デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



おやつ代わりにPHO24という有名な店でフォーを食べた。納得の味で、昨日のごとくいきなり屋台でチャレンジするよりは、最初からこの店にくればよかったと思った。
ベンタイン市場の向かいの広場で日記を綴っていると、マイスという名前の青年がダーカウの羽を売るため、私の横にちょこんと座り、英語でいろいろと話しかけてきた。サッカーは下手だと何度も言っているうちに、マイスはいろんなことを話しかけてきた。ダーカウの羽を売りたいというよりは、話す相手が欲しい感じだったので、日本のサッカー事情について一席ぶったりしているうちに、いつの間にか真剣に話を聞いてくれているようではないか。でも話の要所要所で、You try?と羽を勧めるところは、なかなか粘り強かった。

秋の日は釣瓶落としというが、ベトナムでもそんな感じだった。18時ごろになると一気に暗くなってきてバイクのライトが道路を覆うのだ。


しばらくカメラを構えているだけで…

以下のように暗くなってしまう。これまで東アジアは台湾より南へ来たことがなく、南国は日が沈まないと勝手に思っていた。でも、こんなに速く日が沈むとは本当に意外だった。


国営百貨店:やたらきらびやかなのです。

この日は木曜の夜だったのだが、サイゴン大教会の周りや近くのチラン公園ではバイクで乗りつけたカップルでいっぱいだった。彼らを目当てにノン(すげ笠)を被り天秤棒を担いだおばちゃんが公園内でお菓子を売る光景が見られたりした。


お互いバイクで乗り付けてます



待ち合わせの場所でもあります

昨日のもや(霧雨?)がかかったサイゴン大教会とは違って、晴れた夜の教会はデートスポットになるようだった。昼間は観光客がたくさん訪れるが、夜はほとんどが現地の若者ばかりだった。


とはいえ、夜もバイタクいます

生真面目そうな眼鏡をかけた青年と女性がいた。何も語らずじっとしていた。


大いなる人生の決断?



何はともあれ、あんたらを祝福するよ


夜のホーチミンは騒がしいけど美しかった。


日本企業の看板が目立ってます


夕食は、昨日フォーを食べた屋台は遠慮して、手堅く昨日と同じようなメニューにした。





なかなかのお味でした

二日もすればなんとなく屋台に入るのも慣れてきた。一人座ってビールをちびちび飲んでいると、現地の客が団体で入ってきた。席を移っていただけませんか?とウェイターから言われ、席を移ったものの、本音を言えばたとえベトナム語で何言ってるかわからないなかでも寄りたい気分になった。彼らのテーブルを見ていると、旨そうな料理がどんどん注文されて出てくる…。夕食食べたばかりなのに、物足りなさを覚えたのだった。
いろいろ思いながら、そそくさと宿に戻ろうとしたが、何故かこの時ばかりは道に迷い、散々歩き回って宿にたどり着いた。余計にお腹が減った記憶がある。

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子パンダです…

いやぁ、思わずクリックしたくなる写真ってあるよねぇ。(この画像はhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061125-00000030-rcdc-cnのニュースから)

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あと博物館については伝統の織物と、青銅の工芸品、そしてアメリカの戦闘機に目が行った。でも今となっては画像による記録としかいえないかも。








テラスに出て上を見上げたところ。



下には戦闘機などが。



戦闘機が展示されている傍の大木に祭壇が。ちょっとホッとしました。












たぶん現地の人

最後の写真を撮ったとき、どこの国でも男の子は武器を見ると触ってみたくなる本能があるのだなあと改めて思った。自分の小さい頃を振り返ってみても、すぐに「戦い」を始めたがる本能は確かにあった。今でも世界中で起こっている戦争がその本能故に起こっているのかはわからない。でも、少しでもその本能を自分でもっと省みることができたら、もうちょっとマシな世界になってる気がする。

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ベトナムのことについて何一つ予習してこなかった私にとって、ベトナム語と英語の表記しかない博物館はとても辛かった。


入口からすぐにあった砲身



なにやら動きそうもないクラシックカーが…



階段で撮影などやっていた


建物に入り、アオザイを着た案内の女性からパンフレットをもらい順路を示されたが、パンフレットはベトナム語と英語が少し。参ったなこりゃ、と思いつつ、とりあえず展示室へ。


ワニだ。

先史の部屋の中にベトナムに生息する動物たちの剥製が展示されていた。他先史時代の石器や船などが展示されていたが、廊下の端にどさっと置かれていたので、雨風にやられるのでは?と思ったりした。

案内係の女性から渡されたパンフレットは、19世紀から20世紀にかけてベトナムで作られた芸術品のセラミックス(陶器)のみが載っていただけだった。






陶器の年代を見ればフランスから植民地化されていた頃のものだそうだが、解説がないとやっぱり分からないのだった。私の単純にフランス占領下にあっても”独自文化は守られていた”ことの証なのか?と思ったりした。

部屋の順路が分からなくなり二階に上がってみると、やっぱりあった。ベトナム戦争関係の資料の展示が。


実際に使われていた無線機



実際に使っていた武器



ベトナム戦争終結の絵か?

1975年4月に北ベトナムと解放戦線がサイゴンを陥落させ、大統領官邸(今の統一会堂)に入ったところを市民が歓迎・歓喜をあげているように描いたものと思う。
この手の絵は洋の東西を問わず、政府軍の偉業を賛美するものとして存在するのだ。


見るからに恐ろしげなものが…



爆弾を作っている様子だそうです…

戦争当時、こんなの光景が日常茶飯だったと考えるとぞっとする。加工しているときの事故もそれなりに起こっただろう。


なんとソビエトの国旗が。

ベトナム社会主義共和国が成立するまでのベトナム民主共和国の初代大統領ホー・チ・ミンについてはこちらやその他のwebページを見て、思いのほかソ連と関係が深かったのかぁと今になって知るのだった…。

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いつの間にやら昼になっていた。外国に来ると朝食が少なめなのに普段より歩くからか、何か妙に腹が減る。
それでまたベンタイン市場までやってきたのだが、ご飯ものの定食が食べたくなった。適当に食べられるところを探したら、市場の傍の道端でビーチパラソルを広げてご飯を食べてる現地の人々がやたら目に付いた。その光景を見ていると、なんか旨そうに見えてきて、青空食堂で食べることにした。
現地の人を主な相手に商売をしているからか、ご飯作ってるおばちゃんたちは日本語なんか話さないし、価格を英語でいうのもおぼつかない感じだった。


意外においしい。

10000VDNで上の定食が食べられた。もちろん歩道上の幼稚園児がおもちゃで使うようなテーブルと椅子に座ってご馳走になるのだ。


ケタケタ笑っていた女の子ら

このような体験はあまりできないので、旅行者らしくカメラを触っていると、横で私の様子を見ていた女の子らが、ケタケタ笑った。彼女らにとってみれば、おもしろいアクションだったようだ。

腹も膨れたことだし、後々のために歩いておかねばという気がした。ベトナム歴史博物館まで歩いていこうと思った。今から考えると、どうしてそんなことを思いついたのか、よく分からない。


現地のおばちゃんはすごく逞しいのです

博物館に着くまでの道は、なんか昔の日本ってこんな感じだったのかなぁと思うような光景を目にした。ただ、昔と言っても昭和の高度成長期以前といえばいいか。


何の違反?

数多くのバイクが通り過ぎる中、警察が取締りを行っていた。だが傍から見ていると何をどう違反したのか、皆目見当がつかないのである。少なくともノーヘルではなさそうだった。
情けない話だが、いたずらに水を減らしながら一時間近く歩いたのに、ベトナム歴史博物館を見つけることができなかった。地図を見てこの辺りのはずという場所で何人かに聴いてみたが、だれも知らないというのだ。看板を探してみても、現地の言葉で何が書いてあるか分からなかった。(ホテルに帰って、とっし~の持ってる詳細なガイドブックを読んで初めて分かったのだが、私の持ってる地図は大雑把過ぎて、どこの通りから入るのか広い動植物園の敷地のどの建物なのか、書いてなかった。そら現地の人にいくら地図を見せても分かろうはずも無い…)
結局、何も知らぬまま通りを行き過ぎてしまって見つからない探しものを探している有様だった。
諦めて、確実に分かるところに行こうと思い、バス停でバスを待った。


ホーチミンのバス停はこんな感じです

すると乗りたいバスはなかなか来ないものだ。バス停で顔を合わせた女性はたまたま通りかかった知り合い?のバイク男と二三言葉を交わすと、バイクにまたがって去っていった。

実際どれほど待ったのかは分からないが、待ち時間は30分近くに感じられた。バスに乗り、ホーチミン市博物館へ。料金は2000VND。


バスのなかも一昔前のような



道路はそれなりに混んでるのに、意外とバスは早いです



バスを降りると…

バスを降りると遠くにやたら大きい雲が、どんよりどよどよと出来上がってるのが見えた…。また雨かも、やめてくれよとつぶやきたくなった…。

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大抵の場合、旅行期間中は時間がもったいないので、一ヶ所にずっと留まっていることはできないと思う。ただ、この日に限っては雨宿りのこともあって、しばらく郵便局でじっとしていたこともあって、晴れ間が来るまで待つことができた。そして澄んだようなサイゴン大教会を目にすることができた。





空がエル・グレコの絵みたいだったのです。










空気も建物の汚れも一瞬にして流れ落ち、日差しによって教会が映えた感じがした。待ってよかった、写真を撮るタイミングがとてもよかったと自己満足ではあるが正直思っている。
それにしても道路が乾くのが異様に早かった。そしてどこからともなく観光客が教会の周りに集まってくるのだった。そしていつもどおり、バイタクから声をかけられて、断りつづける光景が見られた。

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帰国してからサイゴン大教会が建てられた時期について調べてみると、19世紀ベトナムの阮(グエン)朝とフランスの関係や明命(ミンマン)帝のことに目が行った。要するにフランス植民地時代に建てられたんだと思うと複雑な気持ちになってくる。
サイゴンを象徴する建物のなかで、とりわけ美しいこの教会は、いろんな意味でずっと残っておいて欲しいと思った。


旅行者も祈りを捧げます



構造はゴシック式。なかは南国らしく扇風機がある。



ステンドグラスは一部が欠けたりしているところも



いろんな言語で碑文が。でも大体分かるのだ。


















ウラジーミルの聖母の複製

教会の中を見ているうちに、なんと「ウラジーミルの聖母」の複製が掲げてあるのに気づいた。このイコンはモスクワのトレチャコフ美術館にあるのだが、ゴシック式のカトリック教会なのにギリシャ正教やロシア正教のイコンが飾られてあるところなんかは面白かった。なんというか、信仰の象徴さえあれば「宗派」の違いなんて気にしない、そんな磊落さが感じられた。





ステンドグラス

ステンドグラスは美しく、とくに入口からすぐ左にある聖母子と養父聖ヨセフを表現したものが素晴らしかった。聖マリアの顔はダヴィンチから影響を受けたベルナルディーノ・ルイーニの描くマリア像を思わせた。

外に出てみると、依然雨は止んでいなかった。でも時間がもったいないので昔?の記念切手を10ドルで売ろうとするオバチャンを避けつつ、教会の側面に回り込んだりした。





雨の中カメラを構えるのも勇気が要ります


雨が止む気配がなかったので、郵便局に入り浸り絵葉書を書いた。郵便局も観光名所なので絵葉書を書いている人がいるかと見渡したが、私だけだった。他の観光客たちはベトナムで買ったものを荷物にすると面倒くさいので、本国まで送る手続きをよくやっていたように思う。


記念切手だけでなく、カタログや芸術的なレターセット、受話器まで売っていたりします



絵葉書はセットで買うと安いようで、他の観光客たちはこぞって吟味していました


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歩きながら、すごい雲ができているなぁと空を見上げていた。天気予報では雨とか言っていたので、こりゃくるかもなぁと思っていた。


でかい雲が低い位置にあるのです



雲の流れは早く



日が射さなくなった

ベンタイン市場までやってきた。市場は通っただけだが、旅行先についてのアドバイスやガイドブックにあるとおり、バッグに鍵をかけ貴重品に気をつけた。


なんか撮りづらかった…

市場でもいいアングルがあったのにデジカメ撮影を断念したのは、それをきっかけに物を買わされる可能性があったからである。また結果的に狭い場所で囲まれてしまうような状態になったとき、いつの間にかカメラだけ「あっ、無い!」なんてことになるのは、気をつけたいという思いもあったかも。

市場は後回しにして、サイゴン大教会の近くまでやってきた。
ポツリと頭に水が落ちてきたと思うと、一気に10粒ほどの水滴を浴びてしまった。もちろん早急に雨宿りをした。


折り畳み傘は役に立ちません(笑)

近年、日本でヒートアイランド現象によってビル街の一ヶ所に集中的に雨が降ることが問題視されているが、叩きつけるような雨季の南国のスコールは半端じゃなかった。
私は雨宿りしている間に、教会の閉門時間が来てしまうことで焦っていたが、「雨じゃわい。少し休んでいこうか」と言わんばかりに雨宿りしながらのんびりタバコを吹かしている現地の人々を見ていると、その余裕が羨ましかったりした。


雨対策はしっかりしているようです



とはいえ道路は一気に静かになるのです

さっきまでのバイクの渋滞はどこに行ったんだ?というくらい、エンジン音はほとんど聞かなくなり、代わりに雷鳴と雨粒がアスファルトを叩きつける音ばかりが聞こえるのだった。
日本で買っておいた100円の折り畳み傘を差して教会まで向った。途中、豪勢な建物の中のカフェから外を見ながら一服している人を見かけた。スコールの様子をガラスを隔てて見ている旅行スタイルもいいなぁと思いつつ、教会の前まで来た。すると私と同じような感じで、雨の中、教会や郵便局に入っていこうとする旅行者がちらほら。なんだかホッとした。

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翌日、とっし~はベトナム戦争当時に解放戦線によって掘られたクチ・トンネルを見に行くツアーに参加したので8:00には部屋を出ていた。
私はといえば、昨日惹かれたサイゴン大教会の中を見たかったので、8:30という少し遅めの時間にホテル前の道端の「お店」で朝食にありついた。


道端で商売するのは当たり前:↑はヤオンさん

ヤオンさんの店で5000VNDのフランスパンにオムレツと野菜が挟んだサンドイッチを作ってもらったが、どんな風に料理されるかは、画像にある器材を見るだけで想像がつくだろう。そしてサンドイッチを作ってる横で、幼稚園児が腰掛けるようなプラスチックの椅子に座って気長に待つしかない。ホテル街で暮らす現地の子供たちや、通りがかる同じような安ホテルに泊まっている西洋人旅行者と時々言葉を交わしながら待ち、出来上がったサンドイッチを食べた。昨日まで路地に座って現地の野菜とタマゴとパンを食ってる自分の姿なんて、想像もしていなかった。

サイゴン大教会は10:30で一旦閉まる。なので急ぎ足目にレロイ通りへと歩いてたら、昨日の日本語で汚い捨てゼリフ吐いたバイタクのおっさんが「や、おぼえてる~?」と声かけてきた。「誰が忘れるか」と思いつつ、さっさとバイクが通れない公園の方へ歩を進めた。旅行者相手に「商売」する人は、そのへん図太い。現地にいる間、多くのバイタクの運転手から声をかけられたが、どうにか客にしようと粘り強い人が多かった。


信号待ち:朝から渋滞してます

レライ通りとファングーラオ通りとの間にある9月23日公園を通った。ここは恐いところだと思っていたが、昨日の夜、ホテルに戻るときあちこちでカップルがいちゃついてて別に危険とは思わなかった。
そして朝となると綺麗な木々や芝生を目の前に石のベンチに座って新聞や本を読んでる人、太極拳にいそしむ人がいたりと至って平和だった。


体育の授業



あの座り方、日本と同じか?

体育の授業を見ることができた。女子は腕立て伏せみたいなことをしていて、男子は徒競走のスタートの練習をしていた。厳格なビシビシやる授業かと思いきや、生徒たちはけっこうガヤガヤと私語をしていたりする。でも統制が取れてて授業を放り出すような態度をしている子は見かけなかった。

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外国での一番の「壁」を感じるのは言語の違いだと思うが、私の場合その次にくるのは料理である。要するに腹痛を警戒するあまりの壁なのだが、やっぱりまったく別の国にきて、その国の料理を堪能しないのはあまりにももったいないので、なんだかんだ言いながら食べてしまう。
で、食べましたよ。米からなんでも作ってしまうベトナム料理の典型の「ベトナムうどん」のPHO(フォー)を。フォーは朝・昼・晩、必ず誰かが食べているところを見かけたぐらい、ベトナムを代表する料理といえよう。


12000VEN(ベトナムドン)のPHO:ベンタイン市場の屋台にて

これを食べる前にファーストフード感覚で食べられるようなPHOの看板を掲げていたレストランがあったのだが、そこは24000VDNの値段を掲げていた。その他の店も同じような値段だったので、どうせなら安い屋台のフォーを食べたいと思い、適当なところに入ってフォーを食した。
料理については、やっぱり日本であらかじめ調べておくべきだねぇ。フォーの出汁や入れられている野菜とか、また食べやすいフォーを出す店とか、食べ方とか。
ベトナムで初めて食べたフォーで私はおバカな失敗した。画像にある黄色い「漬物」みたいなものを私は日本の「シバ漬け」か「福神漬け」だと勝手に思い込み、一気に口の中に入れて適当に噛んで飲み込んだとき、しまった!と思った。「漬物」みたいなものは、えげつない唐辛子だったのである。私がどれほど涙を流し、汗をダラダラ垂らし、のた打ち回ったかは、恐らく誰も想像できないのではないか…。
そして初めて食べるフォーは「うどん」だけあって熱いわけだし、右に写っているパクチ(香菜)の臭いは私には合わなかったときた。恐ろしいトリプルパンチを食らい、持っていた水は全て飲み干してしまった。
なぜか分からないが、それでも出されたフォーの具だけは一応全部食べた。そしてベトナムにいる間はフォーは食わんと心に決めた。(でも次の日になると、その決心はすぐに崩れてしまうのだった)。


別の屋台のテーブルから



屋台の様子

口の中が辛さでマヒしたような状態のままフォーを食った屋台をそそくさと後にして、別の屋台に移った。口直しにと、日本のお子様ライスを大人風にしたようなチキンの定食を頼み、サイゴンビールを頼んだ。ビールがとても美味く感じたことを、よ~く覚えている。


屋台の裏にて



海鮮物を中心に扱う屋台もある



屋台の通りの裏では夜でもバイクが容赦なし



このような看板が並んでいるところも

屋台の準備が始まるのは大体18:00ぐらいだったことを記憶している。あぁ、もう日が沈むなぁという薄明るい時刻に、どこからともなくテントや調理器具やテーブル・椅子を積んだ屋台車や人力車やトラックが現れ、手際よく準備が始まるのだ。それとともに道路は車両進入禁止となり、通りの入口に柵が設けられるのである。
食べ物の屋台が出来上がる頃には、衣料や雑貨が売っている露店もにわかに活気付いたように思う。何を食べようかとウロウロしていると、「オニイサン、オニイサン、Tシャツヤスイ」とよく声をかけられたものだ。
なんか台北で毎日ある夜市に似ているなと思った。アジアの国々は各々異なる点も多々あるが、共通しているところも少なくないのかもと思ったりした。

ホテルに戻るため「9月23日公園」を通った。平日なのに多くの人がいて、子供も少なくなかった。


9月23日公園



ダーカウで楽しむ人々

上はベトナムの公園でよく見かけた「ベトナム式蹴鞠」である。帰国してから知ったのだがダーカウというらしい。羽にやわらかい軽い重りをつけて地面に落とさないように仲間と蹴りあって遊ぶスポーツだそうだ。晩の8時も過ぎているというのに延々とやっていた。

ホテルの近くにやってきたとき、二人の女性が乗っているバイクが私の目の前で止まって、彼女らは男を誘うメイクと独特の笑顔で私に集(たか)った。無視して歩く方向を変えても、なおも付きまとってきた。さっさと横断歩道を渡るとついてこなくなった。
実際、外国人が多い安宿街のバーとか見ていると、外国人旅行者とともに遊ぶベトナムの女性をたくさん見かけた。ベトナムは社会主義国ではあるが、やっぱり観光都市に見られる性質は存在している、ホーチミンでもそういうことはあるんだねぇと一つ学んだ。

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