私にとって、どうしても見ておきたかったルーヴル美術館最高の展示室の一つが近づいてきたが、その前に最も有名な肖像画が私を見下ろしていた。
イアサント・リゴー「ルイ14世の肖像」(1701)
ご存知「朕は国家なり」と言ったあのルイ14世その人だ。画家のリゴーは前回触れたシャルル・ル・ブランの弟子である。
縦280cmの大カンバスにこれでもか、といわんばかり本当に王様しかできない格好で威厳を見せ付けた肖像画。身を包んでいるマントは白テンの毛皮、腰にはシャルルマーニュ伝来の剣、(今ではあまり考えられないが)ハイヒールも立派な履物だ。
ルイ14世は「領土を拡大することは、君主に最もふさわしい仕事である」と言って、たびたび戦争を起したが、当時のフランス王国を支えていたのは人口の6分の5を占めていた農村の人たちだったので、戦争をされると民衆の生活は圧迫された。もちろん、他にも疫病・凶作が襲ったこともあったし、重税なども科せられたわけだから、民衆の生活はかなり厳しいものだったそうだ。
1715年ルイ14世が亡くなったときパリの民衆は王の長い治世が終わったことを神に感謝して踊り、歌い、通り過ぎる王の葬列をののしったといわれている。
ちなみにルイ14世は死の床で後継者のルイ15世を呼んで
「私は戦争をたいへん好んだが、あなたは隣国と平和を保つことを心がけなさい。人民の苦しみをできるだけ軽減するように。もはや、私がしたような浪費はできないのだ」
と言ったと伝えられているが…。
ジャン・アントワーヌ・ヴァトー「ピエロ(ジル)」(1720?)
ルーベンスやレンブラントやフェルメール、プッサンやロラン、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールらが活躍したバロック時代の次には、貴族趣味というか心的平和をフワフワした遊戯や宴をなどを明るく描いたようなロココ時代がおとずれる。
ヴァトー(1684-1721)は短命だったが、ロココ時代の幕開けを告げた画家として知られている。上の「ピエロ」でもロココ時代のティエポロやフラゴナールの絵の雰囲気が出ているように思う。
でも、この「ピエロ」は華やかで明るい画風の中にも、ピエロがもつあの独特の憂愁が表情から滲み出ていた気がした。それにやけに目立つこの白い衣装、ヴァトーの内面の表れとも思ってしまう。
ヴァトーは「恋の画家」と呼ばれていたそうだが、実際はそんなものとは縁遠い生活をしていたそうだ。ヴァトーの明るい雅な絵の世界は画家の夢だったというなら、彼はすべてを悟りきっていたのかもしれないと、思えてしまった。