デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 









戦況によってその都度、立ったり座ったり
そわそわしたこともあったのだろうか



桃配山の奥へ



線路が見下ろせる所に出てしまった


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




А・クインジ「ドニエプル川の月」(1880)

私の持っているカメラでは中秋の名月がきれいに写らないので、サンクト・ペテルブルグの国立ロシア美術館蔵のクインジの絵を代わりに再掲する。
この絵についてはかなり以前に弊ブログで触れたが、この絵が個展で発表されたとき当時の鑑賞者のど肝を抜いたことは、私でも実物の絵を見て共感できた。本当にカンバスの裏側に何か「光らせる細工」が施されているのか疑うほどだったのだ。
今年の中秋の名月もすばらしかった。月の光も雲の具合もぜひともお月見をしたくなる感じで、ちょいと気持ちが盛り上がって最近触れていない楽器で月をテーマにした曲を奏でてみた。当然、月のようにきれいな演奏には程遠かった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ワンランからターティアンへ向かう船の中

けっこう混雑するので船員が「inside!(中に入ってつめて)」と連呼していた。


船着場の光景

タイの国旗の右にある黄色い旗は仏旗かな?と思ったがただの黄色い旗だった。


ワット・ポー近し






地元の人よりもやっぱり外国人観光客が多いようだ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ラグビーについては大学選手権や、大学生対社会人の中継をやっていたら視る程度で詳しくないのだが、ラグビーW杯イングランド大会1次リーグB組(現地19日)日本34―32南アフリカは録画までして視た。
南アフリカの名だたる選手たちの余裕を失わせるだけでもかなりのことなのに、最後まで勝利を目指す姿勢がすばらしかった。特に終了3分前に相手の反則からペナルティーキックかスクラムを選択できる場面、キックなら同点に追いつき確実に引き分けの勝ち点を得られるところをスクラムを選択したとき私は目頭が熱くなった。
新国立競技場の問題はともかくとして、ラグビーの日本代表にはスコットランド戦も貪欲に勝利を目指して欲しいし応援したい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「マイキー、ローラちゃんと遊んでらっしゃい」

ワンラン市場にあったマネキン。昔のマネキンを使ったコメディドラマを思い出した(笑)。


果物屋さん。













なぜか恐竜と孔雀とオウムの人形が置いてある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




サマセット・モーム作『月と六ペンス』(岩波文庫)読了。

最近、東京五輪の新国立競技場やエンブレムの問題で騒いでいたなかでこの小説を読んでいたのだが、読書中にも世間はおもしろがるように粗探しを続けていたこともあって、眉をひそめたあとで本を繰るといった読書であった。
『月と六ペンス』を読むと、アナクロニズムみたいなことをいうようだが、天才が死後に評価される時代こそが最良の時代ではないかという気さえしてくる。生きている間に人々に愛され評価され名声を得ることは誰にとっても大望だろうし、私も普段からそう考えていて、旅行で寺社や教会などを訪ねたら現世利益的な祈りばかりしているが、チャールズ・ストリックランドの人物像はそれとは正反対である。
この作品を読みながら世間のエスカレートする粗探しを目にすると、作中のチャールズ・ストリックランドやストルーヴがいくらモームの筆による豊かな誇張・脚色がなされているとはいえ、作中の語り手が最終的には憧れを抱く人々のようなキャラたちがエンブレムの制作者であればどれだけマシになったことだろうと思う(そこのところは小説のキャラではなくて今生きている人ならばお金や権利や名声は発生するとコロッと豹変するかもしれないが(笑))。
『月と六ペンス』のなかのイギリス女性たちの描かれかたは納得できる記述も多いものの、かなり辛らつで正直ここまで書くか、と思ってしまった。しかし訳者でもある行方昭夫氏の解説で、モームが日常生活において妻と上手くいっていないことの捌け口として作品に昇華したされたキャラの可能性があることを知ると、どこか腑に落ちるのである。『人間の絆』でもそうだったが、人間を矛盾したものの総体として容赦なくありのままに描いている『月と六ペンス』も不愉快になりつつもおもしろく読めるいい作品である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




施餓鬼会(せがきえ)

記事のタイトルを「放生(ほうじょう)2」とするつもりだったが、こちらからこの船着場まで来て上の光景を見ると、ハトにエサをやっているとしか思えないので、これは放生ではなく施餓鬼会ではないかと思い、タイトルを変えた。
ここでしばらく船を待っていたが来そうにないので、またワンランから対岸に渡ろうと決めて、再びワンラン市場へ。


ワンラン市場は衣料品も充実している



日本の電化街の影響だろうか(笑)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




多田麻美 著『老北京の胡同』(晶文社)読了。

読了といっても6月下旬には読み終えていた。さすが十年以上も北京の胡同に住み続け、時間があれば様々な胡同を歩き回り、現地の人の話を懇切丁寧に聞いた人の書いた本だけあって、胡同が直面する現実問題の生の声を聞いているような迫力を覚えた。
しかし感想を書くには時間が掛かった。単に考えがまとまらなかったのだが、まとまらなかったのは旅に夢想を求めがちな私には、旅行先の土地が開発や発展の代償としてその姿が様変わりしていく様子に抵抗を覚えるからだろう。過去への夢想を現地の人に押し付けるのは旅行者のわがままだろうし、いくら著者と同様に旅行者として昔ながらの胡同をずっと残していってほしいと思っていても、町の開発の荒波を止めることの困難さにも意識がむいてしまうのは正直心痛を覚える。
ただ、中国への旅行を計画していて、昔ながらの北京の胡同を巡りたい人には『老北京の胡同』を事前に読んでおくことをおすすめする。本にある現実を踏まえた上で、本に載っている古き良き庶民的な雰囲気や下町の魅力を駄目もとで味わうに行くとしたら、それなりに価値があるだろう。もっとも、短くても1・2週間、胡同の近くの安宿や四合院住居を改装したようなホテルに泊る必要はあるだろうが、きっと、かつて当たり前のように目にすることが出来ていたもの、昭和の高度成長期までにまだあったような庶民的な雰囲気は現在もかろうじて残っているだろう。やっぱり今の時代でも見ることの出来る昔ながらの胡同がないと北京の魅力は語りつくせないという旅の仕方は廃れて欲しくないものだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )