デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



18時発のバスがやってきた。


赤文字で「부여(扶余)」とある。

チケットはドライバーが回収した。


いざという時、ドライバーに話しかけ
れるように、前のほうの席に座った。



大田西南ターミナルを出発。

バスはどんどん大田から西へ走って行くが、対向車線の大田へ向う渋滞を見て、いささか短絡的だが扶余から大田へ戻る際は長距離バス以外の方法にしようと決めた。
扶余の宿には事前に宿予約サイトを通して18時~19時にチェックインのリクエストをしていた。日が沈んで、これで確実に19時半以降のチェックインとなってしまったことを残念がる気持ちになった。
そして、夜になったことだし、扶余まで1時間半かかるところを猛スピードで飛ばしてくれて19時に着いてくれ!などと虫のいいことを思ったりした。もちろん、バスはきちんとそのルートの停留所に到着時刻どおり停まった。暗くなっても他の乗客はいるのだ。
扶余までのあと45分くらいのあたりになると、街灯や道路の照明も少なくなってきて、どこを走っているのか全く分からないような暗さのなか国道か県道をバスは疾走して行く。もしこのあたりで放り出されようものなら、などととんでもないことが頭をよぎった。
19時ごろ、山道のような道路を抜け、ハイウェイのような道に入って外の標識を見たら 부여군(扶余郡)の文字が見えた。ホッとした。なにはともあれ扶余には確実に着くのだ。
それにしても、、、朝に大阪を発ち、昼過ぎに釜山に着陸して外が真っ暗な夜の7時半前に郊外すぎる郊外である扶余へのバスに乗っているなんて、私は何をやっているのだろう、昼飯も食えないような、なんでこんな旅のプランにしてしまったのだろうなどと気持ちが沈んだ。

郊外すぎる郊外などと書いたが、扶余の中心部が近づくにつれ街灯が増えだした。


부여시외버스터미널(扶余市外バスターミナル)


19時半、時間通りに着いた。ドライバーに確認して御礼を言って降りた。
宿までの地図ももちろん準備していたが、なかなかその建物を見つけられなかったので、イルミネーションが派手な他のホテルに駆け込んで道を訊いてやろうと思った矢先、そのホテルの隣が目指す宿だと分かった。


ピンク色の照明が使われていたので、
なんか怪しいなと思って一旦遠ざかった
建物が予約した宿だったのだ(笑)。

それにグーグルマップも微妙に位置がズレていた(爆)。
私の声を聞いてレセプションの女性が出てきてくれた。日本語で応対してくださり、一泊分45,000ウォンをCCで支払った。到着が1時間遅れたことをお詫びする韓国語をバスの中で予習していたがとんでしまい、日本語ではあったがお詫びした。

3階の泊まる部屋まで案内してもらうと一気に緊張が解けた。


宿の近くにコンビニのCUがあるのを目にしていたので、夕食を買いに出た。


TVを見ながら8,600ウォン分のカップ麺やおにぎりやビールをゆっくり堪能した。









日本の歌謡曲のような歌が多く流れる韓国の歌番組を見ていたが、歌手がおばさんであろうがおじさんであろうが、バックダンサーの女性たちがショートパンツを履き、トップスは体のラインが出る半袖Tシャツもしくはショート丈の柄シャツの先を結んでいるというスタイルをやたら多く見かける。

ひどく遅い時間のように感じたが、まだ夜の8時半過ぎだった。
アルコールが入ったが今日一日分の服を洗濯することにした。入浴を済ませ、明日の予定のことを考えているうちに23時になった。移動ばかりしていた一日が終わり就寝した。



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