アマゾンわんわん日記 2018

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あっちと こっちの 話題

2016年05月27日 | 人間
日本のテレビニュースは、今日は一日中オバマ大統領の広島訪問の話題でしたね。
ブラジルのニュースでもかなり大きく取り扱っていました。

今日のセレモニーの様子を見ていてすごいな~と思ったのは、「オバマ大統領は謝罪をしろ!!」なんてシュプレヒコールを叫ぶものが全くいなかったこと。
これがほかの国だったら、絶対にあるよね。

まあ、テレビで見ただけだから、本当はそんな集まりをやっている人たちもいたのかもしれないけど…

アンケートによると、アメリカは原爆投下の事実に対して、きちんと日本に謝罪するべきだと考えている人が少なくないとのこと。

それでも、他国のトップに対して礼をもって対し、厳粛なセレモニーの場を損なわなかったのはさすが日本人だな~と思ったわ。

この件に関しては本当にいろいろな立場の人がいて、いろいろな考えの人がいると思います。
なので、「オバマ大統領はこうするべきだった」なんて、誰にも分らないこと。

でも、今日ニュースを見ていて、心に残る言葉が二つありました。
これは一般の視聴者がツイッターでニュースに自分の意見を投稿し、それが随時画面に現れるという仕組みなんですけどね。
その中で

「謝罪を求めない 勇気」という言葉があった。

相手が間違っていたら謝罪を求めるのは決して間違ったことではない。
しかし、様々な理由で、相手が「謝罪できない立場」にいる場合がある。
相手の立場を尊重し、相手が礼を尽くしてくれるなら、あえて謝罪することを求めない。
そういう勇気があっても良いのではないか、ということだそうです。

今回のオバマ大統領がまさにそうだよね。
アメリカ国内でも広島訪問に関しては様々な意見があると思うし…
そんな中、こうした時間をとってくれただけでも誠意を尽くしてくれているのでは?と思う。

もう一つの言葉は「核の哀しさを後世に伝えていきたい」
「核の恐ろしさ」「核の悲惨さ」と言う言葉はよく聞くよね。
でも「核の哀しさ」ということばは初めてだった。

「悲惨さ」「むごさ」「残酷さ」…
すべてのことをひっくるめると、究極は「哀しい」、この一言に尽きるんじゃないだろうか。
心の中が「悲しい」のではなく、自分が空っぽになってしまったような「哀しさ」。

つらかったこと、かなしかったことなどの体験を伝えていくことはそれほど難しいことではないと思う。
でも、自分が空っぽになってしまうような哀しさをどのように人に伝えるのか?
オバマ大統領がこの先、核に対してどのように取り組んでいってくれるのか、彼が感じた「哀しさ」はそこに現れてくるのでしょうね。

    *     *     *     *     *

ブラジルでは17歳の女の子が33人の男性にレイプされるという事件がありました。
これに関しては、また後日詳しいことを書こうと思います。

こうした暴力がなくなる日が来るのか??
ツイッターでも書いてる人がいたけど、
「人はこんな経験をしてきているのに、どうして戦争はなくならないんだろうね。」

本当に、まさにその通りだと思います。
コメント (2)
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