並川孝儀 著「『スッタニパータ』仏教最古の世界」(岩波書店)読了。
パール・バックの『大地』の次に読んでいた「『スッタニパータ』仏教最古の世界」。「スッタニパータ」は仏教の経典で最も古い経典であり、釈尊自身が悟りや輪廻や無我や涅槃についてどう考えていたかを知る上で欠かすことのできない資料である。並川氏の著書は『ゴータマ・ブッダ考』以来だが、この人の本は釈尊について後世が作り出した釈尊像に疑問を呈し、最古層の文献を読み込み原初の仏教を考察する姿勢が貫かれていて、最古の仏教に関心をもつ私には興味深い内容がとても多い。
今回も仏教のことについてたくさん考えさせられたが、本を読んで特に考えたのは釈尊は悟りにせよ輪廻にせよ涅槃にせよ、弟子たちが聞いていてなんとなくそうなんだろうなぁと納得するようなことは語ったが、それは案外漠然としていているもので、それはそれでよいのではないかということであった。現在仏教の薀蓄を傾けて語られるような難しいお経や戒律や宗派が重んじている教えは、釈尊の言葉が偏頗でもなく大らか過ぎることも無く中庸であったから起こった、ともいえるわけだ。
きっと釈尊も自分の教団が、教団として形を成していく過程で起こる諸問題に現実的な対応をしたであろうし、他の類似点のある宗教との諍いを極力避けてどう向き合うか考えたように思う。現実問題に直面したときに静かな物腰で中庸の態度でもって考えを説かれると、やっぱり皆が納得したのかもしれない。ひょっとすると思いの外、釈尊による案外漠然としている言葉は、釈尊が言ったから皆が納得したようなもの、たとえブッダ(目ざめた人)となった弟子が釈尊と一言一句同じことを語ったとしても、釈尊のキャラじゃなければ効力を発揮しない性質のものかも(笑)。なので釈尊亡き後の教団を継ぐ人間たちの仕事は、もっぱら生前の釈尊のキャラをそのまま伝えようとするのでなく、どのように教団を発展させるため肉付けしていくのかの作業だったのかもしれない。
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