デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




多くの人が絵図にある「番所」から「大嶽(おおづく)」のルートを往復して帰路につくと思うが、小谷城跡はそのルートだけではない。
番所から下った所にある金吾丸やそこから更に下ったところの出丸、大嶽からの別ルートを下れば行ける福寿丸や山崎丸、そして小谷城戦国歴史資料館など、私も足を運べていない所はあるのだった。


金吾丸へ





番所から金吾丸へはさほど離れていなかった。




浅井家の初代(浅井亮政)と小谷城で戦った六角氏の援軍の陣か。

こちらの内容からして、大永3年(1523)、浅井亮政が国人一揆を起こして主導権を握って間もない頃に起こった戦いで使われた曲輪と塞のようである。その戦いでは浅井亮政が籠城して六角氏を迎撃した。しかし、その後も抗争は続き、浅井氏が六角氏に勝利し独立できたのは長政の時代になってからだった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )