中国を舞台にした中国人作家の小説を読んだのは何年ぶりだろう。ましてや、中国の同時代作家の長編は初めてである。
『兄弟(BROTHERS)』(2005-06)は、中国の文化大革命の時代とその後の開放経済政策の時代に翻弄される二人の義兄弟、李光頭と宋鋼が主人公の小説である。
人間が自分の欲望のままに生き、政策や経済の波が押し寄せて町が変貌していくさまをありのままにグロテスクに描かれている作品なのだが、巻末の解説にあるとおり、現代中国がなぜ今のような姿になったのか、その当事者である中国人の姿を象徴的かつ喜劇的に描いてあるゆえに、顰蹙を買い同時に称賛もされたというのは読んでいて分かるような気がする。
読者にとっては不愉快きわまりない作品ということは、多くの場合本質を衝いているということだ。私個人は作品を読み終えて、大分前に19世紀のフランスの小説家バルザックの『ゴリオ爺さん』を読んだときに感じた不快感を思い出した。『兄弟(BROTHERS)』と『ゴリオ爺さん』とはストーリーは異なるものの、金の為なら何だってやる、すべてを吸い尽くそうとする飽くなき欲望を剥き出しにする点で、似ているように思った。
作品には自分の欲望をさらけ出して生きる人間と、その対極といっていい愚直で正義感の強い人間も登場する。その登場人物がどうなったかは、作品をお読みいただければわかるが、彼の末路について中国国内で批判的な意見があったということには、正直ホッとした。
現在の中国の若年層には文化大革命のことを知らない人たちもいるのだという。『兄弟(BROTHERS)』に出てくる文化大革命の姿は、少なくとも情報統制されたきれいな「革命」などではない、人々の実際の行為を描いているように思う。歴史は小説ではないという意見もあろうが、小説の方が年表を語られるよりもはるかに訴えるものがあることがある。のちの世代の歴史認識の風化は進むものだが、時の流れとともに埋もれてほしくない貴重な証言や新事実を得る努力へといたるまでの入口として、この作品に触れることも決して悪くない。
| Trackback ( 0 )
|