デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



車道の向こう側にソウル広場、
すぐ横にソウル特別市庁がある

日が沈む


地下鉄のCity Hall駅へ

駅の改札までにフードコートがあったが、曜日もしくは時間的なものだろう、開いている所は無かった。(と現地では思っていたが、閉まっているのには根本的な理由があったことを後日気づかされた)

宿は東大門(トンデムン)の近くなので地下鉄1号線で鐘路5街駅に向かった。鐘路5街駅の3番出口を出て北を向き、コンビニCUを右に隘路に入り東へ宿に向かった。
宿泊費は日本で予約した時点での事前支払いだった。レセプションに人は居らず、チェックインは無人のレセプションのカウンターにチェックインする人に向けてのメモ用紙が置いてあるだけだった。「~様、あなたの部屋は103号ベッドは3番ベッドです」と青ボールペンで英語で記されていた。滞在の間、一度もレセプションの姿を見なかった。
ソウルであっても1泊16,000ウォン(私が居た頃で日本円で1811円)で泊まれる所だったが値段相応だ。部屋にもよるが私の予約した部屋は、狭い部屋に二段ベッドが三台もあるドミトリーといえば大体想像がつくと思う。ちなみに二段ベッドの上段で起き上がったら頭が天井についた…。

夕食をどうするか迷ったが、東大門のカムジャタン通りの食堂を適当に探した。



入りたいなと思った一軒目は「もう閉店」みたいな感じで断られ、もう一軒の食堂に入った。複数人で入る雰囲気だったが店のご主人が一人でも大丈夫と迎えてくれた。


画像がブレていた…。

9,000ウォンのビビンバを注文した。メニューの写真を見て左下の釜めしだけかなと思っていたら、まずはキムチや見た目はインゲン豆みたいだったのにやたら辛い緑の唐辛子?やナムル(モヤシとごま油で和えたもの)などが手際よく並べられたので「皿が多い!」と正直戸惑った。
あとで知ったが、韓食の食卓ではパンチャン(おかず)で客をもてなす食文化ゆえの皿の多さなのだ。去年はコンビニ飯やパン店でのパンやサラダやバイキング形式での韓食や市場でのチヂミなどを食したが、今回初めて韓食の食卓らしい体験ができた。とても美味しく感じた。ビビンバを出してくれた、女将は私を見てすぐに「日本人?」と分かったようだ(笑)。

夜の東大門

月がいい感じに出ていた
私同様、門と月にレンズを
向ける人たちがけっこういた



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昨日のお昼時、ショッピングモールの地下のカットのみの短時間で仕上げてくれる理容店に入った。
券売機で利用券を購入して順番を待つシステムだ。店の出入口には受付番号の順番を管理する待機票に記入し忘れた母娘(受付番号10XX番)とその友だち家族の母子がいておしゃべりに興じていた。待機票は私が先に記入したが、レシートの番号的に私より二番ぶん前の母娘の娘さんの散髪が理容師さんの計らいで先になった。
6歳未満であろう娘さんが席についたら、10XX番の母娘とその友だちの母子が娘さんを囲む形で髪型のリクエストをまだハサミを手にしていない理容師さんに伝えた。ところが娘さんは散髪が始まる前に泣き出し、母親とその友だちの母子がなだめても、落ち着かない。
理容師さんは「(この状態では)カットはできかねます」と伝え、散髪はやめて料金を返金することを申し出た。きわめて真っ当なことだ。
すると母親が激高した。散髪中、頭部負傷の事故を防止するがゆえの対応なので、店側としては仕方が無いにもかかわらずだ。
母親は「早くお金返して!」と返金されたお札を荒々しくひったくるように手にし、理容師さんの冷静な「カット中に、じっとしていられる人が対象です」という説明に対し、睨みつけ「それが子どもというものでしょ!」とマスク越しに言い放ち、「二度とここに来ないわ!」と言いながら泣き止まない娘さんの手を引いて出て行った。
まさに、それが子どもというものだから、理容師さんは仕方なしに中止したのであって、あの母親こそが二度と来店してほしくない出禁対象そのものじゃないか。母親は自分の娘の髪を切ったことが無いのだろうか、無いにしても他人の髪を切るのに刃物を扱う資格を持つプロの職業人が危惧することに、まったく想像力が働かないというのは、どんなエゴイストなんだろう。母親同士のおしゃべりも含めたショッピングモールでの楽しげな時間を、理容師さんがぶち壊したと思っているならとんでもない八つ当たりだ。
娘さんの年齢的なものも含め、娘さんにとってはショッピングモールに入っている短時間で仕上がることが売りなリーズナブルな店という、いつもとは少し異なる環境だったろう。椅子に座ってから、母親とその友だちに囲まれているのは鏡で分かるし、自分が好奇な目にさらされていることは無意識にも分かったろう。それは娘さんにとってはおそらくプレッシャーというかストレスであって、感情を処理しきれなくなり泣き出したように思われた。
母親としては、ショッピングモールに来たついでに和気あいあいな雰囲気のもと、娘のカットを手早く済ませたあとの次の楽しい時間が台無しにされてしまったと感情的になった可能性がある。ただ、やっぱりそれは畢竟、泣き止まずにじっとしていられないことで我が子が頭部に怪我を負ってしまったらどうしよう、などと一切考えない自分本位なことではないかと思う。それは娘が怪我を負ったとして、「あんた(娘)がじっとしていないからでしょ」と叱ったり躾けたりせず、理容師さんに謝るどころか、理容師さんのミスのせいにして慰謝料払えと喚き散らすような、常識とはかけ離れたふるまいに及びかねないものに通じる。将来、学校をも巻き込むモンスターペアレントの予備軍じゃないかと思った。
とにかく、本当に娘を思いやるとはどういうことか、理容師さんの安全を最優先にした苦渋の選択をしたことの意味を学んでほしい、母親とはいえまだ若いんだから。
それにしても理容師さんの毅然とした対応と、その後の他の客への気持ちの切り替えは称賛にあたいするものだった。私はまたこの店でカットをしてもらいに来るだろう。


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声優としての名演のみならず、作品への素直な感想を述べておられた姿も印象深い。随分前、それは確かCS放送のとあるチャンネルの特別番組で声優としての演技のみならず、名ドラマの登場人物の繊細なキャラ設定およびその俳優の演技のすばらしさを一般の視聴者の視点から分かりやすい言葉で伝えておられた姿だった。
増山江威子さんの訃報のあとに、まだまだお若い田中敦子さんの訃報というのは正直きついが、また作品を見直したくなった。
ご冥福をお祈りいたします。


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アラン・ドロンが出演している映画を全て見ているわけではないが、けっこうな作品数は見ている。『太陽がいっぱい』と『冒険者たち』は数回見たし、『スワンの恋』のシャルリュス男爵役は違和感こそあったけどがんばって演じているなぁと偉そうにも思ったりした。
日本のCMにも出演していたし、映画の宣伝のためだったか、来日したときのフィーバーぶりの映像は今では考えられないようなものだった。その当時のアラン・ドロンの知る世代の人たちが正直羨ましい。


この旋律を聴くと、切なくも懐かしい気持ちなる。
ご冥福をお祈りいたします。ゆっくりお休みください。


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個人の力量とチームワークとベンチワークの総合力のことを思った。
第四クォーターの退場や誤審のことばかり採りあげられることの多い試合だったが、スターターの選手が出ずっぱりになっていたことでシュートやパスの精度も落ちたことはあまり触れられていないように思う。それに第三クォーターの残り3分での膠着状態にリードを奪えなかった原因も考えるべきではないか。
第四クォーターの残り数分の後、オーバータイムに突入し、「自分が決める」姿勢は良いし、大活躍ではあったものの、それは逆にいえば味方を生かしきれていなかった余裕のなさ、引いては若さが顕われてしまったと感じた。勝利を目の前にして選手本人の若さのみならず、控えの選手をうまく使いこなす視点が欠けた、つまりはベンチワークの拙さも露わになった気がする。
明日の第三戦、とにかくベストを尽くしてほしい。


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