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白雲館(はくうんかん)
白雲館は観光案内所でもあるのだが、もとは八幡東学校だった。1877年、近江商人などの寄付で建てられた。
私は白雲館と聞いて、つい道教の全真教の活動拠点である白雲観(北京)のことを思い浮かべてしまった。
旧八幡郵便局
大正期のヴォーリズ建築
旧八幡郵便局が面する通りは朝鮮人街道と呼ばれている
朝鮮人街道という名称は朝鮮通信使にちなむ。
最近読んだ本に、朝鮮通信使に関する記述があり、江戸時代後期に財政難による経費削減や朝鮮王国内のさまざまな問題が原因で朝鮮通信使が江戸を訪れず対馬どまりとなり、幕末・明治時代になると途絶えてしまうことで交流がなくなったことが、のちの征韓論の台頭の遠因になったとあった。
朝鮮人街道は野洲から彦根までの約42kmだそうだが、昨年何も知らずにヴォーリズ式建築の旧八幡郵便局のある通りに立って撮った画像を見直しているうちに上の本の記述が頭をよぎるようになった。