デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 





先日、相国寺承天閣美術館へ、茶の湯―禅と数寄展を鑑賞しに行ってきた。
相国寺境内で北海道から旅行で関西を訪れ、展の鑑賞を終えられた年配の夫妻に梅の木を背景に写真を写してくれるようお願いされた。喜んでシャッターを押させていただき、ついつい北海道の思い出を語ったら喜んでくださった。

さて展についてだが、私は喫茶店にはときどき行くものの、茶の湯と侘茶の違いなど普段から意識などしていないような者だが、そんな私でも展示内容には目を見張るものがあった。
展示されていた砧(きぬた)青磁茶碗の説明に「浙江省の龍泉釜でつくられた上質な青磁を砧青磁という」とあって、紹興酒や「蘭亭序」のイメージだけで浙江省を語るのはもったいないなと思った。
茶の湯の歴史を見た感じがしたのは17世紀の茶の文化について記した「隔蓂記(かくめいき)」と「隔蓂記」にある実物の品が並列して展示されているところセクションだった。これこそ一級の資料だ、誰かが記録として残してくれたことでリアルに感じる歴史というのはこういうことだと分かった気がした。
ほか貴重な墨蹟も見れたし、その内容には書いた人の嘆きたい気持ちが吐露されているものもあり、現代の人間でも思わず共感できてしまうようなものには笑みを浮かべてしまった。


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法然院入口

先日、ちょっとしたことがきっかけで「大」の字の三画目のはらいの所に出るという初めて登るルートに挑戦してみた。ベテランの方々曰く「霊鑑寺・鹿ケ谷ルート」と呼ぶそうだ。

法然院入口から南へ歩いて5分程度で霊鑑寺の入口に至る

霊鑑寺門跡の石碑の右に坂道が東方向へ伸びている。この坂道を上がっていく。

霊鑑寺から5分程度でこのような場所に。

少しわかりづらいかもだが、左に登り口の段が見える。ここを上がっていく。

先に登っておられる方がいた。

台風での倒木とのことだ。

手でロープをつたって通る少し危ないポイントがあった。

倒木の下を潜り抜ける形で登る。


火床への案内板が

「大」の三画目のはらいの末端だ。


あとは「大」の文字の中心へひたすら上がる


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グリンメルスハウゼン『阿呆物語』(岩波文庫)の中巻・下巻、読了。

上巻を含めたら二年、いや三年がかりで読了したことになる。
中巻に出てくるジュピターや下巻でのジンプリチシムスの悪行を言い当てる悪魔はまるでセルバンテスの『ガラスの博士』や『ドン・キホーテ』に登場する博士や胸像の頭部を思わせた。また短編を一編挿入したようなオリバーの語りもセルバンテス作品みたいだった。
下巻は読書スピードが落ちた。他の本を割り込ませたのもあるが、内容的に無理やり超物理現象や未確認生物や御伽噺や想像上の生き物やSFを混ぜこんだような荒唐無稽な幻想めいた体験を語るエピソードが多くなり、まるで古代の神話や歴史の知識、当時から読むことのできた天界や地獄を舞台にした物語や民話や『神曲』や滑稽本を総動員させて作品内に書きなぐった感じが、作品を中途半端な脱線文学に落としているように思えてきてならなかった。のちのゲーテはひょっとして『ファウスト』を書くにあたり、『阿呆物語』(の最後の数章も含め)にかなり影響を受けているかもなどと思ったほどだ。
ただ、最後の数章は作者が物語を書き始めた時点で構想していたかどうかは怪しいと思えたものの、上巻ですでに生涯のなかで経験から学びえた金言をちりばめていることもあって無理のない感じでの上手いまとめ方だと思ったし、こういってはなんだが、この物語が書かれた時代にあって人生を観照する展開に持っていくこと自体に驚きを隠せない自分がいた。それは、作者や作者が生きた時代や土地柄のことを侮りすぎている自分を発見したといえるかもしれない。よく調べないまま時代に偏見を抱いていたことを思い知った気がする。
それはともかく全体としては、作品に対し単なる悪漢小説やキリスト教文学の域を飛び出し、喜劇も悲劇も織り交ざった「人生の書」扱いしたくなった読者も少なくないのはよく分かる。その意味ではドイツ文学の金字塔といえる。


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白菜の花。最初に聞いたときちょっと戸惑ったが、開花前のつぼみの状態の花はサッと湯がいた後にいろいろな味付けをして食べてもおいしいとのことだった。
辛し和えで食べてみるとおいしかった。ネット上でも同じような表現が見られるが、一般にいう「菜の花」の苦みがない感じだった。春になる前の楽しみがまた一つ増えた。


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