宇喜多秀家陣跡へ
宇喜多秀家陣跡
五大老の一人宇喜多秀家は朝鮮出兵に応じ、撤兵後は当初から石田三成に協力し西軍の副大将を務めた。
関ヶ原の合戦での宇喜多秀家軍と合戦後の秀家の運命については、この陣跡を訪ねて初めて知った。寝返った小早川秀秋に怒り小早川秀秋と決闘を覚悟するも、秀家に仕えていた明石全登 (てるずみ)の勧めで伊吹山中に逃れた。その後、薩摩に落ち延びるが家康に引き渡され、八丈島に流されそこで84歳まで流人として生きた。関ヶ原の合戦の当時28歳だったと知って、なんともやるせない気持ちになった。
田中吉政陣跡
石田三成は激戦の末敗れ、逃走することになったが、三成の捜索を命じられたのが田中吉政である。吉政は現在の滋賀県長浜市で三成を捕らえた。
解説板にもあるとおり、吉政と三成は同じ近江の出身で三成を丁重に遇した、まさに同郷のよしみといっていいエピソードはホッとさせるものがある。その礼として三成が豊臣秀吉から拝領し最後まで佩用(はいよう)していた脇差を吉政に授けた。その脇差を東京国立博物館が所蔵しているとは・・・。数年前に博物館に行ったとき刀の展示に見入ったものだが、こういうエピソードを知るとまた東京に行きたくなる。
この日の関ヶ原古戦場跡の散策はここまで。