デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



先日、モーツァルト生誕250周年(1/27)のニュースが世界的に取り上げられて、いろいろなところで素晴らしい演目が上演されることを話題にしようと思っていた。
しかし、その前日、思わず大爆笑してしまったニュースがあったので、紹介したい。
http://jyonetsu.excite.co.jp/News/odd/00081138213695.html
ちなみにデュシャンの「泉」とはこちら
http://instruct.westvalley.edu/grisham/1d_dadaism.html
ダダイズムという言葉は上の記事やググッたら出てくるが、便器を壊そうとしたピエール・ピノンセリ(77)氏の言い分は、ダダイズムの意味を理解している、たぐいまれな人ではないかという気がする。
天国?のデュシャンも喜んでいるんじゃないだろうか…??
もしそうなら、The Whoがストラディヴァリウスを叩き壊してもいいのかも? 畑違いな飛躍しすぎか!?(笑)

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『ジャン=クリストフ』の読書は、最後の第4巻に差し掛かっている。
以前に、作品に登場する絵画として『よきサマリア人』のことを書いたが、作品には他にもクラナッハやシャルダン(芳香剤じゃないぞ)、そしてラファエロの絵などが、譬(たとえ)として登場している。
ロマン・ロラン全集版の第3巻の終盤では、クリストフとかつての教え子グラチアが思いがけない再会を果たす場面がある。
みやびやかな貴婦人たちに取り巻かれて、彼女はすわっていた。片方の肘を安楽椅子の腕の上について、少し前かがみになって、頭を手で支えて、聡明な、かすかな微笑を顔にただよわしながら、人々の話に聴き入っていた。彼女の顔だちは、ラファエロの描いた『聖体論議(ラ・ディスプータ)』のなかで、なかば眼をとじて自分自身の心へほほえみかけているあの若い聖ヨハネのそれに似ていた……
ここに登場する『聖体論議(正確には「教会の勝利」)』(1509)という絵は、ローマのバチカン宮の署名の間にあり、結構有名な作品かもしれない。


(画像をクリックすると拡大します)

では「なかば眼をとじて自分自身の心へほほえみかけているあの若い聖ヨハネ」とは、この中のどの人物か。
キリストの弟子の一人聖ヨハネは、あくまで伝説上では新約聖書の「ヨハネの福音書」を書いた人物とされている(聖書成立の歴史研究では福音書の成立に関係していないであろうとされている)。
私は、キリストが両腕を軽く広げている列の左から三番目の人物が、彼ではないかと思っている。ペンを手にして何かを書こうとしているし、なにより半ば眼を閉じ、自分にほほえんでいるかのような表情とは、まさにあんな表情…。
正直なところ、作家ってこんなところに着目するのか!と舌を巻いた。絵の理屈をのべたがる私のような輩は、美術全集か何かで絵の成立過程や中に登場する人物の中にラファエロが紛れてないかとかそんなことばかり考えてしまう。小説では「絵の理屈」などではなく、数行の人物描写の中でさりげなく、観光客があまり着目しないところ、なのにそう言われると絵の印象が倍加するようなことを盛り込んで、グラチアという人物の人となりまで浮かび上がらせている。
てなわけで、今日これからやることは決まった。図書館で大きい画集を繰って、「彼」を探す。とはいえ、二本目の親不知抜いたばかりだから、自転車を全力で漕いでは行けないけど…。

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先日の土曜日、大阪で開かれたパソコン整備士協会のセミナーで、8~10月の期間中に通った職業訓練の仲間たちと再会した。みんな元気な姿を見せてくれて、本当にうれしかった。
セミナーのあと夕食を食べに出かけたのだが、そこでメンバーの方からサクラエディタの話が出た。(サクラエディタというのはメモ帳よりはるかに使えるエディタのことである。ググッたら出てきます)
そこで思った。訓練で習ったことを復習して、htmlファイルの編集ソースを右クリックと左クリックだけでサクラエディタで開かせよう!(以下がそのやり方↓)

http://www.eonet.ne.jp/~nostalghia-1983/newaction.html

カスタマイズという言葉を久しぶりに実感した

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先日、CSSの復習とHTMLからXHTMLに書き換えることについて少し書いた。書き換えて、それをCSSでうまく反映さそうという作業は思いのほか大変かも。とにかく時間がかかるのだ。

ところで、CSSを復習するうえで参考にしている本には、WEBページの構造を単純にし、ファイルサイズを軽量化することを勧めている。それは確かにそうで、そのためのCSSであることも納得できる。
その本ではファイルサイズを軽量化するための具体的な方法として、テーブルタグを用いず、テーブルを使用したようなナビゲーションバーをULタグとCSSでつくる方法が書いてあるのだが、著者がテーブルタグを毛嫌いしているわけではないのに、読んでいて「テーブルタグってそんなにいかんものか?」と思ってしまった。
そして疑問がわいた、
「テーブルタグを頻繁に使ってあって、一見ぐちゃぐちゃに見えてもポップアートのような妙にいい味をかもし出しているページはないだろうか?」
と。
WEBサイトやテンプレートとかいう言葉を少しでもかじったことのある人からすれば、おバカな疑問に聞こえるかもしれない。実際、そういうWEBサイトを探そうにも見つける方が難しい。
だが、CSSとXHTMLで構造を簡単にし軽量化を図ったものが、こちらが望ますにぐちゃぐちゃアート状態になってたら、むっちゃ悲しい…。

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ユースホステルを出たが目的の美術館アルテマイスターの開館まで、時間があったので、少し訪ねておきたいところに行くことにした。
それはドレスデンにあってミュンヘン広場という名前の広場である。そこには第二次大戦中にナチスがポーランド人政治犯やレジスタンスを、拷問にかけたり処刑した建物が残されているのだ。
私はこの場所を、NHKのテレビで知ったのだが、その中では拷問され処刑されたポーランド人政治犯の兄弟と、ドレスデンを空爆したパイロットの息子と、空爆前の聖母教会を知っている神父が、ドレスデンの聖母教会を復旧させるために尽力する姿が描かれていた。
その姿に心打たれた私は、彼らの縁の場所、悲しい記憶が呼び覚まされる場所ではあるが、ぜひ行ってみたく思ったのだ。


人っ子一人いなかった



おそらくここで亡くなった人たちの名前



ただ立ち尽くすことしかできなかった非情な出来事



本当に小さい建物なのだ


しかし、実際にその場所に行ったところで、何かが伝わってきたものがあったかといえば、TVの特集にあった以外の事は感じられなかったのかもしれない。なにせ記念碑を読むにもある程度の想像はできるが、ドイツ語はわからないから。
ただ後世の人間による、この場所を象徴するような像と、狭い収容施設を見たとき、いつか悲しい時代が存在していたこと、その記憶が受け継がれようとしていることだけはわかった。


本当にミュンヘン広場だった


閑静な住宅街だった

ミュンヘン広場には30分もいなかった。何せ朝早いことで施設内がまだ開いていなく見学できなかった。
ドレスデン中心街に戻るため市電の駅に向う途中、なぜか普通の民家が妙に特別なものに思えてきた。このあたりに住む人々は、今でも悲しい時代のことを昨日のように語ることがあるのだろうか? 夏なのに冷たい風が吹いていた。

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一時間前に上あごの右の親知らずを抜いた。
ここ一ヶ月の歯医者通いで、とくに悪いところは無く歯石除去だけしていたが、レントゲンの結果、いずれ親知らずを抜歯することになることがわかり、今日がその抜歯の第一回目なのだ。
最初は「どんな目に遭わされるんやろ?」と不安だったが、麻酔のチクリという痛ささえ耐えれば、あとはなんの滞りも無くガリガリガリと音がしただけで、コロンと歯が一本抜けた。正直、あっけなかった。(下あごの歯だったら、どうなるんだろう?)
大きい虫歯は無いと言われていたが、歯ブラシの先端があたりにくいところだけは、少し虫歯になっていたので驚いた。
今は、麻酔が効いているので何とも妙な感じが残っているのだが、正直奥歯のほうが頼りないような気もする。
持ち帰った歯をまざまざと眺めてみる。こんなものが人間の口の中に生えているのと思うと、人間も動物なんだねぇ、としみじみ思ってしまう。次に抜歯した分も持ち帰る予定。

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CHRISTINE
Think of me,
think of me fondly,
when we've said
goodbye.
Remember me
once in a while -
please promise me
you'll try.

When you find
that, once
again, you long
to take your heart back
and be free -
if you
ever find
a moment,
spare a thought
for me...

We never said
our love
was evergreen,
or as unchanging
as the sea -
but if
you can still
remember,
stop and think
of me...

Think of all the things
we've shared and seen -
don't think about the things
which might have been...

Think of me,
think of me waking,
silent and
resigned.
Imagine me,
trying too hard
to put you
from my mind.

Recall those days,
look back
on all those times,
think of the things
we'll never do -
there will
never be
a day, when
I won't think
of you...

RAOUL
Can it be?
can it be Christine?

Bravo!

What a change!
You're really
not a bit
the gawkish girl
that once you were...

She may
not remember
me, but
I remember
her...

CHRISTINE
We never said
our love
was evergreen,
or as unchanging
as the sea -
but please
promise me,
that sometimes,
you will think
of me!

というわけで、ミュージカル『オペラ座の怪人』が、ブロードウェーの最多上演記録でこれまで1位だった『キャッツ』の記録を抜いたと、ニュースで見た(上演回数7486回)。なんとも筆舌に表し難いような、当然と思う気持ちとうれしい気持ちが混交している。
私は劇場でのことを今でも昨日のことのように鮮明に覚えている。私の空想癖もたいがいだが、もし劇場がそこに訪れる観客の感情を少しでも受け入れてくれるソラリスのような生き物であったなら、一観客だった私のことを覚えいてほしいと思う。

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昨日の記事で、文章が途切れたままupされているのに気づいた方もおられると思う。
私は眠たさのあまり、記事を「完成(公開する)」にチェックをいれたまま投稿し、そのまま臥所に就いてしまった。
今この時間に眼が覚めて、とりあえず記事の続きを書いたわけだが、睡魔って容赦しないねぇ…。
これだけはどうにもならん、と思いつつ、気をつけないとと思いつつ。以後気をつけますです

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『ジャン=クリストフ』で、主人公がさまざまな社会的階層の人々と出会ううちに、いつしか大切なことに気づく場面がある。

他の人々との一致的交わりを成就する音楽のみが、ほんとうに生きている音楽である。ヨハン・セバスチアン・バッハはもっとも孤独な最悪の時間のなかで、彼が自分の音楽を通じて表現する宗教的信仰によって自分以外の人々とふたたび結ばれた。ヘンデルとモーツァルトとは否が応でも一般の聴衆のために作曲しなければならなかったのであり、彼ら自身だけのために作曲したのではなかった。ベートーヴェンさえも聴衆を考慮して作曲しないではいられなかった。これは彼のためになることだった。世の一般の人々が天才に向って――
 「君の作る芸術のなかに、ぼくのための何があるのだ? それが全くないから、ぼくは君なんぞに用はない!」
と叫ぶのはいいことだ。
 こんな強制によって天才こそ得をする。たしかに自己をしか表現しないような大芸術家たちは存在する。しかし大芸術家たちのうちの最大の者らは、その心情が万人のために鼓動する人々である。生きている神を眼のあたりに見ることを欲する人は、その「神」を、その「神」の思想世界の荒寥たる天空のなかではなく、人と人との愛のなかに探し求めなければならない。

聴き手によって解釈の仕方はさまざまであるが、とにかく聴き手の心に何かを呼び起こさせるもの、それは作曲した本人から離れても、孫の代以降も聴き継がれるもの。そこに「芸術のための芸術」という言葉はないのかもしれない。
このことと関連して、現代で古典小説といわれるものは、昔のその当時では雑誌や新聞に載っている読み物として、一般の人が読んでいたことを、今の私はもっと意識すべきかもしれない。「古典」だからといって闇雲にありがたがらず、一人の人間が真剣に書き綴った作品として、今となっては昔のものだが今に通じるものとして読んでいきたい。

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職業訓練に通っていたころ、CSS(カスケーディング・スタイル・シート)について習い、すこぶるおもしろいなぁと思ったことがあったが、ここしばらくなおざりにしていた。
正月の挨拶でいろんな方のwebページにお邪魔しているうちに、ふとお蔵入りしていた数年前につくった文字だけの読書感想htmlページを、XHTMLに書き換えて、基本的なデザインはCSSで統一してやろうという気持ちになった。
今、その作業に取り掛かっている。はじめのうちは文法の意味を復習するのに時間がかかったが、書き換える箇所さえ分かれば、あとは置換で同じ作業の繰り返しとなる。エディタはもちろんサクラエディタというわけで、作業はスムーズに行える。でも、それはそれで、そんなに楽しくない単純作業なのだ。。。
それにしても、昔の自分の読書感想を読んでいると、正直顔から火が出る思いだ(笑) そして今の自分にとって、過去に読んだ本で再読したい作品、別にしなくてもいい作品がくっきり分かれつつあることも、面白い発見だった。また近いうちに自分の好みの作品を整理したいと思う。

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