デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 





出迎えネコ



飛来



日没(厚かましくもモネに対抗??)


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有漏地(うろじ)より無漏地(むろじ)へ帰る一休(ひとやすみ)
  雨ふらば降れ風ふかば吹け

とんち話で日本を代表する人物といえば、後にも先にも一休さんを除いて誰がいる?といえるほど、一休を語る上であのアニメの影響は強い(横道に逸れるが「とんかつ食って馬勝った」という名台詞はアニメでの小坊主の一人である陳念(ちんねん)が吐いたものだそうだ!)。
そんな一休さんに由来する?道歌に冒頭のものがあるのだが、小さい頃に一休を題材にした漫画で読み、記憶に残っていた。最近、これは江戸時代に出版された『一休咄(いっきゅうばなし)』に出てくるものらしいということを知ったが、一休が詠んだのかどうかは私は知らない。しかしながら、人生というのは煩悩が有る状態から無い状態に向うまでの一休みの間だから、雨が降ろうが風が吹こうが何てこたぁない、と詠ったこの道歌は、あの一休のイメージを裏付けてるような気もするのである。

さて、私もあのアニメに影響されて育った人間であるからして、せっかく滋賀県に来たのだから、一休ゆかりの場所を散策した。


祥瑞寺(しょうずいじ)

一休は1420年、27歳のときに大悟(悟りを開くこと)する。その時に身を置いていた寺が祥瑞寺(当時は祥瑞庵といった)で、浮御堂から歩いて5分もかからないところにあるのだ。











一休は師である、この寺を開山した華叟宗曇(かそうそうどん)から「一休」という道号を授かった









一休は暗闇(夜)の琵琶湖の岸辺の入り江にあった、葦の茂みに埋もれた漁民の小舟で、一人座禅にうちこんでいた。そしてカラスの鳴き声を聞いたときに大悟したとされる。


カモがプカプカと泳いでいた



帰り道、車を止めて撮りたいと思った空が何度つづいたことか。



信号で止まっているときズームで写す。昭和を思わせる高架下が続いていた。


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車検が終わった車をサービス工場までとりに行った帰り、ちょいと琵琶湖をドライブした。


道の駅にて:大きいのは確かだが



風車に突っ込もうとしても、あまりにも味気ない感じが…

琵琶湖大橋を渡り、以前から行ってみたかった所へ。いつもながら拝観料には抵抗を覚えた。


浮御堂(うきみどう)、入らざるべきか、入るべきか



結局、入った



堂を回っても一分とかからないやうな。

「名所」であることは分かるが、あまりにも見るものが少なく居る時間も短いと思ったとき、この時間とタイミングに来なければ見られなかったものを目にした。これぞ一期一会。まさに一休みしないと目の前に綺麗なものがあることすら見逃すことがあるのかもしれない。(といいつつ単に運がよかっただけとも思うのだが)


悟りとはかふゐふのやも知れぬ



観光地というより、観光地で見たものこそ印象に残るものだ



きっと明るすぎてはダメなのだ



この陽光で、カラスが鳴いてほしかった



浮御堂外観






芭蕉:鎖(じょう)あけて、月さし入れよ、浮御堂



読めなかった



次は、一休が悟りを開いたときに在籍していた寺へ。


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デジカメを持っての初めての冬。冬独特の色合いって澄んでておもしろいと思うようになったので、先月より撮った分を「冬の空雲(ふゆのそらくも)」として少しずつ、言葉少なめでアップしたいと思います。(ときどき冬と関係ないようなものも出てきます)



今冬、二度目の幻日

まさか、二度も幻日を見れるとは思ってなかった…(一度目の幻日は、こちら

これからぼちぼち紹介していきます。画像の特徴としては、毎度のこと、ウクレレの練習を阻むものであることがほとんどといえるでしょう…。

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前回は一つの絵について、長々と書いてしまった。あまり長すぎるのもどうかと思うので、今回はなるべく端折る。


ハンス・ホルバイン(子)「カンタベリー大司教ウィリアム・ウォーラムの肖像」(1527)



ハンス・ホルバイン(子)「アンナ・フォン・クレーフェの肖像」(1539/40)

エラスムスとかトーマス・モアとか社会科の授業で習うような有名人を描いた画家に、ドイツ・ルネサンスで活躍したハンス・ホルバイン(1497/98-1543)がいる。
ホルバインの絵で「墓の中のキリストの屍」という作品があるのだが、それを以前に画集で見たとき、相手がキリストであろうが容赦しないリアリズムを感じたのが印象深かった。以後、ホルバインの描く肖像画は正直不気味系というか怖くて、あまりじっと見ていられなかったが、絵に力があるのは今でもよくわかる。
さて、上の二人だが一人目の大司教はエラスムスとトーマス・モアの友人であり、ホルバインが一回目にイギリスに渡ったときに後援した人だそうだ。
ホルバインはのちにイングランド王ヘンリー8世の宮廷画家になるのだが、インテリで美食家で統治力にずば抜けていたヘンリー8世は、ある面では妻や側近を離縁・刑死・処刑したりと苛烈なところもあったらしい。そんな王様に仕えたホルバインはさぞ震えた?のだろうか…
二人目の肖像の女性はドイツより嫁ぐことになったヘンリー8世の4番目の妻だ。絵は「お見合い写真」の用途で描かれたようだが、当時の肖像画で正面から描いてよいのはキリストの姿や男性の権力者だけだったので、この女性の正面像は例外中の例外かもしれない。
他、有名な「エラスムスの肖像」などがあったが、写りが悪かったので紹介できない。残念…。


ヒエロニムス・ボッス「愚者の船」(1500頃)

気持ち悪く怖いけど幻想的で惹き付けられる絵ってある。特にスペインのプラド美術館にある「悦楽の園」で有名なボッスの絵は、まるでヒッチコック映画の幻想シーンを一枚の絵にした感じなのだ。
「愚者の船」は腐敗した聖職者を寓意で告発していてルターの宗教改革も近いことを思わせるといった見方が強いが、この絵は人間の無意識の強迫観念を描いている点で恐怖心をあおられる。この手の絵が既に15世紀に存在していたというだけでも驚きだ。


ピュジェの中庭

薄暗い絵画の展示室にいるときの気分を一新したいとき、いくつかある中庭を見てみた。明るくてとてもよかった。ちなみにピュジェの中庭にはフランスの彫刻がずらりと展示されている。

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ヤン・マセイス「バテシバの水浴」(1562)。横は2m近くあります。

ルネサンスは15世紀のイタリアで花開いたが、ネーデルラントといわれた今のベルギーやオランダにあたる地方で15世紀に興った新しい芸術運動は北方ルネサンスと呼ばれる。そこからいろんな都市で芸術作品が誕生したが、その中に16世紀のアントワープで活躍したヤン・マセイスという画家がいる。上の絵は以前から知っていたのに、マセイスのことは帰国してからアントワープで活躍した画家だったんだ、と知った。
さて、上の絵のバテシバというのは旧約聖書に登場する女性である。ペリシテ人のゴリアテを倒したダヴィデが王様になったあとの話で、ダヴィデはある日、人妻であるバテシバの水浴姿を見てしまい、熱を上げて自分の妻にしたいと思った。ところが相手は人妻、なんとか彼女を娶りたいと思ったダヴィデは、部下である彼女の夫ウリアを戦場に行けと命じて死なせてしまい、念願の彼女を妻にするのだが、ダヴィデと彼女の子供には不幸ばかりが…という有名なエピソードのヒロインがバテシバである。
絵の場面では左上のバルコニーから王様ダヴィデが彼女の姿を見てるのがわかる。画像ではボヤけて表情まで写ってないが、ここに描かれたダヴィデははっきりいって思わず覗いてしまったというより、覗きが好きな単なる助兵衛みたいなのだ(笑)。
左に描かれている「王はあなたを招待しました」と言いに来た使者の反対側の女性二人が面白くて、一人はバテシバを見上げてまるで「奥様、チャンスです。やりましたね(もしくは、王様もお好きだねぇ)」といわんばかりの微笑をしているし、もう一人の女性はまるで見ているこちら側にバツの悪い思いをさせるかのように正面を見据えている。中心のバテシバはこの瞬間に「微妙に」ほほえんでいる。
そして、二頭の犬。私はこの犬らがダヴィデと、バテシバの夫ウリアの力関係を表していると思うのだ。左の大きい犬(ダヴィデ)はいくら子犬(夫ウリア)が吠えても、いつでも凄まじいダメージを与える一撃を繰り出せる構えをとっている。要するに運命は権力で決せられることを表現しているのかもしれないと思ったのだ。(あと背景の町はどこかとか、シルエットになっている木は何の木かなど興味は尽きない)
一枚の絵の中に、いろんな要素を盛り込んで描く画家ってすごいなぁと思った。

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2人の強盗(ブッチとサンダンス)を主人公にした今では犯罪映画の古典である「明日に向って撃て!」の挿入歌にB.J.トーマスの「雨にぬれても」という曲がある。
この曲の歌詞は映画の内容とどう考えてみても合わないのだが、それだけに妙に記憶に残っていたりするし、曲自体は名曲なので今でも世間で親しまれている。最近では保険会社のCMに用いられていた。
ところでこの曲の歌詞だが、これは簡単な単語ばかりなのに意味的に普段の自分の頭の感覚からすると、ええー?!というような譬が出てきて戸惑い半分、おもしろさ半分という感じなのだ。とにかくCDの歌詞カードで田中まこさんという方の手による対訳があり、それを参考(つーか詩的なボキャブラリーが私には乏しいっ!)に「こんな感覚か!」と…(笑

雨が頭の上に落ちてくる、足がベッドから出てるような男みたいに何をしてもダメダメ、雨は僕の上に落ちてくる
太陽に言った、仕事をサボるのはいかがなもの、雨は僕に降り続く
でも分かってることが一つ、どんな陰鬱な気分が襲ってきても、僕は負けない、幸せが訪れる日は近いだろうから
雨が頭の上に落ちてくるからといって、目が赤くなるわけじゃない、泣くのはいやだ、文句を言っても雨は止まないし、僕は自由だから、心配事なんて無い

外国語の歌って不思議だねぇ。
正直、譬えのところで違和感を覚えたが、なにはともあれ人工的な記号だけで歌を口ずさむより、やっぱり意味を日本語でも消化したらもっと愛着が湧いてきたりする。

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うむ、久しぶりに、これはすごい小説だ、と感じた作品を読了した。越年読書だったトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』である。
作品は1835年から40年余りの話で、ブッデンブローク商会の4代の主を通して、ブッデンブローク家が没落していく様子を描いたものだ。
読了後の正直な感想として、はなっから遠くなってしまっている、このブログのタイトルであるデカダンという言葉の意味を味わえるだけでなく、リアリズムとか自然主義の傑作とかいう言葉が、これほどぴったり当てはまる小説は稀有だろうと思う。この作品の登場人物は本当にきめ細かくリアルで、そのへんに歩いていそうな人物ばかりだし、時代の趨勢もしっかりと考慮・把握して描かれている小説のお手本のような、正直癪だが手放しで賞賛するしかない作品だった。
ただ、私のような者からすれば、この作品の登場人物が自分にも当てはまっていて、正直ゾッとするものを感じた。この小説のよくできている点でもあるから当然なのかもしれないが、登場人物たちの救われのなさを培ったものの一つには、三つ子の魂百までといった、個人の宿命を嫌でも叩きつけられて過ごす特徴がある。孟母三遷の教えを持ってしても、おそらく登場人物の性格や生活習慣は決して激変したりはしない。登場人物が子供の頃から持っている癖や言い回し、そして自意識や執着は、大人になっても、たとえそれが愚かしく決して生活の改善どころか凋落へと向う誘因になっているとしても、無自覚にのさばり続ける。客観的に見ると頽廃へと自分を蝕んでいる姿は憐れに思えてならないが、でもこれも人間の本質の一つで、頽廃趣味や頽廃芸術が昔から存在する理由として考えてもいいのかもしれない。

 ***

トーマス・マンの傑作の一つである『ヨゼフとその兄弟たち』の感想もよろしければどうぞ。

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作品を年代順に追って見るなどということはできなかったので、次はいきなりドイツ・ロマン派のカスパル・ダーヴィド・フリードリヒ(1774-1840)の作品を探した。


フリードリヒ「カラスの木」(1822年頃)




上の2作品がフリードリヒの作品だが、題名がフランス語で書いてあってよく分からない。でもこの木や夕暮れ、船着場に出る雲がかかった月の描かれ方はフリードリヒの特長が本当によく出ていた。

「メディシスの間」以外にも、ルーベンスの作品は本当にたくさんあり、特に「エレーヌ・フールマンの肖像」(2m近くある!)が素晴らしかった。


「エレーヌ・フールマンの肖像」1630年代

ルーベンスは最初の妻イサベラ・ブラントが世を去ってから更に仕事の虫になったが、1630年に16歳のエレーヌ・フールマンと再婚した。ルーベンスは亡くなるまで彼女と幸福に生活したが、絵にもそれが窺えると思う。それにしても、エレーヌは黒い服を着ているのに、なんと彩りが豊かなんだろう!

偉大な画家は後世に多大な影響を与えるものだが、それは後の画家にとって苦悩の始まりかもしれない。自分の描く作品に先人の影響が強すぎると、結局は歴史に埋もれてしまう運命をたどることが多い。
下の作品を描いたアントニー・ヴァン・ダイクもルーベンスから多大な影響を受けた(実際ルーベンスの工房にいて助手をしていた)一人だが、のちに英国国王チャールズ1世の首席宮廷画家となった彼の肖像画はルーベンスの動的な描き方とはちょっと違い、静謐さというか穏やかで落ち着いた演出がなされていると思う。そしてモデルの心理や性格を直観力で描き出す抜群のセンスはヴァン・ダイクならではのものだ。





代表作の一つ「狩場のチャールズ1世の肖像」

上の絵は後のイギリスの肖像画に影響を与えた。レノルズやゲインズボロみたい、と言われたらそんな気がする。
ところでチャールズ1世はこの肖像画のモデルになっているころ絶頂期だったが、のちに徹底した専制政治を行った。それが貴族や市民に清教徒革命へと突っ走らせる原因となった。チャールズ1世は処刑され、この絵は後にフランス国王ルイ16世に買い取られたのだが、ルイ16世もフランス革命で断頭台で処刑されてしまう。
そう考えると、これはいわく付の絵ともいえる。ヴァン・ダイクは王の憂いだ表情にその運命の暗示を感じ取っていた??


「ジェームズ・ステュアートの肖像」

ジェームズ・ステュアートはチャールズ1世の親戚で仲のいい友人。こんなに傍に寄れたのは、親交が厚かったことを意味しているのかも。

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昨日、47都道府県の代表が都大路を駆けましたよ。見に行って旗振ってきましたよ。久しぶりに自分でも満足の行く写真を撮れましたよ。


応援する側はポイントごとに選手が来る予想時間を把握している



野球少年たちも応援に



片側を臨時の二車線に。警察も交通整理で普段見かけないようなアクションをとる。



先頭の「総務」カーがやってきて



トップのランナーの前にいる女性白バイ隊員が



そして(第五区の時点で)トップの兵庫のランナーがきた。

以下続々と


地元のランナー



選手は速く、あっという間に駆けて行きます。



気持ちは分かるが応援マナーは守ろうや…



走っている時って本当に跳ねているのだなぁ。



久しぶりにセピアモードも試す。この日一番のショットと自負。



モノクロも試した。

駅伝の後は鴨川でゆっくりしたが、冷たいアラレや風で休まるものでもなかった。でも夕方はとてもきれいだった。


この澄んだ感じは冬の特徴かも。



ロシア絵画っぽく見えた木



広場では凧揚げで遊ぶ親子がいた。(黒い点が凧です)


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