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「死刑」と「私刑」

2014年11月17日 | ブラジル雑記
先日の日本のテレビで、誘拐殺人犯が今年の初めに死刑執行されていたというニュースを見ました。
事件が起こってから8年?9年?ぐらいでした。
被害にあった方のご家族としては、すぐにでも執行して欲しいと思われていたことでしょうが、私としては「死刑」という人の命のかかわることだけに、意外に短い期間に刑が執行されてしまうんだと驚きもありました。
もちろん、そこには犯人がすぐに確定できたこと等、刑の執行までに必要な条件がそろったということもあるのでしょうが。

ブラジルには「死刑」がありません。
カトリックが国教のような位置を占めるここでは、人の死を持って死を償うことは不適切なことととららえられています。

公的にはそうなのですが、実際には「私刑」と位置づけられる「死刑」があります。
日本では「私刑」と書くと「リンチ」と約されることが多いのですが、この場合読んで字の如し「公的でない死刑」ということです。

よく知られているところでは1992年に起きた「カンデラリア教会前の虐殺事件」があります。
軍警察が路上生活をする少年たちを次々に殺していったもので、その後軍警察内で事件にかかわった警官が処分を受けました。
人道的に見れば無抵抗の少年たちを殺害したひどい事件ですが、普通の市民から見れば少年たちは強盗や泥棒を働く「怖い存在」でした。
この少年たちは何度となく保護団体に保護されていましたが、そのたびに施設を抜け出し、ここに舞い戻ってしまうのです。
保護ボランティアの人たちは少年たちを危険な目にあわせないように、一生懸命に努力していたようですが、そうした努力も届かなかったようです。
世論的には少年たちを殺した軍警察を非難する発言も多くでましたが、市民たちの実際の思いの中には「これでセントロの危険が少なくなる」という気持ちがありました。
このときは、カンデラリア教会前だけでなく、リオ市内の数箇所で同じような事件が起こりました。
このとき虐殺を逃れた少年たちは、その後混乱を避けるために政府によって外国である期間過ごすよう措置をとられたと聞きました。

それから10年ほど経った頃でしょうか?
リオ市内でバスジャック事件が起こりました。
「174番オニブス バスジャック事件」です。
このときの犯人は「カンデラリアの虐殺」の生き残りだそうです。
丸一日バスに立てこもった犯人は投降した後、警察に運ばれる車の中で首の骨を折られて死んだそうです。

こうした事件がいわゆる「死刑」の顕著たるものでしょう。

新聞によると、昨年2013年一年で警察は2212人を「処刑」したそうです。
それに対して警察側も490人が殉職しているそうです。
この「処刑」された犯罪所の数字が多いのか少ないのかは人によってとらえらえ方が異なると思います。
でも、実際の問題として、これだけの数の人が「処刑」されても、まだまだ「刑務所の過密状態」、また私たちの生活を脅かす犯罪数の多さ、また犯罪の凶悪化などの問題が私達の生活のごく身近に存在しています。

ブラジルの社会の中で「死刑」という処罰がどれだけの思いを持つものなのか。
人の「死」というものが、どれだけの重みを持つものなのか。
そのことについて、まず考えてみるところからはじめるべきなのかもしれません。
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