レッスンをしていて、とても感心しました。
連弾曲集「おとのくにへ」を使っている生徒さん。
この曲集は、最後の1曲以外は不思議の教本上巻で作られた曲です。
ということは、まだレガートは習っていない時です。
さて感心した生徒さん。
この生徒さんの曲も曲集に載っています。今は下巻でレガートを習っています。
なので、曲のイメージに合うレガートならスラーを書き込んで良いと話しました。
そうしましたら、「作った人に悪くないかな」と言いました。
このような感覚を持ち合わせているとは、驚きました。
もちろん、楽譜に書かれていることを勝手に書き換えてはいけません。その事は言いました。
しかし、今はスラーもクレッシェンド、デクレッシェンドも知っています。曲をより良いものにできるなら使って良いと話しました。
その曲を作った人も、作った時はスラー、クレッシェンド、デクレッシェンドは知らなかったから書いていないだけです。
書いてなければ何もしない、ではないのが楽譜の読み方です。
古い時代のものほど書いていないことが多いので、自分で読み取らなければいけません。
モーツァルトのピアノソナタの楽譜でさえ、初期のものはフォルテとピアノしかなく、そこからクレッシェンドやデクレッシェンドを読み取らなければいけませんし、少し後の作品でも新しい記号メゾフォルテが極端に少なかったり、クレッシェンドはあるけれどデクレッシェンドはない、など現代のように記号が全て揃ってはおりません。
書いてあることをよく見ては当たり前ですが、初歩の段階で書いていないことを読み取って、をまさかここで出来るとは思ってもみませんでした。
そして、作った人を敬うというとても大切なこと。
曲を作ったからわかる作った人の気持ち。
本当に素晴らしい。