デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



観稼亭

観稼亭は、成宗と中宗の時代にチョンベクリ(富と緑のない腐敗のない政府高官)と呼ばれた高貴な官吏、孫仲暾(ソン・ジュンドン、1463-1529、号はUjae)の邸宅であり、彼が父親の孫昭の家族から引っ越した場所である。この家は格式と簡素さを兼ね備えた優れた建物です。兄山江(형산강、ヒョンサンガン)と慶州周辺の壮大な景色を眺めることができる。
パンフレットにはこうあった。


孫仲暾の名が








手前の空間がマダン?


位置と角度によっては
兄山江が見えるのかも。

兄山江(ヒョンサンガン)は大きい川で、バスで村に来るまでにも渡った。村にもうそろそろ到着するというタイミングで見ることができるので、目印としても川の存在は知っておいたほうがいいかもしれない。兄山江については後日の記事で少し触れようと思う。



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気持ちを切り替えて観稼亭へ向かった。








観稼亭(クァンガジョン)









記事を書くために良洞村について調べて行くと、どんどん良いサイトと出会って、
身も蓋もないようだが、良洞村に行きたいと思っておられる方は、いずれかのサイトを一読してから足を運ばれるのもいいかもしれない。



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無忝堂のあとパンフレットの地図の月城孫氏の宗家へ行こうとした。
迷うほうが珍しいと言われても仕方ないが、近道のつもりで選んだ道がそれっぽくなかったので引き返した。






引き返して確実な道を行くとそれはそれで歩いていて気持ちのいい道に出れた。


BSアンテナがある(笑)



地図と自分のいる場所が確実に一致する所まで一旦下りてきた。それまでに道なき道の斜面を下ったりした(笑)。



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無忝堂(ムチョムダン)

サランチェ


パンフレットによると無忝堂は朝鮮時代中期に建てられた。朝鮮時代の儒学者で官吏だった李彦迪(1491-1553、ペンネームHoejae)の家族の先祖代々の家で、上流階級の住居の一部であるサランチェ (男性の宿舎) の増築棟として、迎賓館、休憩所、図書館など、さまざまな用途に使用されていたという。
解説にはこうあったが、核家族が当たり前な世代及び21世紀に入ってから生まれた人には、韓国の伝統的な住宅、韓屋(ハンオク)についてのイメージが付きにくいかもしれない。
たとえば、解説にあるサランチェとは漢字では舎廊棟と書き、丸カッコで男性の宿舎と付されているが、それは言い換えると男主人の居間(起居空間)で、客人を招いて接待する男の空間という意味である。そういう棟なので開放的なつくりであるのが分かる。
男主人の棟があるということは婦人と子どもたちの棟もある。それをアンチェ(内棟)というがその棟はサランチェよりも奥にあり、閉鎖的なアンチェには夫と子ども以外の男性(客人)は近づくことができない。それが伝統的な韓屋の特徴といえる。
誤解しないでいただきたいが、決して現代生活に適応しようとしない因襲に凝り固まった人の家屋だ!などと言いたいわけじゃない。
「現代人が忘れてしまった昔ながらの生活ってあこがれる~」「それを見にいけて貴重だった」と韓屋を懐古趣味的な印象だけで見たり、その思い出を振り返るだけでなく、現地で見た家屋と儒教文化が実生活に入り込んでいる関係性のリアリティが想像できればより有意義な訪問となると思ったのだ。

テチョンマル(板の間)


韓屋についての図解はこちらのサイトがある。かなり参考になった。



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無忝堂へ

無忝堂(ムチョムダン)

韓屋のなかのマダンに相当するのか?

右奥の陰陽のマークの門は祠堂か?

テチョンマル(板の間)


私一人しかいないタイミングだったので、とても静かな雰囲気だった。
家屋についてはまた次回。



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正直、故障者リスト入りしたときには心配した。
だが、こういっちゃなんだが、故障者リスト期間中はWBCの疲労からリフレッシュする期間としても大事だったかも、と思った。


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日本の奈良の飛鳥京の遺跡や東大寺や平城宮跡などでは景観に配慮されて電柱・電線が見られなかったり目立たなくしていることに感心するが、韓国でも、扶余や慶州の仏国寺や瞻星台や古墳群でも電柱や電線が見当たらないのに感心した。
良洞村でも電柱や電線をほとんど見かけなかったので感心したが、(しかるべき技術はあることは知ってはいれど)正直どうやって電気を引いているのか、と思った。





公衆トイレなのだが外見は
村の一民家みたいに見える







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いつも運動がてら登っている山でスイス人の留学生と知り合って久しいが、その留学生が友人を連れて登ってくることがある。その友人がスイスのチョコレートを持って登ってきた。一箱に18個ぐらいだったか入っていて、包み紙の絵柄は1個ずつ異なっていた。スイスの風景や名所がプリントされていたが、私がお裾分けをいただいたのはチューリヒの写真のものだった。なかにはグリンデルワルトのものもあった。夢が詰まってるなぁと思った。


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売店から奥に進んだら、そこで目に飛び込んでくる風景に、「来て良かった!」と思った。村の写真や画像はガイドブックやネット上で沢山見ることができるが、目の前に現れた村の風景には敵わない。


観光バスで来たと
思わしき、中学生か
高校生の声が響いていた



朝には村への一日旅行は離れ業に近いようなイメージを抱いていたが、来てみれば、なんてことはねぇな、などといい気になって浮ついたような気持ちになったのが正直なところだ。




藁葺き屋根だ

券売所でもらったパンフレットに載っている主な建物を中心に巡ることにした。



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203番以外で、慶州市内に戻れるバスの停留所をチェックし忘れていたな、と思いつつ歩を進めた。(ちなみにその停留所は良洞村チケット売場から南へ20分ほど歩き、Hoguk-ro(県道28号でもある)に出たところにある。きちんと信号も横断歩道もあるし、ストリートビューでも確認できる。)


世界遺産の登録は2010年の夏


宿題のため?


月曜日だったので、村の博物館は閉まっていたが、入村はできる。


チケット販売所
入村料4,000ウォン

風景に配慮したデザインだが、新しく建てられた感じがよく出ている。
村なのでCC使えるかな?と思っていたが、普通に使えた。感熱紙にくっきり印字されたレシートと一緒に村の地図が載ったパンフレットをもらった。
観光バス駐車場といい、チケット売場といい、田舎が世界遺産となってしまうと、観光客誘致のためもあって、都会や街なかよりも新しいシステムが設置・配備されることがしばしばあるような事例を目にしたといえると思う。




なんかこういう感じの売店、いいなぁ。



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