デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



今月7日に劇団四季版ミュージカル「マンマミーア!」を見てから、この作品の音楽をよく聴くようになった。

(c)LITTLESTAR


今のところ日本語版は発売されていないので、このオリジナル・ロンドン・キャスト盤を聴いているわけだが、公演での日本語に移し変えたABBAの曲より、やはりスムーズに聴こえてしまうのは否めない。その国の言語に向いている曲というべきか、過去にABBAの曲を繰り返し聴いた記憶がしっかりしているからか。これはもう仕方が無いのだが…。
それにしても改めて聴いてみて、ABBAには名曲が多いと思う。たとえABBAというグループを知らずとも、「ダンシング・クイーン」を含めいくつか曲も聴いたら、誰か特定のアーティストが歌っていることはすぐに分かるくらい、個性がある。世界中の人々に受け入れられていることから、ABBAの曲について過去には単純で迎合的で体制的な個性と評する評論家もいたが、正直なところABBAの曲をきれいに歌いこなすことは難しく、またあの旋律を生み出すとなると、そういう評では決して片付けられないものがある。普遍性を持つ個性というものは稀にしか生まれない、その点でABBAの曲は特異なものだと思う。

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世間ではオリンピックの話題沸騰だが、私は一時間半前に最後の親不知を抜歯し、今、抗生物質と痛み止めを服用したばかりである。
抜歯したのは下あごの左奥の親不知なのだが、今回は勝手が違う。前回と異なり、明らかに顔が腫れあがっているのだ…。「これは私か?」といいたくなるほどかも?
なにはともあれ明日消毒に行けば、しばらく歯医者からはさらばとなる
今の気持ちはまた「こうもり」から譬えよう。アデーレが女優になりたいと刑務所長フランクに懇願する場面のごとく、

Spiel' ich eine Konigin, schreit' ich majestatisch hin...
...nicke hier und nicke da...
...ja ganz, ja ganz in meiner Gloria!
Alles macht voll Ehrfurcht mir Spalier...
...lauscht den Tonen meines Sangs
Lachelnd ich das Reich und Volk regier'...
...Konigin par excellence!
-La la la la la la ha ha ha ha ha ha...!

個人的には「ha」のところを「歯」に変えたい…。(←なんたるベタな。。。)

ちなみに意味はこんな感じ。

女王に扮する時は
厳かに歩き
あちこちに会釈する
何という立派な姿!
人々は私の周りに集まり
私の歌に聴き入る
私は微笑みで国を治める
本当の女王様!
ラ~ラララ~ララ オッホホホホ~

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今日、何とかにも三部の理と譬えてもいいが、大半が私の責任になるミスをしてしまい、少々落ち込み気味である。
へこんでばかりもいられないので、気持ちを切り替えるために地下鉄で歌の歌詞に目を通して、旋律を思い出していた。
その歌はいつもの「こうもり」から、女優のオルガに成りすましている小間使いアデーレがルナール侯爵(実は主人のアイゼンシュタイン)を堂々と欺く場面、内容は(注意:訳に自信はありません)

それはとても滑稽ですこと!オッホッホ~♪
笑って許してさしあげますわ!オッホッホ~♪
侯爵様はとてもおかしな方♪

ドイツ語の歌詞では

Ja, sehr komisch, ha ha ha...
...ist die Sache, ha ha ha...
...drum verzeihn Sie, ha ha ha...
...Wenn ich lache, ha ha ha ha ha ha...
Sehr komisch, Herr Marqueis... sind Sie!

この箇所の旋律が大好きで、思い出すだけで何もかも笑い飛ばしたくなる。明日もがんばろうという気が涌いてくる!?
(ところで全然関係ないが、なんかドイツ語の歌詞を目で追っていると、かなり痛烈な言葉で切り返しているように思える。楽しい旋律のなかにもピリリと効いたものが感じがあるような…)

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先週の土曜日、ときどき通っているフレイムハウスというカフェバーでライブがあり、聴きに行った。
ヴォーカルは南ルミコさんという方で、なんと伴奏にインドの民族楽器シタールとアコースティックギターという、何とも筆舌に表し難い楽しいコラボだった。
ヴォーカルのルミコさんの歌声も心に響くものだったが、生シタールの田中峰彦さんの演奏もとても聴衆を酔わせてくれるものだった。またシタールの音色は個人的にとても懐かしく感じるものだったので、なおさら心に沁みた。もちろん、歌の伴奏(曲目はビートルズのサムシングや、ジャズでもおなじみのルート66、蘇州夜曲…)なので、曲のジャンルは違うものだったが、大いに感激した。
翌日が早出だったので、途中で帰宅せざるを得なかったのが残念だった。こういう機会があればまた足を運ぼうと思っている。

お店のURL:http://www.katana.cx/~fureimu/
シタールの田中峰彦さんのオフィシャルサイト
       :http://homepage1.nifty.com/mineral-t/

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悲しい跡地を訪れたあと、天気もなぜか曇り気味だったが、いよいよドレスデンのアルテマイスターに向うことで気分が晴れてきた。
途中、金ぴかに光る王の騎馬像の下で、空手の練習をしている子供たちを見かけ、うれしくなったりした。


ザクセン初代王フリードリヒ・アウグストの彫像の下で「気合入れろ!」

路面電車を乗り換えたり人に道を尋ねたりしているうちに、ドレスデンという都がほんとうに美しく、3泊はしたくなるようなところだということが分かってきた。アウグスト橋を渡っているときこの都にいることを記録に残したいと思い、私は旅行ガイドを繰っていた青年に声をかけて自分の写真を撮ってもらった。


アウグスト橋。いよいよ都の核へ

空気を伝えるには少し寒色系ではあるが、初めてドレスデンの中心に足を踏み入れたとき
に何でもいいから記録を残したいと「焦っていた」ときの画像を紹介したい。川の画像はエルベ川であるが、これは後に紹介する絵画に登場する川だ。もちろん今でも絵画のほうをよく見てしまう。


午前のエルベ川



聖母教会が見える




橋の上で路面電車が止まっていた。車一台走っていないし、どういうことなんだろう?と思っていたが、これはあとで訪れる楽しみの前ぶれだったのだ。


旧カトリック宮廷教会



ゼンパーオペラ
(ここはワーグナーの「タンホイザー」が初演されたことでも有名なザクセン国立オペラ劇場)


なにやら準備が始まった



ドレスデン王宮



アウグスト?とくつろぐ人々

ドレスデンという都そのものについてはほとんど知らなかったし、今もよくは知らない。都について私が書けることといえば、旅行ガイドをそのまま拝借した内容しかない。
しかし町を歩いてみれば、きっとこの都がザクセンの栄華を誇り、それを今もなお伝え続けていることを感じることが出来るだろうと思う。
9時半を回り、人々が町の中心に集まりだしてきた。私はツヴィンガー宮殿に向った。

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昨日は聖バレンタイン・デーだったが、昨日より遡ること約2週間前、つまり抜歯したときに、歯医者ネタでちょっと想像したことがあった。(なぜに?といえば、本来なら2月14日は最後の抜歯の予定だったからである)
その想像というのは、2月14日に抜歯し受付カウンターで抗生物質や痛み止めといっしょに、チョコレートまで出てきたら、どう反応するだろう、そして白衣の天使?が「今日、来院されたかた全員にお渡ししていまーすニコッ」といった一言まであったら、私なら麻酔で感覚無く血止めガーゼを噛まされた状態であろうが、大爆笑してやろうといった光景である。
…バレンタインデーが過ぎた今、バレンタインデー前に自分で感じていたおもしろさは影を潜め、今となっては我ながらつまらぬことを考えてしまったと後悔しまくりである。ちょうど、2月15日のチョコや12月26日のクリスマスケーキが半額になるような、感じかも?
おあとがよろしくないようで…。。

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『ジャン=クリストフ』読了後、いろいろなサイトを回っていると、あっ!この箇所知ってるぞ、といいたくなる言葉が引用されてあった。それは、クリストフの「青春」の最後にゴットフリートが何かと「傲慢な」ふるまいを抑えきれないクリストフに諭す言葉。
「明けてくる新しい日にたいして敬虔な心をおもち! 一年のち、十年のちにどうなっているかを考えるのことはやめるがいい。今日というこの日のことを考えるがいい。理屈はみんな、まずさしおいてしまうがいい。いいかい、みんなだよ。美徳のことを論じる理屈さえもみんなよくないよ。ばかげているよ。悪い結果をもってくるよ。人生に無理な力を加えてはいけないよ。今日を生きることだよ。その日その日にたいして敬虔でおあり。その日その日を愛して尊敬して、なによりもその日その日を凋ませないないことだよ。その日その日が花咲くのをじゃましないことだよ。今日みたいな灰いろのくもり日でも、それでも愛すがいい。くよくよしてはいけあいよ。ごらん。いまは冬だ。何もかも眠っている。親切な大地はやがてまた目をさますだろう。自分もまた一つの親切な大地であるがいい。そして大地らしく辛抱づよくあるがいい。敬虔でおあり、辛抱づよく待たなければいけないよ。おまえが善くないなら、弱いなら、おまえが成功しないなら――いや、それでもやっぱりそれなりに幸福でなければならないのだ。そのときにはおまえはそれ以上どうにもならない。それならそれ以上意志してもしかたがあるまい。できないことのためにくよくよして心をくもらしたって何になるものか。人間は、自分にできるだけのことをしなければならないのだ……Als ich Kann(私にできるだけのことを)」


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昨日、ようやく『ジャン=クリストフ』を読了した。
毎度思うのだが、長編は面倒くさいけども最後が近づくと、まだ終わらないでくれ、という気持ちになる。
今はこの作品の全体的な感想を書くには時間が無さ過ぎるが、一つ思ったのはこの物語は思いのほか平凡な内容だったかもしれないということだ。裏を返せば、たとえ作曲家が主人公の物語とはいえ、描かれていることは一般の人の人生となんら変らない、ということができると思うのだ。もちろん、クリストフの個性が一般の人と合致しているという意味ではない。人が(年齢はともあれ)ある一定の段階に差し掛かると体験するようなことが、一つの作品に凝縮されているという意味である。
人は誰でも歳を取るが、過去の自分と現在の自分は、たとえ同じ名前を名乗っていたとしても、その名前が現在の自分を的確に表しているかどうかは疑問の余地があるように思う。クリストフの幼年期・少年期・青年期・中年期・熟年期・最晩年の描写をくらべるだけでも、それぞれに別の個人名をつけられるのではないか、というくらい「別の人間」なのだ。
このあたりのテーマは時々メディアで取り上げられることがあるように、日本では昔の人は元服で名を変えたり、現在でも相撲界で存在している。その点で言えば、『ジャン=クリストフ』で描かれていることは、いみじくも作者の冒頭の記であったように、クリストフは世界のどこにでもある物語(といったようなことを書いていたように思う)というのも頷けよう。
私にとってはまだ早いのかもしれないが、何はともあれ、この長編が「人生の書」と呼ばれる意味を少しでも理解できたなら、それでよしと思っている。

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一昨日、劇団四季版ミュージカル「マンマ・ミーア!」を観てきた。
この作品にはABBAの曲がふんだんに用いられていて、ABBAの曲が好きな人や明るい音楽を聴くと体を動かしたくなるような人に、ぜひお薦めしたい。この作品にはラストにスタンディングオベーションにどうしてもなってしまうような、お楽しみな演出も施されていて、とても楽しめるのだ。実際、私も立ち上がって、大いに体を動かしてきた。3日前の抜歯による顎の違和感も、その時だけは忘れたほどである。
帰ってから思った。ライブでもスポーツでも、会場に足を運ぶのはやっぱり価値のあることだと。心臓にダイレクトに響いてくるあの感覚だけは筆舌に表し難い。ぜひまたこういう機会を持ちたいものだ。

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一昨日:社員食堂で図書館から借りてる『ジャン=クリストフ』(第4巻)を置き忘れ、無くなってたらどうしようと夜も眠れず。

昨日:その本が忘れた場所にそのまま置いてあり安堵。読書もそこそこ進む。

30分前:下の右奥歯の親不知を抜歯…。歯を切断するキーーーーンというあの音に慄きつつも興味を覚える。今、口の右半分の感覚が無い。

一番不安だったのは本を置き忘れたことだった。やっぱり借り物を無くしたかもと思うと、不安になる。とくに既に刊行していない品切れものだったら、取り返しがつかないからなおさらだった。
歯医者にはあと三回通う。こちらはとにかく早く終わって欲しい…。

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