久しぶりにのんびりした土曜日を過ごしています。
娘、楽しみにしていたアマゾナス劇場でのコンサート、キャンセルしました。
理由は、昨日になって急に、25日の日曜日だったはずのコンサートが、今週18日の日曜日に変更になったから。
その変更も、ピアノの先生のご主人が、たまたま州の音楽学校のサイトを見たら18日になっていた、とあわてて先生に連絡してきたからだとか。
大学で会議中だった先生が、すぐに連絡してきてくれたのです。
すぐにとはいっても、その時点ですでに金曜日の夕方5時過ぎ。
もし、先生のご主人が機がつかなかったら、土曜日のリハーサルまで言わないつもりだったの?
現在学校の試験中の娘、ピアノの練習のために、計画を立て、勉強とピアノと頑張ってきたのに、いきなりの変更。
ピアノの練習の時間を作るために、帰宅後はすぐに練習、朝は3時に起きて勉強をする毎日でした。
足りない睡眠を補うのは、もっぱら車の中。
朝も車に乗り込むなりシートに横になって眠ってしまう日もありました。
そんな本人の頑張りを知っている母としてへ、今回の何の配慮もない変更の知らせには、本当に腹が立ちました。
本人、かなり悩んだようです。
でも、「今週舞台で弾く自信がない。」とのこと。
なので、私が直接指揮者の先生に電話。
「今週では、娘のコンディションが整っていないので、参加は見合わせる。」と伝えました。
指揮者の先生は「ピアノの先生は、サフィーリア(娘の名前)は、もう完璧にできていると言っていた。」と言うのですが、私の言うコンディションとは技術的なことではないんですよね。
「身体的、精神的なコンディションが整っていないので、参加させません。」と重ねて伝えました。
オーケストラには迷惑をかけるのは重々承知の上ですが、気持ちの上でコンサートに向かった気持ちになっていないのに舞台に上がっては、きっと舞台の上で何か大変な失敗があるに違いない、と娘も私も思ってしまうのです。
そうなって迷惑をかけるよりは、わがままと思われても、気に染まないコンサートには参加しない。
そういう選択ができた娘を「えらい!」と思います。
観客の立場になってみても、技術的に完璧にできているから弾くだけの演奏より、「この曲を弾きたい」という気持ちで弾いている演奏のほうが、絶対に聴いていて魅力的なはず。
ピアニストを目指しているわけではない娘、少なくてもそういう「ピアノを弾く気持ち」だけは育てていってほしいと思っていました。
なので、今回の娘の選択を聞いて、母は、本当に「成長したな~」と思いました。
娘、しばらく泣いていましたが、自分で決めたことです。
気持ちを切り替えたように、今日もいつもの練習曲を弾いていました。
一年間練習してきたこの曲、きっと無駄にはなっていないはず。
これからも、今回の選択をしたつらい気持ちをずっと忘れずに、もっともっと大きく育っていってほしいと思います。
娘、楽しみにしていたアマゾナス劇場でのコンサート、キャンセルしました。
理由は、昨日になって急に、25日の日曜日だったはずのコンサートが、今週18日の日曜日に変更になったから。
その変更も、ピアノの先生のご主人が、たまたま州の音楽学校のサイトを見たら18日になっていた、とあわてて先生に連絡してきたからだとか。
大学で会議中だった先生が、すぐに連絡してきてくれたのです。
すぐにとはいっても、その時点ですでに金曜日の夕方5時過ぎ。
もし、先生のご主人が機がつかなかったら、土曜日のリハーサルまで言わないつもりだったの?
現在学校の試験中の娘、ピアノの練習のために、計画を立て、勉強とピアノと頑張ってきたのに、いきなりの変更。
ピアノの練習の時間を作るために、帰宅後はすぐに練習、朝は3時に起きて勉強をする毎日でした。
足りない睡眠を補うのは、もっぱら車の中。
朝も車に乗り込むなりシートに横になって眠ってしまう日もありました。
そんな本人の頑張りを知っている母としてへ、今回の何の配慮もない変更の知らせには、本当に腹が立ちました。
本人、かなり悩んだようです。
でも、「今週舞台で弾く自信がない。」とのこと。
なので、私が直接指揮者の先生に電話。
「今週では、娘のコンディションが整っていないので、参加は見合わせる。」と伝えました。
指揮者の先生は「ピアノの先生は、サフィーリア(娘の名前)は、もう完璧にできていると言っていた。」と言うのですが、私の言うコンディションとは技術的なことではないんですよね。
「身体的、精神的なコンディションが整っていないので、参加させません。」と重ねて伝えました。
オーケストラには迷惑をかけるのは重々承知の上ですが、気持ちの上でコンサートに向かった気持ちになっていないのに舞台に上がっては、きっと舞台の上で何か大変な失敗があるに違いない、と娘も私も思ってしまうのです。
そうなって迷惑をかけるよりは、わがままと思われても、気に染まないコンサートには参加しない。
そういう選択ができた娘を「えらい!」と思います。
観客の立場になってみても、技術的に完璧にできているから弾くだけの演奏より、「この曲を弾きたい」という気持ちで弾いている演奏のほうが、絶対に聴いていて魅力的なはず。
ピアニストを目指しているわけではない娘、少なくてもそういう「ピアノを弾く気持ち」だけは育てていってほしいと思っていました。
なので、今回の娘の選択を聞いて、母は、本当に「成長したな~」と思いました。
娘、しばらく泣いていましたが、自分で決めたことです。
気持ちを切り替えたように、今日もいつもの練習曲を弾いていました。
一年間練習してきたこの曲、きっと無駄にはなっていないはず。
これからも、今回の選択をしたつらい気持ちをずっと忘れずに、もっともっと大きく育っていってほしいと思います。