銀製耳杯・鍍金支座
こういった豪華な容器を見ると、司馬遷の『史記』にある漢王朝成立のときの劉邦のブレーンだった人物の言葉が頭をよぎる。
高祖(劉邦)は帰還して、宮殿や宮門の壮麗なのを見てはなはだ怒り、蕭何(しょうか)にいった。
「天下は、ものぐるおしく戦いに苦しむこと数年、その成敗はまだわからない。それなのに、どうして度を過ごした宮殿などをつくるのか」
だが、蕭何が、
「なるほど、天下はまだ定まっておりません。ですからこそ、壮麗な宮殿をつくりあげるべきです。かつまた、天子たるものは四海をもって家となさるべきです。壮麗でなければ重々しい威厳がありません。また、わが後世の君主がこれ以上壮麗になさる必要がないようにしておくのです」
というと、高祖は悦んだ。
『史記(上)中国古典文学大系10』(平凡社)野口定男 訳
『史記』の「高祖本紀」のこの箇所を読んだ時、なんの逸話だったか記憶がおぼろげではあるが、戦勝国の権限を委任された者を迎える時に、敗戦国側は「我々にはまだ力がある」ということを態度及び建物や部屋の威厳でもって示すことが戦後処理の結果を大いに左右するという記述を思い出した。刀や銃で傷つけあうことのみが戦ではないと展示を見て思った。