アマゾンわんわん日記 2018

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もしも...

2021年11月03日 | 日記

テレビの番組の企画で「もしも80年代に戻れたら⁈」っていうのをやっていました。

ペケママが80年代に戻れたら、迷わずにやってみたいこと。

それは...

バイクを支えるだけの気力と体力を戻したい!!

それだけでございます。

中型バイク教習の折に 教官はおっしゃいました。

「ペケママ、バイクを扱うのは体力じゃないんだよ。ちょっとしたコツなんだよ。」

たしかに、中型二輪免許教習バイクCB400SF-K 200㎏超えのこの車体を起こすのも、ちょっとしたコツでした。

最初はびくともしなかったこの巨体が ちょっとしたことでひょいと持ち上がる楽しさ。

たまりませんでした。

バイク 教習車 cb400sf

無事に中型二輪免許を取って バイク生活を開始。

2台目のバイクCBR250F。

チビの私でも比較的取り回しが楽な車体で、大好きなバイクでした。

そんなバイクでしたが、ある日信号で停止した時に支えきれずに転んでしまうということが2回続いて起きました。

何かのタイミングだったかもしれません。

その後すぐにブラジルに来ることが決まり、バイクとはさよならとなりました。

1990年代に入ってすぐのことです。

80年代に戻れるならば、しっかりバイクの重量を支えて、長い運転にも耐えられるような体力を取り戻し、あの「風」を感じられる時間を もう一度体験してみたいと思うのです。

 

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フィナードス

2021年11月02日 | ブラジル雑記

フィナードス ブラジルのお盆です。

精霊たちが地上を楽しんだハローウインの後、11月2日には地上を離れた魂を持つ人たちが懐かしい人たちに会いに帰ってきます。

日本のお盆は3日間ありますが、ブラジルの...っていうよりカトリック?なのかどうか 宗教に疎い私にはわからないのですが、中南米の国はほとんどこの日11月2日がお盆(「死者の日」)になっていますが、たった1日切り。

なかなか慌ただしい帰宅だなと毎年考えてしまいます。

この日 たくさんの人たちがお墓参りにいきます。

昨年はコロナ禍のため ほとんどの霊園が門を閉ざしていました。

今年はようやく門を開いて 多くの人たちがお墓参りに行けるようになりました。

ほとんどの霊園は朝7時に開門と言っていましたが、早くから門の前に並ぶ人たちを見て、多くの霊園で朝6時にはすでに開門したそうです。

霊園の門の前には造花や生花、ろうそくを並べた屋台がぎっしり並びます。

でも お墓参りの人たちの多くは、より安いものを探して あらかじめセントロなどでお供えのものを揃えているそうです。

お墓参りを終えたら 親戚一同でそろって会食なんてこともあるそうで、フィナードス前はスーパーマーケットは大賑わいです。

テレビでは霊園でもマスクの着用、ソーシャルディスタンスを呼び掛けていました。

コロナでまた霊園が閉鎖する...なんていうことが起こりませんように。

 

 

 

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Nelson Freire

2021年11月01日 | 人間

ブラジルを代表するピアニストの一人、Nelson Freire ネルソン・フレイレ氏が亡くなりました。

彼は1944年10月18日 ミナスジェライス州の山間の町で生まれました。

3歳の時からピアノを弾き始めました。

年長の姉がピアノを弾く姿にあこがれて 自分も弾き始めたそうです。

リストの孫弟子にあたる先生に見いだされ、2年後、5歳の時にはすでにリサイタルを開くほどの実力を発揮し始めました。

初めてのリサイタルの夜、幼かった彼は舞台の前に眠ってしまいました。

リサイタル会場はミナスジェライス州でも山間に位置するSão João Del Rei市の公会堂。

暖房もまだ十分になかった時代です。

心配した両親は 彼の両手が寒さでかじかまないように ずっとマッサージをしていたそうです。

1957年12歳の時にリオデジャネイロ国際ピアノコンクールで大人に混じって9位になりました。

その時の審査員であったヨーロッパのピアニストたちに招待され、ウイーン音楽院に留学しました。

ヨーロッパでも多くのコンクールで賞を獲得、多くのオーケストラと共演をしました。

ブラジルに戻ってからはレコードやCDを出したり、彼の半生をつづった映画が作られたりしました。

2019年、ウオーキング中に転倒。

腕を骨折ししばらくピアノから離れることとなりました。

ケガが癒え ようやく復帰というところでコロナ禍となり、復帰コンサートは延期となっていました。

そして2021年11月1日未明 自宅で転倒し頭を強打したことによる脳挫傷で お亡くなりになりました。

生涯ストイックなまでに勉強を続け、自分で納得のいかない演奏を人前ですることはできないと練習を続けた 職人肌の演奏家だったと言われています。

お亡くなりになった後、リオのTeatro Municipal(市民劇場)でお別れが行われましたが、多くの人たちが突然の別れに涙していたということです。

この後 彼は故郷のミナスジェライス州に帰り、懐かしい父や母と同じ場所で 永遠の休息を得ることになるのだそうです。

 安心して休んでください

リオの下町からやってきたという男性。

ネルソン・フレイレの音楽は 様々な生活をしている人たちから受け入れられてきたのですね。

 

 

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