デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




大文字マイスターさんから幻の滝への行き方も教わったので、せっかくだから中尾の滝で引き返さず、幻の滝を経由して頂上まで行ってやろうという気になった。


ただ道は荒れていた



昨年9月の台風でだいぶ荒れたと山で会う人たちから
聞いてはいたが、これほどまでとは思わなかった。



これも台風の爪あとなのだろう


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中尾城跡からいつもの火床の方向へ道なりに歩いていると、午後に火床や登山道で何度かお会いしたことのある、私個人は「大文字マイスター」と心の中で尊称を贈らせていただいている方とばったり出会った。大文字マイスターさんは頂上で出会ったのであろうお二人の道案内を買って出ている様子だったが、休憩がてら足を止めていただいて、私の行ってみたい所について詳しく教えていただいた。大文字マイスターさんはいつも自分の手書きの地図のコピーを携帯していて、尋ねられたら詳しく教えてくれるだけでなくなんの躊躇も無く「(地図を)あげます」とおっしゃってくださる名物おじさんなのだが、一度いただいたことのある地図で今回も詳しく教えてくださった。とてもありがたかった。
行きたかった場所は中尾の滝というところである。大文字山には水を汲めるところがあるので、どこかに水源があるんだろうな、と思っていたが、今回の「冒険」で水の流れを遡るというわけである。





地点を示す付箋みたいなものがあった






道を見失わなければ行けるところだった



中尾の滝



水があるということが城を建てる
立案に寄与したのかもしれない



しかし、実際のところは「大文字マイスターさん」に
出会わなければここまで足を運ばなかったろう(笑)


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中尾城跡

何度も登っている大文字山であるが、日曜日のいつもの分かりやすいルートは人が多く通るので、せっかくだから何度も登っている間に知り合った方々から教えていただいた「(大文字山の)いろいろな場所」に行ってみようと思った。
これまで登りながら、あの道は行けそうだとか、人の踏み跡があるな、といった感じで、ルートの見当はついているので、地図を持たず迷ったら即引き返すつもりで、人がほぼいないルートをせっせと登っていった。
お尻の白い鹿が目の前を駆けていったりし、なかなかおもしろい体験もできた。


中尾城の戦いについてはこちら

ルートについての関心のある方はwebで検索したら詳細はすぐに出てくるので省略する。
私は地図なしでも山にある道標やルートを示すテープを目印に辿り、また道をよく確認し大体の方角をチェックしながらでも、どうにか辿り付けた。順路を辿っただけではあるが、初めて訪れた場所なので少し感慨深かった。
帰宅してから改めて知ったのだが、やはり大文字山や比叡山は室町時代から安土桃山時代にかけての歴史の主だった舞台なのである。

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民放で映画『テルマエ・ロマエ』が放送されていたので思わず見てしまった。作品は二度目の鑑賞であったが、二度目となると細かいところまでいろいろと凝っていることに気づけた。
原作はコメディであるがゆえ、古代ローマのことをかなり勉強した人であることを察することができる。映画でも古代ローマのディテールの表現に凝っているのはわかったのだが、映画となると原作者にとって想定外のような仕上がりになってしまうこともあるゆえ、映画『テルマエ・ロマエ』に大しては原作者はどのように思ったのだろうと、少し気になった。

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日が長くなったので、ちょいと歩きがてら、わらびを摘みに行ってみた。画像は摘んで帰ってからすぐにお湯を通して、その翌日の状態の分である。
私は植物について詳しくなく、似たようなものを間違って摘んでしまうかもしれなかったので、同伴者で詳しい人に教えてもらいながらのわらび摘みであった。私の摘んだ分は四分の一ちかく別の植物を摘んでいた(笑)。人様にあげる前に「検品」をお願いして本当によかった。

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ターナー「嘆きの橋、ヴェネツィア」(1840)

フランスの作家マルセル・プルーストの大長編『失われた時を求めて』には、芸術はどういったところにあるのかを探し求めるという大きな要素がある。
作中の登場人物にも画家や音楽家が登場するのだが、作中に出てくるエルスチールという画家の描く作品には「隠喩」が描いてあって、その描写はターナーの作品ではないかと思うほどなのである。もちろん、エルスチールの作品には他の画家の作品の影も見出せ、ホイッスラーやマネ、モネといった画家たちの作品の影響があるかもしれないことも見逃せない。
展で「嘆きの橋、ヴェネツィア」を見たとき、この陸地と海面の境の規定がはっきりしない描き方に、厳密には異なるんだが、プルーストの作品のことを思い出したものだった。まるで陸にあるものを海の用語で喩えたり、その逆とかいったことでなく、光のマジックのせいで陸地と海の境界線を自由に流れるように移動できてそこにものの見方の垣根を取り払うような印象を得るヒントを示唆してくれているかのように。

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ソンテオ

バンコクではタイミングが悪かったせいか、あまり見かけなかったが、ソンテオと呼ばれる乗合トラックも走っていた。
乗合トラックは東南アジアや中央アジアの国々では珍しくない。路線バスがなかなかこずにいる場合、自分の目的地がトラックの行き先やその途中であるならば、降りたいところさえ告げておけば着き次第止まってくれるので、思いのほか便利なのである。(ずばりバスより早い定額運賃の乗合タクシーみたいなものだ。)うまく利用すれば交通費を節約できる。

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歩道橋から(1)



歩道橋から(2)

バスを降りて歩道橋を上がってみた。エアコンの効いたバスから一転、すぐに汗がにじみそうになるのが感覚でわかるのであった。半ズボンで歩きたいところであったが、ワット・プラケオや王宮に行く予定もあったから仕方が無かった。


右の方の渋滞を体験した(笑)モーターサイの
商売が成り立つ理由が分かるように思った。



横断歩道を渡るにも注意が必要だが、
ここは慣れている現地の人に便乗した


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3番のバスに乗り南へ

赤バスよりも少しだけ値段が高いがエアコンの効いたバスに乗り、南のほうへ。ワット・プラケオや王宮よりも先に行きたいところがあった。
バスは途中までは結構快調に飛ばしていた。しかし民主記念塔あたりでほとんど進まなくなった。渋滞をうまくすり抜けていくのはバイクばかりで他の車も渋滞にはまり込んでいた。今になって分かるのだが、あのタイの恩赦反対のデモの始まりで民主記念塔周辺が最も活動が激しい場所のひとつだったのだ。
あるところでバスはUターンし、本来のルートから一部外れて運行したみたいだった。すると渋滞など嘘のように快調に走り出した。


チャオプラヤ川だ!

下車する場所を料金回収係の人に伝えておいたので、すんなりと降りることができた。


バイクはどんどん車の間をすりぬけていく。


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モーターサイでは狭い街路を駆け巡れる


モーターサイはバイクのタクシーである。運転手が共通のベストを着ているのがモーターサイの特徴である。料金は交渉をしなければならないらしいが、比較的安い値段で近距離を渋滞知らずに移動できるという。朝、これを利用している現地の人をよく見かけたものだ。
私は自分の運転しない二輪バイクはなるべく乗りたくないので、この旅行中にはモーターサイを利用しなかったが、モーターサイで商売が成り立つ理由をこれから一時間もしないうちに思い知ることになった。



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