昔 むかし、まだペケママがランドセルを背負っていたころのお話。
一体 何十年前だ??
その頃 ペケママはお話を作るのが好きな小学生でした。
少し学年が大きくなると、自分で作ったお話に絵を添えて その頃はやっていた少女漫画もどきのストーリーをせっせとノートに綴っては、楽しんでいました。
そんなある日のこと、ごく身近にいる大人が 私に向かってにやにやしながら、そのノートの中のマンガの主人公の言葉を言い放ちました。
その大人は 子供をからかうつもりで 自分では冗談のつもりで言ったのでしょう。
でも、当時の私は 机の奥にしまっておいた秘密の私だけの物語の中の言葉を、無遠慮に人前にさらされ 馬鹿にしたような口調で口に出され、顔から火が出るような恥ずかしさ、怒り、そして悲しさでいっぱいでした。
あの時の気持ちは50年近くたった今でも忘れられません。
言葉というのは 人の受け売りの言葉をただ繰り返す行為ほど、相手を馬鹿にし、傷つけ、同時に自分の価値を貶めるものはないと思っています。
相手が言った言葉がどんなに腹に据えかねるものでも、一度自分の中にその言葉を取り入れ、考え、そして自分の言葉に置き換えてみるという行為をしてみることです。
もしも、それができるようならば、きっと冷静に相手の言った言葉を理解し、自分で納得できるものなのか または納得できないものなのか、納得できないとしたらどんなところが納得できないのか、考えることができると思うのです。
それをせずに、ただ相手の言葉を繰り返し、相手が黙り込むと自分が優位に立ったような気持になる人は、あっちでもこっちでも 同じことを繰り返すのです。
で、そのうちに 誰からも相手にされなくなる。
そういう人って必ず周囲にいますよね。
いや、自分がそうだったりしてね。
私が20年たった今でも忘れられない、そしてそれを忠実に守っている ある人の言葉があります。
その頃、某日系新聞にエッセイを書きました。
その時に「ポルトガル語」のことを それまでの習慣から「ポル語」と省略した言葉で書いたんです。
そうしたら、エッセイを読んでくださった読者の方から「現地の言葉を無意味に省略して使いたがるのは、日本からの派遣などでブラジルに来ている日本人の特権意識の象徴である。現地の日系人、長く住んでいる日本人にとって バカにされているようで非常に不愉快である。」という コメント(その当時は投稿でしたが)をいただきました。
その当時 私は派遣や派遣の同伴家族として来ている人間ではありませんでしたが、この方のご意見は大変心に染みました。
自分では何も意識せずに習慣として使っていた言葉が、一方で受け止め方によっては同じ「日本語を話す人」を馬鹿にした言葉として受け取られることもあるんだ。
もしかしたらごく一部の方だけかもしれない。
でも、確かにそう思う人がいる。
身の引き締まる思いでした。
このコメントをいただいてから25年たちます。
このコメントを下さった方のお名前ももう思い出せませんが、この方が教えてくださったことだけは ブラジル暮らしの毎日の中で確実に「守っていこう」とする行動規範の一つとなっています。
また、そのことを後に続く人たちにも伝えていきたいと思っています。
ブラジルで暮らすようになり、ポルトガル語の習得に苦労してきた反面、日本語の言葉の意味、そしてそして言葉の持つ力というものも あらためて意識するようになりました。
意識したことをきちんと毎日行動で示せるか?!
ここいらへんが、これからのペケママのBBA修行のメインなのかもしれません。