デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 









右に園内の整備作業を一休みしている人が



タイだったら木の成長も早いのだろうか



チケット売場まで戻ってきた


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一周してきた






出口の方へ


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『吾輩は猫である』(以下、『猫』と記す)の初読は夏休みの読書感想文を科せられるような時分じゃなかったか、と思うが、文字を追って無理やり読み通した記憶しかない。(恥をさらすようだが)それでいて周囲に鼻につく態度で「この作品は奥が深くて面白い」などと言い放っていたような気がする(笑)。日本国民の誰もが知っている作品、しかし最後まで読み通せた人は案外少ないゆえ読んだことがステータスであると思わせるところがあって、それを漠然と悟っていたであろうゆえの俗物根性から発した言だから性質が悪い。
しかし今になって再読し最後の一文を読み終えるまでに私の中で沸き起こってきた気持ちは、とんでもない作品だなという一言に尽きる。そして漱石が研究した英文学の作品の影響を強く受けているんだなと思った。
いつだったか、ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』をそれこそ根気強く他愛も無い会話に付き合うがごとく読んだが、『猫』でも改めてそれを髣髴とさせるようでなんだか懐かしい気持ちになった。ただ、『トリストラム・シャンディ』も脱線を楽しむ文芸作品だが、やっぱり『猫』のエピソードの流れと脱線のほうがはるかに読みやすい(笑)。
世間には『猫』に関するすぐれた論や考察が溢れているが、歳をとって分かるのは『猫』に登場する面々の性格やふるまいは苦沙弥(くしゃみ)を代表にそれこそ身近な人の典型であるところである。単に「うわぁ、いるよなぁこんな人」と大いに共感してしまうところ、といっていい。
同居し長い時間を共にすごさないと見えてこなかったり、いくら理想を振りかざそうが結局人間社会ってこうよねぇと思わされたり、非情なまでにどうしようもない愚かで滑稽な人間の性(さが)について心をチクリとさせられたり、いたたまれなくなるような作品を、昨年は谷崎潤一郎『細雪』、年末年始にかけて紫式部『源氏物語』、ここにきて『猫』と、なんだか読者にとって「美味しい毒」となるようなこれらの作品を波状攻撃を受け止めるかのように手を出してしまったが、これらはなんだか諸外国が日本を知る上(はっきりいって日本を心理的に攻略する上)で必読の書であるという感覚が私の中でじわじわと占めてきている。
同時に魯迅の『故郷』の再読のおりにも書いたが、「ネコの視点」から描くという発想を除いて『猫』も中学生相手に教えれるような作品じゃないんだろうと思う。とはいえ、『源氏物語』を受験対策のために原文で頭ごなしに読まし教えられる側がどんな物語なのか分からないままでいるよりは、『猫』のほうがまだ文芸に親しむうえでいいきっかけになっている作品であるのは否定できないと思う。


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万里の長城、当局の修復で真っ平らに「爆破した方がまし」との声も(AFP)
というニュースを目にして、こちらのキリストの壁画を修復したら猿顔になってしまった4年前のニュースのことを、多くの人が思い出したようだが、私もだった。
長城は、今更どうしようもないだろうが、私個人は調査以外は立ち入り禁止にし、朽ちるにまかせて遠くから眺めるようにしておいたほうがよかったように思う。

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プラーンを正面に



プラーンに生える雑草、日本の城の石垣にも雑草は生えるから
珍しくは無いが、どうやってあんなところに生えるのだろうか思う(笑)









草を刈っていたおじさんにも手を合わせて挨拶した


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記事のURLはこちら

日本語での記事のタイトルは「ピッチに侵入した犬がシュートストップ? チリ3部で“珍事”が発生」である。
一年ほど前、人間世界のことなどお構いなしのネコの動画を紹介したが、選手たちにとって将来のかかっている真剣勝負の場とはいえ、この「犬がゴールを守った?」ような珍事を見るとほっこりした気分になる。犬は本当は広いところでボールを追っかける遊びを人間としたかったのかもしれないなと思った。

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この件でクレジット・カード会社へ電話した。「ただいま電話がたいへん混みあっております。いましばらくお待ちください」の自動音声が長く続いたあとに、「おぼえの無い請求」を担当するコール・センターに繋がった。女性のオペレーターさんだった。事の顛末について改めて説明し、私に請求されるいわれはない、何ならホテル側の明細まで送ろうか?と伝えた。オペレーターさんは調査すると言って一旦電話を切り、私へ再び電話がかかってきた。そこでも請求内容について確認をしてこられたが、つっこんだ話をしたらオペレーターさんの方でもどうやらカード会社のシステムから生じた間違いである、とのことだった。よって「ご利用可能枠」は一年ぶりに元に戻ることになった。
私を担当したオペレーターさんも困惑しておられた。そりゃ困るわな…。おそらくカードへの請求の履歴を処理するシステム上の問題なのだろうが、利用者としてはメカニカル(プログラム)の面での根本的な解決を望みたいし、それはオペレーターさんも同じだろう。

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今にして思えば、ワット・プラ・ラームは穴場かも?















右腕が…。



トルソーか。昔は足の部分もあったのかもしれない。


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前回の記事でまさかの展開である。
某旅行社のMさんから再度連絡があり、なんと利用したホテル側も「(宿泊した私への)カードへ請求(チャージ)はしていない」と返事があったという。
それに加えホテル側のきちんとした明細まで送ってきて、それを見ると本当に私への請求はゼロであるのだ(笑)。これで、予約してくれた某旅行社と宿泊したホテル側がミスを犯していた可能性はきわめて低く、はっきりいってゼロだということになる。
某旅行社もホテル側も”白”となれば、クレジット・カード会社の処理になんらかの問題が残りつづけている可能性がある。
よって火曜日の昼間、カード会社の「おぼえの無い請求」を担当するコール・センターに連絡することにした。次でたぶん解決するだろう。しかし吝嗇なようだが、某旅行社に調査を願い出る連絡と、カード会社への連絡はフリーダイヤルじゃないし、この件でいろいろ照らし合わせている時間というのは徒労なものにすぎないので、やっぱり腑に落ちないものが残る。

さらにつづきがあった・・・。こちら


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1年と7ヶ月前、某旅行社サイトからクレジット・カードで先払いする形でホテルを予約した。現地のホテルでは支払い確認書を提示して支払いすることなくチェックインする形でホテルに宿泊したのだが、その際、プリオーソライゼーション(チェックイン時に一度「仮チャージ」をすることで、通常1泊分 に相当する額がチャージされる)のためクレジット・カードを提示してプリオーソライゼーションがなされた。このホテル側にとってみれば保険ともいえる「仮チャージ」、一般的にデポジットともいわれる。
ホテル側が、某旅行社を通しての先払いがきちんとなされていると確認すれば、ホテル側はリファンド(払い戻し)に相当するもの、この場合は宿泊者である私への「仮チャージ」をキャンセルすることで一連の手続きは完了する。たとえばプリオーソライゼーションが2万円分ならば、クレジット・カードの「ご利用可能枠」が100万円であるとしたら、キャンセル手続きが終えるまで「ご利用可能枠」が98万円のままであり続けるが、キャンセル手続きが完了すれば、当然「仮チャージ」の2万円は引き落とされることなく「ご利用可能枠」が100万円に戻ることになる。
しかし、私のクレジット・カードは、このプリオーソライゼーションが一年経過してもずっとキャンセルされないままになっているのだ。通常ならプリオーソライゼーションがなされて2ヶ月、遅くとも3ヶ月後には、キャンセル手続きが完了するものが、一年間も放置状態である。
某旅行社の担当者Mさんに調査を依頼してからしばらく経ち、昨日連絡があった。Mさんいわく、ホテル側は調査に同意したものの、「昔のこと」だから結果が出るまで時間が掛かると、Mさんに返事したらしい。
1年しか経っていないのに「昔のこと」扱いとは…。もしホテル側に業務上の過失があったらどうするんだ、その一言(笑)。Mさんも困惑されていた。
こんなに便利な世の中になった、それどころかクレジット・カードがないとやりたいこともままならない世の中になったとはいえ、完璧な運用というのはまだありえないのだとつくづく思う。

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