デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



昨日、レフ・トルストイと題し「苦しんでるなぁ 気を使ってるな 観察力あるなぁ」と書きかけのまま記事を投稿してしまったが、その三言で今回の記事が済むといえばそうかもしれない。
今回読んだ作品は断片的なノートと手紙からなっているゴーリキーの『レフ・トルストイ』という"回想"である。ゴーリキーは晩年のトルストイと親近する機会を得ているのだ。
ちなみに、この回想はトーマス・マンが講演のなかで採り上げている作品でもある。実際に読んでみると、マンがゴーリキーの最高傑作と言ったのも分かる気がした。
小説を、それもロシア小説を少し読んだことのある人でも、トルストイの人間像についてはなかなか突っ込んだことを知る機会を得れないと思う。何を隠そう私もそうなのだが、しかしトルストイ最晩年の白髪と豊かな髭を蓄えた神々しい風貌のなかに、どのような「神々しい精神(しかし気まぐれな)」が隠されていたか、それを知るのに一級の資料となるのがこの回想だろう。
晩年のトルストイを崇めるようにして、彼に会いにきた人々は、彼の神々しさに平伏し(舌を巻き)、または憤慨して彼のもとを去ったのではと思う。この回想のトルストイは、一読者からすれば「生涯旦那臭を発散させ続けたいやな爺さん」だ。しかし多かれ少なかれ、人を心から平伏させる人間の特徴って、こうだよなぁと思うと、擬似的な体験ながらも今後役立つかもしれないと思う。また、学校に通っていたころの自分におすすめの本であるとも思った。

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ギターソロのカントリーロード(練習)

バンドの仲間からジョン・デンバーの"Take me home, country roads"(故郷へかえりたい)のギターアレンジ譜面があることを教えてもらった。
私にとってはむずかしい背伸びせざるを得ない曲なのだが、ギターをつづける気持ちを起こさせる曲でもある。
まだまだミスも多い曲だし、しっかり弾けていないが、再度チャレンジするつもりである。

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木星か金星か分からないが、月のそばに星が出ていたので思わずパチリ。三脚を持っていなかったので出来るだけ動かないで撮ったものだが、それにしても昨年買った新しいデジカメは、すごいなぁとつくづく思う。

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ブラームス(1833-97)は57歳のとき、もうやることはやったのでこれ以降作曲しない、と友人に書き送ったが、その翌年に優れたクラリネット奏者と出会ってから再び作曲を行なうようになった。
ブラームス最晩年の作品に「6つのピアノ小品」という作品がある。この曲を知ったのはロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を読んでいたころだったが、夜に車のラジオからライブ中継で流れきたのがきっかけだった。『ジャン・クリストフ』のジャンは執拗といっていいほどブラームスを嫌っている。その勢いに流されて当時の私はブラームスを食わず嫌いになってしまいそうなほどだった(笑)。しかしラジオからの曲でそんな食わず嫌いなど覆ってしまった。
流れていた曲は「6つのピアノ小品」の第2曲_間奏曲イ長調(別ウィンドウが起動します)だった。普段、ラジオの司会者のいうことなど右から左だが、そのときはブラームスと6つの小品、インテルメッツォ、という言葉はメモせずにも覚えられた。
それからCDをいろいろ探してみたが、なかなか試聴の機会に恵まれず、いつしか探すのをやめてしまった。
しかし時間が経つとふと「ブラームス」という言葉に何故か反応し、急激になつかしさがこみあげてきた。で、ヴァレリー・アファナシエフ演奏の「ブラームス後期ピアノ作品集」を、ようやく入手した。アファナシエフの演奏は全体的にテンポが遅いといわれているそうだが、個人的には、これだ!と思う演奏だったのだ。勝手な思い込みだが、これぞブラームス最晩年の様子がイメージできるのではと思った。
それにしても、ヴァレリー・アファナシエフという人は奇才というか、多才やなぁ(笑)。

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最近は読後に少し気持ちが暗くなる本が続いたように思うが、今回は心が熱くなる本を読んだ。フィリップ・モウルド著『眠れる名画-スリーパーを競り落とせ!-』(文藝春秋)である。
まれに千円で引き取られたような美術品が転売を繰り返すうちに、過去の巨匠の作品であることが分かり、最終的に数億もの値がついたことで、メディアをにぎわす出来事がある。この本は二束三文でオークションに出される薄汚れた絵が、実は歴史上知られた画家の作品であることを自ら突き止め、安い値段で競り落とし、その絵画の数奇な運命を歴史と人間模様から語っている本なのだ。
絵?、有名画家の作品の何がいいの?、絵の転売ゲームでぼろもうけする人たちの話でしょ?、絵画の市場システムがないと成り立たないでしょ?、とか思う人もいるだろうし、その気持ちも時として分からなくもないが、しかしこの世に知られていない名画を見つけるために世界中を旅して作品を見定め、ライバル達と日々戦う姿は真摯である。
この本にはいろいろなことが書いてあるが、原形をとどめていないのに一目見た瞬間に絵画に魅せられる時の、直感以外説明がつかないというところはとても神秘的である。またこの直感に自ら疑いをかけて、アカデミックな観点から「まさかこんなところに有名画家の作品があるはずない」と自分を納得させたことでスリーパーを見逃してしまい、後悔する話も読むと自分のことのように残念な気持ちになったりする。
どの業界にしろ、アカデミックな知識を吸収し、旺盛な行動力を発揮し、あらゆる人生訓・ことわざなどを自覚・自省してそれを生かすことは大切だが、この本はどんなことであれ謙虚に学ぶことの大切さを教えてくれている。美術が大好きな方、オークションの舞台裏を知りたいと思う方、そして何のためにアカデミックな学問が必要なのかを知りたい方におすすめの本である。

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聞きなれたタイトルでは『星の王子さま』である。作品についてのちょっとだけ、こちらに書いたことがある。
今も世界中で読まれているサン=テグジュペリの『ちいさな王子』、せっかく借りたので読んでみた。相変わらず読み手に厳しいだけでなく、切なさで満たされているはなしだと思う。
訳者の解説にもあったが、なにもかも無くした(作品の場合は砂漠に独り不時着)状態になったとき、はじめて見えたり悟ったりすることがある。サン=テグジュペリは現在ほど飛行機の技術が発達していないころの飛行機乗りだった。そんな時代に飛行機事故に何度か遭遇した体験は、常に死と隣り合わせである。それに一瞬の死ではなく不時着という、たとえ死が訪れるにしても、それが徐々に忍び寄ってくる状況に置かれる経験……この世であたりまえとされる価値観を逆転させざるを得なくなってしまう。
作品を読んで、厭世的な気持ちになることもあったが、それは逆にいえば日々の心持を豊かにするヒントでもある。多くの人が見過ごす当たり前のものに美を感じることは難しい。しかしそれを愛でている人がいたとすれば、その人と同じ目線になれるような姿勢をつくろうとすることができるのでは。

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