ。

帰国間際にもこの地にたったが、その時にはもう幕は泣く瓦礫の山もほとんどきれいになっていた。その代わりビルの鉄筋で作った十字架がたっていた。その十字架を見たとき聖歌の「遠き国や」がおもいだされた。

遠き国や海の果て
いずこに住む民もみよ
慰めもて、かわらざる
主の十字架は輝けり
慰めもてながために
慰めもてわがために
揺れ動く地に立ちて
なお十字架は輝けり

時々神様に抗議したくなる。いつまで悪者をほおっておくんですか?と。
でも今の状態が御心であるわけがない。自分勝手な人間達が勝手に神の名を語って戦っているだけだ。

私には何もできないけれどただいのるだけ。
痛んだ人々に癒しと平安があるように。いつの日にか、お互いが尊重と理解を通して手をつなぎ平和にいたるようにと切に祈るだけだ。