読んでいるうちに、いつか生々しい記述があるだろうな、と思ってたらやっぱりあった。とりあえず二つ挙げる。
一つ目は赤軍であろうが白軍であろうが、感情が爆発すると容赦がなく残虐行為や略奪行為に走る記述。とくに、人の民家に傲然と押し入り、見張る者がいないと女と見れば陵辱しかねない場面の描写は、ソ連軍の満州侵攻の際の数々の残虐行為と重複するようなところがあるのではないか、と思った。
もう一つはコサックの年配者たちには「自分に敵対するなにか別個の原則が、生活を支配するようになった」時代、第六編第20章にあるグリゴーリイとイワン・アレクセエウィチの口論である。
「金持ちコサックにゃ用はねえだろが、しかし、ほかの連中にゃいったいどうなんだ? ばかなこと言うな! 金持ちってのはに三人しかいねえんだぞ。こちとら貧乏人なんだ、労働者のほうはいったいどうしてくれるつもりだい? いや、おれたちはおまえにつきあって考えごとなどしてるわけにゃいかねえよ! 金持ちのコサックが満腹しきった口から一切(きれ)取り出して、飢えてる者にやりゃいいんねえか。よこさねえとなりゃ、肉ごと引き裂くまでのことだ! 旦那風吹かすのはもうたくさんだよ! 土地をかすめとりやがって……」
「かすめ取ったんじゃねえよ、戦争で手に入れたんだ! おれたちの祖先がその上に血を流してるんだ。それだからこそ黒土がみのりを上げてくれるんだぞ」
「同じこったよ。貧乏な者と分け合わなきゃだめさ。平等と言う以上、ちゃんと平等にしなくちゃ。それだのに、おまえはひとりだけ離れて仕事してるんだ。風の吹くほうへ、おまえもいっしょに動いてゆくんだ、まるで屋根の上の風見の旗みてえによ。おまえのような人間が世の中を混乱させてるんだぞ!」
「おい、待て、憎まれ口たたくない! おれは昔のよしみで、胸の中にもやもやしてることを聞いてもらいたい、すっかり話したいと思って来たんだから。おまえは平等にするって言ってるけどな……しかし、ボリシェヴィキが学のねえ人民を釣ったのも、その手なんだぜ。けっこうなせりふを並べ立てるもんで、みんなの者が餌に食いつく魚みたいに、それにとびつきやがったんだがな! しかし、その平等とやらはいったいどこへ行っちゃったんだい? 赤軍を例に取って見ろよ、を通って行ったろうが。小隊長はクローム皮の長靴をはいてるのに、《一兵卒》はゲートル姿じゃねえか。政治委員とやらいうものも見たけどよ、どこからどこまで皮ずくめで、ジャンパーからズボンまで皮じゃねえか。それだのに他の連中は、軍靴(ぐんか)にする皮も足りねえって始末だ。やっこさんたちが天下を取って一年たったから、やっこさんたちはそりゃ根を張ってるだろうがな、しかし平等とやらいうやつはいったいどこへ消えうせたんだい?……戦線にいるときにゃ、《みんなが平等になるんだ。給与だって、将校も兵も同じなんだ》なんて言ってたくせに……とんでもねえや! 餌しかねえじゃねえか! 旦那(パン)も悪いとしたってよ、下郎上がりの旦那(パン)のほうは、さらに百倍も悪いやな! 従来の将校たちがどんなにいやな連中だったにせよ、うまいこと言って将校に成り上がったような野郎より悪いのなんていやしねえ。そんな野郎はぶっ倒れてくたばりゃいいんだ! そういうやつは、学問だってコサックと同じようなもんだ。牛の尻尾綯うのを覚えたくらいが関の山だ。それがどうだい、人中へはい出して来て、権力に酔っ払ってからに、その腰掛けにすわりつづけるためにゃあ、ひとの生皮さえ剥ぎかねねえじゃねえか」
「おまえの言うこたあ、反革命的だぞ!」イワン・アレクセエウィチは冷ややかにこう言い放ったが、目を上げてグリゴーリイを正視しようとはしなかった。「おまえ、おれのことを自分の畦へ引きずりこもうとなんて考えるなよ。おれもおまえを閉じこめたくはねえ。おまえとも長いこと会わなかったけど、包みかくさず言やあ、おまえとは赤の他人になったな。おまえはソヴェート政権の敵だぞ!」
「おまえの口からそんな言葉を聞くとは思わなかったよ……権力のことを考えると、それが反革命なのか? カデットと同じか?」
体制の変化というか侵食がドン地方の人々を引き裂き、遠いところに住む隣人どころか、近所の隣人にも銃を向けてしまうようなことになってしまったような事例など枚挙に暇がないが、未だこの種の悲劇は民族紛争などに形を変えて存在する。
そして支配する人間が変わったところで、かえって社会はひどくなる、こんなはずじゃなかったといいたいものの、かつて自分が関わったからこそ悔やむにも悔やみきれぬところから来る苦悩は痛々しい。目の前の実をとることが、長期的展望と合致しているかのように思えるようなことがあっても、人間そのものが「善政」と化すわけではないのだ。
もう半分以上読むことができたが、読み通せそうだ。この作品は党派や思想、民族性を超えている。私の周囲にはソヴィエト文学というだけで倦厭する人もいたが、じっくり読めば未だ世界的評価が揺らがない作品であることがきっとわかるだろう。
(つづく)
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