本を読んでいると「これはぜひ(部分的に)引用して、ものを考える題材にしたい」と思わせる箇所が少なからず存在するが、たとえ一時の熱情でそう思ってしまったとしても、ある程度時間が経てば、引用し論じないでよかったと思ってしまうことが時々ある。
『蒼穹の昴』でもそのようなことがあったし、昨年の『春の戴冠』もそうだった。この記事をお読みの方の中には、「それは小説じゃないか。もしそこから歴史的なことについて論じようと思ったなら思いとどまった君は正解」とすぐに諭してくれる人がいるかもしれない。
細かいことは端折るが、『春の戴冠』も『蒼穹の昴』も膨大な知識をもとに作家としての力量を存分に発揮してその筆力で持って読者をぐいぐい引き込むすばらしい作品だが、時間が経つほど、これは小説であって手品の種は作家の筆力および技術であることに思い至ってしまう。
とはいえ清朝末期について興味を覚えるきっかけを小説は与えてくれた。歴史のことを考えるのは引用に巻末にある主要参考文献を見てからでも遅くはあるまい。
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