デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



山口守 編『講座 台湾文学』(国書刊行会)読了。

先に何義麟著『台湾現代史』を読んでいたこともあり、『講座 台湾文学』のなかに出てくる作家名・地名・歴史的事件の名は、若干私の馴染み深いものに感じられた。

編者の山口氏が「あとがき」で

…(略)…台湾文学とは何かという問いは、台湾文学の本質を問うというより、むしろ台湾文学をめぐる様々な考えや議論を呼び起こす契機として考えた方がより生産的な思考へと発展するだろう。単一で固有であることを前提とする一般の近代文学理解を遥かに超越した、多元的で豊かな文学世界の広がりを台湾文学に見て取ることができるからである。本講座では、その多元性が台湾の人々に自由に選択されたものというより、歴史に規定されたという側面を持つことを踏まえながら、台湾文学がどのような内実を持って形成されてきたか…(略)…みずみずしく語っていきたい。

と書いているが、私も山口氏のいう「多元性」こそ台湾文学および台湾を理解するためのキーワードのように思う。
日清戦争後に日本に割譲された台湾が日本の統治を受けて以降、言語だけでなく民族のアイデンティティも多元化しまた多元化せざるを得なかった台湾の歴史と並行して歩んできた台湾文学だが、50年経つか経たないかの間で独特の進化を遂げ続ける様には驚嘆のまなざしを送る以外にないよう思った。矢継ぎ早の化学反応が起こり続けたといったら語弊があるかもしれないが、台湾のような複合文学の文学史をもっている国や地域ってまず見られないだろう。
本には台湾の作家による作品がいくつか紹介されているが、個人的に興味を持ったのはノスタルジーをテーマにした1960年代から70年代にかけて書かれた作品で、特に白先勇という作家の作品を手にとってみたくなった。近いうちに読み始めれればなと思う。

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ダヴィッド「テルモピュライのレオニダス」(1814),ルーヴル美術館

読書をしていると、かつて旅行先で巡りあえたものに再会することがある。
前回ふれた塩野七生著『ギリシア人の物語Ⅰ』(新潮社)の中で紀元前480年の第二次ペルシア戦役の話が出てくるが、ペルシア王クセルクセスやスパルタ王レオニダスという人名、テルモピュレーという地名が頻出するようになってきたら、あぁあの絵をかつてじっくり見たな、と思い出し、昔のフォルダから画像を引っ張り出してきたくなった。
この絵の場面の背景は第二次ペルシア戦役のテルモピュレーの戦いで、アメリカで制作された映画「300」(2007)でも描かれていることでも知られている。映画の「ペルシア軍100万」はいくらなんでも多すぎとはいえ、テルモピュレー最後の戦闘ではペルシア軍18万を、ギリシア側のレオニダス率いるスパルタの兵300とテスピアイの兵500足らずで迎え撃ち、ギリシア側が玉砕したという史上有名な戦いである。この戦いでクセルクセスは一週間もアテネ侵攻への足止めを食らう屈辱を受け、スパルタはスパルタの戦士の強さを世界に見せ付けたことで大いに自信をつけ、かつギリシア世界から遠い世界への視野を拡げることになった。
さて、ナポレオンのお抱え画家でスポークスマンといっていいダヴィッドによるこの絵は、戦いの場面が描かれているわけではない。中央のレオニダスは、これから訪れる戦闘を前に避けることのできない自分の死について瞑想にふけっている。また画像では分かりづらいが左上で岩に「旅人よ,スパルタに行きて伝えよ,祖国のために命を捨てた者たちがここに眠る」と刻んでいる人が描かれているが、この言葉が刻まれるのは戦闘の後なので少しばかり「異時同図」になっている。
ルーヴルにあるダヴィッドの作品には他にも「サビニの女たち」や「ブルートゥスの家に息子たちの遺体を運ぶ警士たち」などがあり、いずれも動的で感情豊かで劇的な場面を描いた作品だが、そういった作品のなかにまぎれて展示されている「テルモピュライのレオニダス」は一見、戦の場面かな?と思わせつつも、次第に妙に静けさを湛えていることに気づき戦士たちに派手に躍動するようなアクションを見出すことができなくなるので、鑑賞者を困惑させるものがあったように思う。それもあってか、余計に印象深い作品だった。
ところで、テルモピュレーの戦いに臨んだ時のレオニダスは60歳だったというから、絵のなかの彼は若すぎるように思われるのは分かる。しかし、たとえ紀元前でも鍛え上げられたスパルタの戦士ならば、ダヴィッドの描いたような60歳の戦士は存在していたかもしれない?(笑)。

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たまたま手にした塩野七生著『ギリシア人の物語I 民主政のはじまり』(新潮社)を読み始めた。『ローマ人の物語』以降の作品は、なんだかんだでほぼ読んでいるなぁと、しみじみというほどではないが思ってしまう。
タイトルどおり、今度のスタンスはローマではなくギリシア側のから描いてあるわけだが、いつもどおりの書きっぷりというか塩野節が炸裂していて、読んでいてたのしくなってくる。
なぜギリシアに民主制が起こったか、というかアテネで民主制が生まれたのはなぜか、という疑問の答えは、一言で説明できそうであっても、これまで誰一人わかりやすく詳細に書いている人はいなかったように思うが、塩野氏の筆にかかれば、「当然」と思われるようなことでも根本的なところを説明してくれているみたいに感じる。詳細はふれないが、ソロン、ペイシストラトス、クレイステネスの改革が尻切れトンボにならなかったこと、ときに断続的であったとはいえ改革が継続されたことが「民主制」という思想が根付く大いなる要因になっているのには瞠目せざるをえない。
また瞠目した箇所があれば書きたく思う。

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チューディーの上に行けるようだ









近寄るとかなり大きいことが分かった


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少し草が伸びているところでは蚊に刺されることも(笑)












3基のチューディーを反対側から


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たぶん窓だったところ。この形は現役の寺院でも見られる












入口のある方に回ってきたようである


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15世紀に建てられたセイロン様式のチェーディー



チェーディーには王の遺骨が納められているという


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この角度から見たら、何をかた
どっているのか分からなかった






一枚目の画像を別角度から見れば仏さまが
鎮座していた殿であったろうことが分かる。
またこの姿は座っている像がどのようにして
作られたのか制作過程まで垣間見せてくれる。



供え物が置かれていた


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上田正昭著『古代の道教と朝鮮文化』(人文書院)読了。

今年3月に逝去された上田正昭氏の著書だが、読み始めてから別の本を割り込ましたりしていたので、読み終えるまで時間が掛かった。
ただ、1ヶ月ほど前に最初から改めて読み始めたらおどろくほどおもしろく読めた。ここ数年道教関係の本を読んでいることもあり、渡来人が仏教や儒教だけでなく、道教信仰ももたらしたことについて考古学の視点から論述しているわけだが、驚くこともあれば納得することも多くあった。また隣県が福井県や滋賀県ということもあって昔の文献や伝承と渡来系の人々の縁の地名や姓名と考古学的成果が符合する事実を知ると、さらに隣県への親しみが湧くというものだ。
実は最近、日本からはるかに遠い大陸の地域の宗教や言語が古代の日本に影響を与えていると信じきっている人の話を聞いて、その内容がどう考えても「似ている」とか「こじつけ」とか「語呂合わせ」の範疇を出ず考古学的・人類学的・遺伝学的に立証が困難な荒唐無稽な珍説だったのだが、しかしトンデモ理論が時として政治や歴史を動かしてしまうゆえ、自分の中でその珍説に対峙するための基本的な知識や考え方が上田正昭氏の著書でも補完できてよかったように思う。

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おそらく寺院が破壊される前はこのような
木々は生えてなかったのではないかと思う。



寺院の礼拝所を思わせるようなつくりだ











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