デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



อย่างฮา ลูกบอลชนคาน แล้วเด้งกลับเข้าประตูเฉย มหัศจรรย์ยิ่งนัก


数日前のこの動画のニュースについて知っている人もいるかもしれないが、私はタイの国内のサッカーの試合で起こった出来事に明るい気持ちになった。また、この試合は引き分け後のPK戦でサドンデスまでもつれこんだあげくの展開で起こったことを考えると希望ある珍プレーだなと思う。

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フランスからの旅行者のグループ。おじさんが何度もカメラの
角度を変えて同行の娘さん?たちを撮ろうと試行錯誤していた。

 


 



台風被害のこともあってなかなか運動する時間がつくれなかったが、約1週間ぶりに登れた。たったの1週間ぶりといえど今回はその1週間が長く感じたし、それくらい間があいてしまうと登るのがきつくなってしまう。
しかしこの日はいい気分転換となる出会いがあった。上から2枚目の画像の時間帯だったが、火床の傍でダンスのPVを撮っていたグループがいて、そのグループは台湾と中国などからの留学生5人組だった。女性二人が台湾から、あとの三人の男性のうち一人が中国からの留学生であることは分かったのだが、彼らが下山しようとして挨拶してくれた時に私が「再見!」と返事したら、彼・彼女たちが足を止めて話しかけてきてくれたのだ。
私が万里の長城でのことをむちゃくちゃな発音ではあったが中国語で語ったら、彼らの目が輝きだして「どういったことがあったのか」を訊ねてくれた。もちろん私の発音が通じることがなく、メモ書きで私の言いたいことを伝えたら、旅で現地の人に親切にしてもらったこと助けられたことの素晴らしさについて共感のこもった笑顔を見せてくれた。
女性二人はやっぱり台湾での私の思い出を知りたがった。私は台湾には何度か行っていること、地元の家庭料理もよく堪能したし、台南と台北の文化的なおもしろさ、太魯閣渓谷での感動、そして台南からの列車で現地の人々に親切にしてもらった思い出を語った。そして私の知っているいくつかの台湾語を下手な発音で伝えようとするやいなや、お互いにテンションが上がって私の発音でなんと言っているのかといったクイズまがいの状態になってしまった。彼女らはそれでも私の言っていることが分かって、きちんとした発音を教えてくれたりしたので私もとても嬉しくありがたい気持ちになった。
台風の件で修理業者やお隣や家族とのやりとりで同じ日本語を使っているにもかかわらず冷静に対応しつつも時に言いたいことが通じずカッカしてしまいやっぱり気の滅入ることが多いことを考えると、下手な外国語を使って時間のかかるコミュニケーションを取ろうとする間のもどかしい時間そのものが楽しく明るい時間となってしまうというシーンは台風のそれと対局にあるものといっていいのだろうか(笑)。なにはともあれ登ってよかったしいい気分転換になった。



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MRT  


昼を過ぎても大渋滞だった

両替の必要もあったし、また日本人向けの歓楽街が見たくなったのでタニヤ通りに向かった。


バスでフアラムポーンへ向かう






タイで唯一の地下鉄MRTに乗ることにした






シングル・ジャーニー・トークンを買って改札に通す



MRTは2004年にできたばかりらしくとてもきれい



車内もとてもきれい


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選挙の日の夜から未明にかけてのことだった。隣の家のスレートの屋根が台風の強風ではがれ、私の家の二階の窓と窓枠と網戸、その窓のすぐ下の一階の屋根およびそこに据えつけられているエアコンの室外機、大屋根の据えつけてあるBSのパラボラアンテナに直撃した。直撃したときの音はものすごかった。
直撃のせいで私の家の屋根瓦は10枚以上は割れているし、窓ガラスも割れ窓枠は部分的に変形し網戸も破れている。室外機の内側のフィルターにはスレート屋根の破片が刺さっているし、パラボラアンテナはいびつな形に変形している。屋根瓦が割れたことで雨樋へ雨水が流れず、屋外ではあるが雨漏りが起こっている。
隣から飛んできたスレート屋根の大小の破片は、私の家の屋根の上と軒先だけでなく、車が通る一般道にも散らばって落ちていた。二三軒先の屋根にも隣のスレート屋根の破片があった。広範囲にスレート屋根が飛んだのだ。
朝の7時に被害状況を画像に収めた。隣のご主人が訪ねて来て、お詫びとスレート屋根の直撃による損傷個所の修理は隣がすることと、隣が修理業者に修理を依頼する旨を述べた。私の家も隣も誰一人怪我を負った人はいなかった。私の家の被害も被害だが、隣は近所への申し訳ないという気持ちだけでなく、北側の屋根がすべてはがれたので雨漏りが止まらず途方に暮れているという。
1時間以上かけて隣から飛んできたスレート屋根の破片と、ガラスの破片、その他隣からの飛来物を隣の家族とともに片付ける作業をおこなった。台風が去ったのに雨は止まない中での作業だった。
正直いうと大工さんとの思い出もあって頭を抱えたい気分だし、隣の家族はもっとそうだろう。今回の台風で地域によってはもっと酷い被害に見舞われた所も多いし、死者も出ていることは分かっている。私の家で壊れたものは直せたり取り換えのきくものばかりだが、ただ今回の災害にはなんだか心からガックリ膝を折られるような、ため息ばかり出る気持ちが抜けない。災害に遭うというのはこういうことなのだと初めて分かった。さっさと前を向いて気持ちを切り替えるしかないのは分かってはいるが、理解と行動はそうそう簡単には結び付かないのだ。

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ピンクラオ王の住居












疲れもあり気分転換したかったが、やはり
ブッダイサワン礼拝堂には寄ることにした。



昔はここで仏教の重要な儀式が行われていたという



今にして思えばせめて世界美術大全集の東洋編
くらいは目を通していけばよかったなと思う。


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厨子



歴史を感じさせるものがあった









周りに年代を感じさせる像が多いこともあり
この金ぴかの像はひと際浮いて見えてしまう。



中央に置かれていることに少し違和感を覚えた(笑)







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梅原貞晴著『蘇州慕情』(新風舎)読了。

著者の「背伸びをして文章を欠くことが嫌い」という思いは分かるし、著者の人生にとって大きなことだったのも分かるが、いかにも教育畑を歩んできた人の表現で書かれた蘇州の大学で働くまで文章は正直退屈であった。
もちろん、旅の経験が多くても熟年に至って初めて外国で教員の仕事をする一大決心をして旅立つときの「最初の一歩」を踏み出す心境については、私には到底想像だにできないことだと思わざるを得なかった。
蘇州に住み始めてからの章で、とくに蘇州の観光地もつ歴史に関する内容は大変興味深く、文章がいい意味でほぐれてくるのもあっておもしろい。呉王の闔閭(こうりょ)からの春秋戦国時代のみならず、三国時代以降の蘇州ゆかりの王や武将や詩人達の縁の史跡への思いは並々ならぬものがあって、知る人ぞ知ることって本当にたくさんあるんだなと何度も思った。旅には旅支度が必要だが、たとえ事前に調べつくしたものが当然のように目の前に現れるような計画的すぎる旅になろうが、詳細なリサーチを心がけておいて決して損はないし、著者の紹介する史跡はそういったリサーチをしてから現地で時間をかけてじっくり見たほうが良いものが多いように思う。
そして、

 紹興は心なしか田舎くさい町だが、なんとなく親しみを覚え、旅人を裏切らない温かさを覚える。(p166)

個人的に「うむ」と共感した。私は紹興で特別に親切にしてもらった体験はないけれど、現地の人および紹興で学んだ人に対する印象と重ね合わせると著者の言いたいことがとてもよく分かる。

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藤野彰著『蘇州通信-暮らして知ったディープな中国-』(新評論)読了。

著者は2003年1月から2006年11月まで富士フィルム(株)蘇州工場の駐在員として蘇州で生活した。その期間、日本にいる友人たちに「蘇州通信」として送ったメールの文がこの本の内容の大半を占めている。
現地に住むことになった人にしか書けない文章ってあるなぁとしみじみ思った。こういった人が書く文章は気取っていなくて読みやすく、それでいて非常に感性に訴えるものがあった。たとえば「蘇州の歴史と文化」の章は、難しい歴史の解説書のように時にやたら読みにくかったり、ページ数が限られているゆえ、無理やりコンパクトにさせられた旅行ガイド書の掻い摘みすぎる無味乾燥な事実の列挙だけに終わっていないおもしろい章で、実際に著者本人が自転車で蘇州の街をめぐっているから具体性に富んでいることもあって、蘇州への一人旅に即生かせそうな内容にさえなっている。古代中国史をもう少し深いところまで知りたいと思うも足がかりがほしい人には是非おすすめしたいと思った。
現地で責任ある立場にあったというのもあろうが、SARSの事態に現地で著者が体験したことは、大変な事態ではあれど思わずブッと噴いてしまいそうになった。

 さらに、キャンペーンの文字とセットでSARS撲滅の歌までつくられた。一つは『共創奇跡(ゴンチュアンチージー)』という曲で、「万衆一心」とか「団結貢献」などといった詞が歌われている。いつも続けて流れている『天使在人間(ティエンシーザイレンジィアン)』という曲では、非典による医療従事の殉職者の写真とともに、その貢献を称える歌詞を女性歌手が歌い上げていた。
 別のチャンネルでまたまた驚いた。そこでは、『We shall overcome(勝利を我等に)』が大合唱されていた。「SARSに勝利しよう!」というわけだろうが、まさかこの中国で、三〇年前のウッドストックでジョーン・バエズがベトナム戦争の反戦歌として歌い、日本でも新宿西口広場で声を合わせた歌に出会うとは思わなかった。(p60)

やっぱりこういったことは現地にいた人しか書けないなと(笑)。
また中国人の反日感情について日本人自身が意識していない日本人の本音を穿っている章には考えさせれるものがあった。日露戦争の頃から始まる侵略の事実に関する知識の浅さは、受験に出ない問題も含めて結局のところ相手と直に触れあうことの少なさの割に相手に対するイメージだけが誇大化している原因にもなっている。それが現代史に対して軽薄で怠慢な態度として映ることが少なくないことを著者はいいたいのだろうと思った。
その点、本の最後にある蘇州で日本と中国の子供たちによる日本の能楽と昆曲を演じる交流の機会をつくりあげるために著者が一肌も二肌も脱いだ実践の記録は大いに希望が持てる章だった。蘇州に行けたら昆曲をぜひ見たくなった。

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葬儀用の山車とのこと。それを丸々容れる建物がある
博物館というのは贅沢というか充実しているというか(笑)












大きい仏足跡だ(笑)













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――形は民主政体だが、実際はただ一人が支配した時代――

 ペリクレスの「説得力」が効力を発揮できた最大の要因は、それを聴くアテネの市民たちに、視点を変えれば事態もこのように見えてくる、と示したところにあった。

先月のことだが、塩野七生著『ギリシア人の物語Ⅱ』(新潮社)読了した。
いつものことだが塩野氏の書く国の栄枯盛衰の物語を読むと、人間てそれなりに一生懸命なのだが、悲哀とともに滑稽じみている存在で、お馬鹿さんで救われん存在だなぁ思わされる。
作品は古代ギリシアのアテネを中心にして主なテーマとしては民主政の実態について多くを割いている。大きな自治体であろうが企業であろうが、古代アテネにおいてペリクレスが国内外の行政の最高機関を構成するストラテゴスに当選しつづけるようなことは、今も昔もなんだかんだで変わらない。引用させていただいた二つ目の「説得力」も人をよく見ているというか洞察力に長け、こういったテクニックを的確なタイミングで駆使する人はいろいろと上手いし、結果的に多くの人から選ばれる人の特徴だと思う。
これは要するに、民主政を敷いている国であろうがなかろうが、選挙でえらばれた人間が政治家・統治者または武人として有能であって権力の腐敗さえなければ、例え独裁が延々と続こうがそれでよい、それが理想的な国の状態と暗に言わんばかりだが、多くの人がその「理想的な時代」を享受できればそれでいいと思っている証左だろうというのは私もそのように思う。政治家同士が足を引っ張り合う状態にうんざりしていても「独裁色」には反感をもつ人々からペリクレス待望論が出るのは、いつの時代も変わらないのだ。
ペリクレス亡き後のアテネが自滅の道を選んでいってしまうくだりは本当に嘆かわしく感じた。実際に引くに引けなくなった戦争というのは性質が悪いし、古代は古代の事情があったとはいえ、食うに困って食料を確保するための戦争でないところになおさら性質の悪さを感じる。
また情勢に通暁している人々からすれば「ここらで潮時やめときゃいいのに」といった至言が、頭をカッカさせている市民の意識になかなか反映されないのは人間の性なのだ。古代ギリシアの都市国家が繰り広げる、終わらせるためのビジョンなき争いか延々と続く事象は、現代にも少なからず当てはまるところがあるし、現代の人間は他国を戦争へ巻き込む方法ばかりを歴史から学んでいるような気さえする。

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