デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



スタテン島フェリー乗船前に。
公衆電話のブースがある(再掲)


確かに、ニューヨーク市の公衆電話が出てくる映像として最も印象深いものの一つに、映画「スーパーマン」の場面もあるのは納得だ。
それにしても、なんというか時代が変わっていくことを痛感させられるニュースだ。公衆電話やそのブースを見に行ったり写真に撮るためだけにニューヨークに行く人はほとんどいないだろうが、街を写した写真の中には少ないながらも公衆電話およびそのブースが写ってたりするものもあるので、どこかしら馴染み深いものがあることもあり、正直感傷的な気持ちになった。
とはいっても現地で私は受話器に触ったことはあっても、通話で使った覚えはない。ただ、公衆電話にちなんだ思い出として強く印象に残っているものが一つある。
ユースホステル宿泊中に「あなた英語話せる?」と訊いてきた日本人の婦人との思い出だ。婦人は滞在中にユースホステル以外に他のホテルを予約をしていたが、ユースホステルで泊まりたい日数泊まることができるようなので、節約のために他のホテルをキャンセルしたいのだが、公衆電話から対象のホテルにキャンセルの旨をきちんと伝えられないので代わりに話してくれ、と私に言って受話器を押し付けてきたのだ。
その時、私は英会話集どころか旅行ガイド書すら手元に置いていなかったので、正直無理ですと言って断った。ただ、婦人が手にしている受話器の向こうからレセプション担当であろう女性の声で「あなたきちんと英語しゃべれるの!?」みたいなことをイライラした感じで言っているのはよく聞こえた。婦人も「Can you speak English ?」と応じて、それから受話器を叩きつけるように置いたのだ。アメリカ人相手に、あんた何て八つ当たりだよと心の中でツッコんだ。
婦人は悩んだ末にユースホステルをチェックアウトし、キャンセルし損ねたホテルに向かうことにした。ただホテルのチェックインの時間までには6時間以上あるので、その間どこかの荷物預かりに荷物を預けに行きたい、そこまで付いてきてくれない?と押しの強いお願いをされて、断り切れず付き添って行くはめになったのだ。
荷物預かりの辺りに私も行きたい場所があったのでついでといえばそうだったのだが、婦人は本当によく喋る人で、地下鉄での移動中のみならず荷物を預け終えてからもカフェに寄ったりちょっと公園をぶらついたりしながら引っ切り無しに喋り倒された。
たぶん一緒にいた時間は2時間にも満たなかったろうが、一日の三分の一ぐらい時が経ったように感じたものだ。が、別れ際は付き添ってくれてありがとうという感謝の言葉と、手を振って私を見送る婦人の姿は印象に残るものだった。
婦人は何日か滞在したのち、無事日本に帰国された。


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深夜であるにもかかわらず、web予約で集団接種会場での接種が確定した。
日付の変わったその日の夕方に集団接種会場に行った。1・2回目の職域接種の時と異なり、ものすごくスピーディーに接種は終わった。
1・2回目は武田/モデルナ社製だったが、3回目はファイザー社製を選択した。
接種の翌日、ずばりこの副反応を食らっている。接種した側の腕の脇を締めると少し痛みが走るが、気の紛れることや何かの作業に集中していると腫れは気にはならない。ただ、重い物を持ち上げたい時、大丈夫なんだろうけど、正直気にはなる。


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前回の続き














ひたすら桜並木を奥へ

この辺りで引き返したが、長く歩いたように感じた。













二時間も満たない時間だったが、贅沢な桜観賞だった。また来たく思った。

帰り、彦根城の傍を通ったが大渋滞だった。


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関ヶ原に行く途中、思わず途中下車ならぬ立ち寄りたいと思ってしまった桜並木が目にとびこんできた。関ヶ原に行ってから帰りに立ち寄ってみた。



































次回も同じような画像が続く。


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伊吹山

伊吹山の頭頂部にかろうじて雪が残っている時期に隣県の桜を見に遠出したくなった。とはいえ、以前行った所になぜか自ずと足を運んでしまった。



岡山烽火場(おかやまのろしば)を仰ぎ見る。画像では小さいが結構幟が目立って見えた。


笹尾山のふもと


島左近陣跡


石田三成陣跡へ。





石田三成陣跡


何年も前とは異なり史跡位置図が新しくなっていた。


田んぼに水が張られる時期もおすすめだ。


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大極殿院南門へ


大極殿院南門(大極門)


北に見える大極殿。けっこう離れている。


解説コーナーも設けられていた


大極門と朱雀門

せっかくなのでまだ復原工事が行われていた頃の画像も出したく思った。とはいえ年末に行ったので作業は行われていなかった。




ちょっとした展望台?から中を窺うことができたのだ





朱雀門の方

年末ということもあって凧揚げする家族も











南門が竣工しても大極殿院に関する工事はまだまだ続く。


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カルトナージュのミイラマスク、部分覆い(胸飾りや足覆い)

トリフォーンの葬送用ステラとミイラ札


バーが配された棺の模型

プタハ・ソカル・オシリス神像

『永遠を横切るための書』


ホルネジイトエフの『死者の書』:日出の太陽への崇拝


黄金のカルトナージュのミイラマスク


正面から





ディダスの娘、アフロディーテという名の
女性のカルトナージュのミイラマスク


女性と若い男性のミイラマスク

男性のミイラ肖像画

三日月型装飾のある首飾り


女性のミイラ肖像画

前回も少し書いたが、個人的に一番惹きつけられたのはグレコ・ローマン時代(前332-後395)のミイラに関する展示のセクションだった。もし大英博物館のエジプト関連の展示室に足を運べたとしても、いわゆる鑑賞のマニュアルに載っているような「優先して見るべき展示物」の案内に従って見ているうちに時間が経ってしまったりするだろう。
そう思うと今回の展示は非常にありがたく感じた。エジプトの文化や美術にもプトレマイオス朝やローマの影響が表れ、とくに子供のミイラの頭部の布に描かれた肖像がまるでローマ時代の別荘の壁画に描かれているようなものみたいな感じがした。
それにミイラマスクも死者の顔により忠実につくれらている気がした。「女性と若い男性のミイラマスク」なんかローマ市内の博物館に置いてあっても何の違和感もない。
ミイラも時代が進んだり統治者が変わったりすると古代エジプトのミイラに抱きがちな紋切型のイメージに修正を迫られる、このことに初めて気づかされた。


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けっこう混雑していた


若い男性のミイラ(前100年頃~後100年頃)


若い男性の棺(本体)(前100年頃~後100年頃)

ミイラの覆い布(前30年~後395年)

昨年の古代エジプト展の内容と重なる部分もあったので、正直なじみ深い感じがした。ただ、今回、階段ピラミッドを設計した建築家のイムヘテプの像を見れた驚きもあった。
第6章の展示セクションは撮影が許可されていた。実のところ、今回の展示でもっとも注目したかったセクションの展示物を画像に残すことができてよかった。
展示内容についてはまた次回。


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「こんにちは。ツタンカーメンです」

神戸三宮へミイラ展を鑑賞しに行ってきた。






三宮に遊びに来たのは随分ひさしぶりだった。少なくともいろいろな「宣言」の間中は、通りがかるぐらいしかできなかったので、これだけ人が溢れている祝日の三宮を見ると、ようやく活気が戻ってきた感じで良かった。


三宮の京町筋


ちょっと気温は低めだったが気持ちの良い日だった。


神戸市立博物館

博物館の周辺は変わりなかったが、入場時間のweb予約者優先のシステムに少し泣かされた。というのは今回の私のように県境・府境を越えるような移動の場合、電車の遅れなどによって予定通り着けないことも考えて予約しないで行ったら、「無予約の列」に長い時間ではなかったとはいえ並ばされたのだ。そんなのおおっざっぱな時間を予約しておいて、例え遅れたとしても待てば入館はできるので、予定通り着けないかもしれないことなんか考えるなという人もおられるだろうが、なんか心理的に抵抗があったのだ(笑)。
それよりも入館後チケットカウンターでチケットに当日の日付をスタンプする際や展示室に入る際「予約はされてましたか?」といちいち訊かれて、まるで「予約していない来館者を頻りに区別しよう」という意図が働いている感じがしたのはどうかと思った。
ところで、帰りの列車は緊急点検のために到着が遅れた。ナーバスなようだが、列車の遅れで入館予定時間に間に合わなかったら、どうなっていたのだろうと考えてしまった。


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